7-45 己を貫く
大聖堂に入った瑞樹は早速魔道具に魔力を注いで光を灯した。天窓から陽が差しているにも関わらず何処となく薄暗い堂内を、ランタンの光を当てながら少しずつ奥へと進んで行く瑞樹。
「誰も……居ないんだな」
別段中は荒らされている訳ではなく、木製の椅子が整然と置かれている。しかし人の気配は微塵も感じさせず、不気味な雰囲気に冷や汗を掻きながらも奥にある演台の近くへと歩み寄った。
「勇んで来たは良いけど、入り口が分かんないな……」
「お待ちしておりました、タチバナミズキ」
演台を挟んだ向こう側に白髪と皺が目立つ男が突然湧いて出た。その手口は瑞樹も知るあの男の悪魔のそれと一致しており、堪らず瑞樹も驚いた様子で肩を竦めながら後ずさる。
「……あんたも悪魔?」
「ご推察の通りでございます」
「だろうな。……というかもう少し普通に出てこれないのかよ」
酷く不愉快そうに告げると、老いた男は「我が主の命でお出迎えに参じました」と微妙にかみ合っていない返答をされ、瑞樹は苛立ちを募らせるように頭を乱暴に掻いた。
「ハァ……で? 出迎えってわりには入り口が見当たらないんだけど?」
舌打ちを交えながら瑞樹が問うと、老いた男は瑞樹の視線から一歩ずれ「こちらに」と手を指し示した。瑞樹はランタンを掲げながらじっと目を凝らしてみると、確かにあった筈の壁が文字通り消えて無くなっている。恐らく厳重な防御魔法が敷かれていた筈の隠し扉だが、それを児戯の如く消滅せしめた。
「あの奥に……」
「我が主から受けた命はここまででございます。恐縮でございますが、この先は御身お一人で我が主の元へ」
そう言い残し、老いた男は煙のようにスッと姿を消した。再び一人となった瑞樹はごくりと固唾を呑むと、緊張した面持ちで入り口に立ち、先の見えない暗がりの階段をゆっくりと降りて行った。
ランタンを持つ手をどれだけ伸ばしても先の見えない螺旋階段。恐らく殆ど人が立ち入る事が無いであろうそこは、地下特有のジメジメした空気が流れている以上に、今まで経験した事が無いような濃厚な魔素が、瑞樹の身体にねっとりと絡みつき気色悪そうに眉を顰める。
「ハァ、ハァ……いつまで下れば良いんだこれ……」
一体どれくらい下ったのだろう。瑞樹がそう疑問に思ってしまう程息を切らし、額に汗を垂らしている。ここ最近殆ど馬車での生活だった為、それなりに体力への影響もあるだろうがそれにしても長すぎると瑞樹はブツブツと愚痴を漏らす。
手すりの無い内側から落ちないよう、外壁に触れながらさらに歩く事幾時間。不意に訪れた最下層の地面に足をもつれさせながらも漸く到着し、瑞樹は大きく呼吸した。
「あぁクソ……疲れた。で、これが……魔神の封印されている部屋、か?」
膝に手を付いて息を整えながら視線を前に向けると、そこには随分と質素な木製の扉があった。悪名高い魔神が封印されているのであれば、もう少し厳重な見た目でもと瑞樹も疑問に思ったようだが、思案に耽っている最中突如扉が軋んだ音を立てながら少しだけ開いた。
「入ってこい、って事か。上等だ……」
ゆっくりと立ち上がった瑞樹は今一度大きく深呼吸し、心を落ち着かせる。緊張しない筈が無い、不安が無い筈も無い。それでも瑞樹は覚悟を決め、小刻みに震える手を握り締めながら扉を開き、足を踏み入れる。
「あれが……魔神?」
部屋と広間の中間のような広さの場所の中心に、人の頭大の光の球があり、それを軸に何層もの魔法陣が宙に漂いゆっくりと回っている。現状変わった様子も無く瑞樹はゆっくりと前に歩み寄ると、突然頭の中に声が響いた。
──ようやっと来たか
一度は心を許したにも関わらず、裏切られたあの声。
「魔神……!」
──いかにも。我は魔神、神を統べる者
瑞樹は歯を噛みしめ不快感を露わにしながら「お前は何で……!」と声にならない言葉を思い浮かべると、思考を読み取った魔神の声が淡々と頭に響く。
──我は神を統べる者。しかし、唯一歌の神にだけは敗北を喫してしまい、このような無様な姿を晒す事となった。
