7-49 命の行方
ハァハァと苦しそうな息遣いが闇の中に響き、心許ないランタンは砂利の溜まった階段を浮かび上がらせ、重い足取りを照らしている。
「クッソ……まだ結構あるな……」
今まで足元ばかりを見ていたビリーが顔を上げ、未だ見えぬ終着点に小さく舌を打つ。しかし意識を朦朧とさせてうっかり落ちる事だけは絶対に避けねばと、今一度瑞樹を背負い直し歯を噛みしめながら再び注意深く階段を上った。
およそ三分の一程上った辺りで、ビリーの耳に異音が届く。明らかに自分のそれとは違う誰かの足音、それも随分と軽やかな辺り少なくとも下からではなく、上の方から降りてきている。
「誰だ……? フレイヤ様か、それとも……」
敵か。生き残りの悪魔が魔神の弔い合戦の為と追って来たとしても不思議ではない。そんな考えがビリーの頭を過り念の為に声を掛けるのを控えたようだが何れにしても接触は避けられない。
どんどん足音は近付き、誰かが灯している松明のような光も見え隠れするようになると、いよいよビリーの真上の階段で音が鳴る。万が一に備える為にビリーは瑞樹を降ろして壁にもたれ掛からせるが、少しでも軽くする為に腰の剣は下に置いてきてしまっていた。ゴクリと固唾を呑むビリーは、久しく見る煌々とした光に目を細めると、ハァと大きく溜め息を吐く。
「ちょっとビリー、居たんなら声くらい掛けなさいよ! 全く敵かと思って身構えちゃったわ」
ビリーと目が合った人影はフレイヤだった。一瞬キョトンとした様子で目をしばたたかせた後、唇を尖らせながら詰め寄ると、ビリーも「俺だってそうですよ。下手に反応したらまずいでしょ」と反論する。
「それもそうね。……で、瑞樹は無事なの?」
軽く手を合わせながら納得した様子を見せるフレイヤは、一変して真剣な眼差しをビリー、さらにその後ろに居る瑞樹へと向けると、ビリーは眉間に深い皺を刻み付けながら拳を握りしめた。
「正直分かりません。……ですが、息も……心臓も動いていません」
ビリーの言葉にフレイヤはかっと目を見開いた後、ギュッと目を閉じ「そう……」と呟く。衝撃は当然受けたようだが、もしかしたらと覚悟だけはしていたのかもしれない。ただ取り乱す事は無く、瑞樹の身体を観察し魔法陣の存在を発見する程度には冷静だった。
「……瑞樹の身体のそれ、気にはなるけどひとまずここから出るわよ。ビリー、辛気臭い顔はそこまでにしときなさい」
「……はい、そうですね。まずは出ましょう」
ビリーは自身に発破を掛ける為に太ももをパンパンと勢い良く叩き、ズボンの中に色鮮やかな紅葉柄を刻むと再び瑞樹を背負う。その様子を見ていたフレイヤもうんうんと満足気に頷くと、何かの詠唱を始める。そしてパチンと指を鳴らすと不思議と身体が軽くなったような、そんな感覚がビリーにもたらされた。
「瑞樹程じゃないにしろ、あたしも能力向上魔法は使えるからね。さぁ上まで一気に行くわよ!」
はいとビリーが頷き、駆け出そうとした瞬間「あっ、ちょっと待って」とフレイヤが引き止める。ズシンと足音が大きく響く程強い一歩で何とか踏み堪え「何ですか一体」と、恨めしそうにフレイヤの居る後ろを振り向く。
「うっかりしてたけど、ノルンは無事だったわ。凍傷になりかけてたけど、一応治癒魔法掛けたからひとまず大丈夫な筈よ」
「それは良かったです」
言葉は淡白だが口元はニヤリと綻んでいた。これで心配事が一つ消えたとビリーは勢い良く階段を駆け上がる。先程までの負担が嘘のように軽やかに足が動き、まるで背中を押されているような、実際ビリーの意思では無い何かが作用していたようで何度も転びそうになっていた。
「あぁそうそう、能力向上魔法の他に加速魔法も使っといたから」
ビリーの後ろをピッタリと並走しているフレイヤに「……早く言ってくださいよそれ!」とビリーが文句を垂れるが当の本人が悪びれる様子もなく「楽出来てるんだから文句言わない!」と一蹴する。
さながら背中からブースターの炎が吹いているかの如き加速は凄まじく、ビリーの神経と足を代償にしながらも時間を一気に短縮。舞い上がる埃の中に映る僅かな光、外から漏れ出す光を目掛けて飛び込んだ。
「だぁ~クソッ! 死ぬかと思った!」
「こんなとこで立ち止まってないでさっさと行きなさいっての!」
いくら魔法の付与があったとはいえ流石に身体、よりも精神的に負荷が強かったようで顔を上げながらハァハァと息を荒げさせるビリーに、フレイヤは背負われている瑞樹に当てないようビリーの腿を軽く蹴り飛ばす。