「……やっぱり復讐か。そんなものの為にお前は……!」
──ヒトの世は常に復讐と憎悪が渦巻いている。汝もその為に犠牲を払って来たであろうに厭うとは
瑞樹は魔神への復讐を誓ってここまで来ている。それも大勢の想いを犠牲にして。図星で言い返すに言い返せない瑞樹がグッと小さく声を上げると、魔神はさておきとさらに続ける。
──我は何としても今一度歌の神と対峙したいと願ったが、我の自我が目覚める頃には時すでに遅く神々はこの世界のヒトへと転生し、歌の神も例外では無かった。しかし、神々の力は加護と称してヒトに宿っており歌の神を宿す者を狙ってみたが、どれも満足出来るものでは無かった。
「……何故かその話しを知っているような……? 何でだ」
──汝は忘れているようだが、一度歌の神と言葉を交わしている。その時の残滓であろう
その言葉が響いた直後、魔神は瑞樹の記憶を弄り回す。夢として処理された当時の光景が無理矢理掘り起こされ、凄まじい吐き気を伴いながらも瑞樹はその時の事を思い出す。
──汝を早々にこちらに迎えようとしたのだが、存外歌の神も強か。折角心を壊した甲斐も無く巧妙に隠され、ヒトとしてそれなりに生を刻ませてしまった。
「……あぁ、知ってる。思い出した。何でそんな真似を……!」
先程の脳を弄られた後遺症がまだ残っているらしく、瑞樹は膝を付きながらも睨み付ける。
──ヒトのままでは所詮以前のそれと何ら変わらん。なればいっそヒトの部分の心を壊せばどうなるかと画策した。追い詰め、擦り減らし、壊せば如何なヒトの奥底に眠る歌の神でさえ宿主を守る為出て来るだろうと
「じゃあ何で、俺に終焉の歌を歌わせようとしたんだ……!」
──歌の神から教わった通り、あれは我が想像した。しかし彼の者の見立てとは少々違う。歌の神の言う歌の本質、それから逸脱した魔法を発動するよう仕向ければ、歌の神も黙っていないだろうという策の一つに過ぎない
「もし、歌ってしまっていたら……? あれは全てを終末に追いやるんだろ? 復讐にならない可能性だってあった筈だ」
──神とて全てを見、知る事は出来ん。それでもなお歌の神が黙しているのであれば最早これまで。価値の無い世界と共に消え逝くのみ
「何でそこまでして歌の神を……」
──我にとって歌の神こそ全て。彼の者を超えてこそ、真に全てを統べる者と相応しい。悠久の時間ヒトの世で無様を晒し続け、汝に数多の苦痛を与えたのも今この時の為
瑞樹の頭に響く声は、この時少しだけ感情が込められたように僅かながら抑揚がついていた。実の所、瑞樹も分からないでもないと口を一文字に閉じる。
状況は違えども誰かに執着しているのは瑞樹も同じ。ともすればビリーとノルンを守る為に終焉の歌を歌おうとしたあの時も、心情的に似通った部分が無いとは言い切れない。望まない世界なんて壊れてしまえば良いと思ったのは、紛れも無い事実である。
「神の癖に随分とみみっちんだな」
まるで自身にも言っているように呆れた様子で呟くと、再び淡々とした口調に戻った声が響く。
──神とは元来、己を貫く為に存在するような種。汝が知る神話でも大差はそう無い
確かに瑞樹が元の世界で読んでいた本でも、機嫌次第で津波を起こす、豊穣の可否が変わる等と書かれていた。人が神に翻弄されるのは往々にして良くある事と言われればそれまでだが、だからといって簡単に瑞樹が同意する筈も無い。
魔神によって歪められたハンナとシーラの人生。そして自身の人生。全てを清算させる為に瑞樹は心を奮い立たせる。それに呼応するかのように何処か喜色ばんだ魔神の声が瑞樹の頭に響く。
──良い、良いぞ。この長い時の中で最高の出来だ。汝が果てた時、このくだらん世界は我が滅ぼす。そうならんよう汝の全てを以て我を打ち倒してみせよ
「こっちは初めっからそのつもりだ! お前をぶち殺す!」
全てを超えたと証立てる為に。全てにけりを付ける為に。己を貫き通す為に、復讐を果たさんと対峙する。