ヒリヒリとした痛みに耐えながら「あぁもう、分かってますって!」と怒気を含ませた声で呟き、今一度外へと顔を向け足を動かす。ビリーが開いていた扉から飛び出すと、ほぼ同時に馬車の中に身を隠していたノルンも一目散に彼らの元へと駆け寄った。
「よぉノルン、無事だったか……」
「私は大丈夫です。それよりも……姉さんは!? 無事なんですか!?」
「正直……無事とは言えねぇだろうな」
背負っていた瑞樹を地面に寝かせると、ノルンはそっと瑞樹の顔に、手に触れた。そこにかつての温もりは無く、感じるのは先程まで自身も感じていた冷たさ。暗い場所で生きて来たノルンだからこそ分かる死の匂いに、彼女は嗚咽を漏らし身体を震わせながら瑞樹の顔に抱き着いた。
「姉さ……姉さん……あぁ、うわあぁぁん……!」
悲鳴にも似た声は虚空へと響き、伝う涙は瑞樹の顔へ、さらに地面へ無情に落ちていく。ともすれば自分の死よりも耐え難い心の痛みに抗える筈も無く、ノルンは慟哭し続ける。そんな彼女にフレイヤは後ろからそっと近付き、力強く抱きしめた。
「ノルン、気休めにもならないだろうけど良く聞いて。恐らく瑞樹は何かしらの魔法の影響を受けているの。だからもし解呪さえ出来れば……目を覚ますかもしれないわ」
フレイヤはその実、自分の属性以外の魔法はあまり詳しくなく、本当に気休めでしかない言葉だった。可能性も勿論全く無い訳ではないだろうが、永劫死を以てする転生すら許さない魔神の呪いの可能性もある。むしろ後者の方があり得るのではと思っている節のあるフレイヤは、まるで自分にそう言い聞かせているようだった。
それから少し時間が経ちノルンが落ち着くのを見計らっていたビリーが「取り敢えず王都に早く戻りましょう」と提案すると、フレイヤも「そうね」と頷く。
「その……フレイヤ様は解呪の魔法は……?」
「ごめんねノルン。あたしあまりその手の魔法得意じゃないし、下手に解呪しようとするとかえって危険な場合もあるわ。時間は掛かるけど王都に戻って知恵を借りた方が安全なの。分かってくれた?」
「はい……変な事を聞いて申し訳ありません……」
グスグスと鼻を鳴らすノルンにフレイヤは微笑みながら「良いのよ気にしないで」と頭を優しく撫でた。まだ幼い彼女にとって文字通り藁にも縋る思いだったのだろう。
その後馬車に積んである木箱を平らにし、敷布を敷いて瑞樹を寝かせる。酷くお粗末な寝床だがこれが精一杯で、いつも瑞樹が座っていた場所にはフレイヤと、彼女にすっぽり収まるノルンが座った。
「それじゃ出しますよ」
「えぇお願い。馬の体調にも気を配ってよ? その子が倒れたらそれこそどうにもならなくなっちゃうし」
馬も先だっての寒波を何とか凌ぎ切っていたが当然本調子ではなく、本来ならば数日休ませるべきところをフレイヤの申し訳程度の治癒魔法で辛うじて荷馬車を牽ける程に回復させていた。ビリーも重々それを承知しており「分かっています」と返事した後手綱を操り、ゆっくりと馬車を動かし始める。その速度は平生と比較するととてつもなく遅く、随分やきもきさせられるが他に選択肢は無い。ただひたすらに耐えるのみだった。
そんな苛立ちを御者台のビリーが募らせていた頃、ふと何かを感じたノルンが小窓から空を見上げた。感じたとはいえ、本当に何となく、そんな気になっただけという不確かで曖昧な感覚だったようだが、それを目にしたノルンは酷く慌てた様子でフレイヤを呼ぶ。
「フ、フレイヤ様! 外を見てください!」
「ちょっとノルンどうしたの? まさか悪魔でも居た!?」
先程まで自身の膝の上で悲嘆に暮れていたノルンがいきなり狼狽え始め、フレイヤももしやと思って空を覗き込む。すると形状はどう見ても悪魔、というより人どころか動物の形すら成していないがとにかく巨大。腐っても王族の自負があるフレイヤは今生様々な物を目にしてきたようだが、記憶にあるどれにも当て嵌まらない。
「ちょちょちょビリー! 止まりなさい、早く!」
「おぉう!? 何ですか突然、ビックリしたじゃないですか!?」
御者台側の小窓が勢い良く開いたかと思えばフレイヤの声が大きく響き、ビクッと肩を竦めたビリーは眉間に皺を寄せながら彼女に視線を向ける。するとフレイヤが「うっさい! 何か空から変なのが近付いてき来てるのよ!」とノルン以上に狼狽えた様子で空を指差す。
「おいおいマジかよ……ありゃあ……」
ビリーは驚いたのは事実だが、どちらかと言えば何故あれがここにという疑問が大部分を占めていたようだった。フレイヤとノルンをここまで狼狽えさせ、ビリーに既視感のようなものを感じさせるそれは──