7-43 目前
「……って事は聖都に行くのは危ないのか?」
「ん? おぉ悪い悪い、不安にさせるような事言っちまったな。そういう噂があるのは事実だが、実際のところ本当に襲われた奴はいないらしい。それに敬虔な信徒であれば、神々がお救い下さるさ。何も心配はいらんよ」
正直な所、ビリーは瑞樹程でないにしろそこまで神に思い入れがある訳ではなく、そもそも聖都に眠る真実を知ってしまっている以上気色悪くさえ感じたらしい。
「どうかしましたか? 兄さん」
顔には出すまいと努めていた様子のビリーだが、長い付き合いであるノルンには見透かされてしまったらしい。しかし「いや……何でもない。それよりも少し話し過ぎたな、早いとこ買い物済ませるぞ」とビリーが白を切るように話題を挿げ替えると、ノルンも異を唱えず素直に従った。
それから久し振りの王都からの旅人に気を良くしたらしい店員に細やかなサービスを受け、ビリーとノルンは足早に宿への道を進む。
「この人混みなら兄さんも話しやすいですよね? さっきの事」
「まだ気にしてたのか」
「あれだけ不愉快そうな顔つきをしてれば気にもなります」
「……そんなに顔に出てたか?」
おかしいなと眉を顰めるビリーだが、ノルンにとってはむしろ何故バレていないと思っているのかと言わんばかりに「はい」と頷き返す。
「まぁあれだ。俺らが想っている聖都と、ここで暮らす連中の聖都の印象。頭ん中では分かってたつもりだが、その差が大きくてちょっと、な」
「あぁ確かに……」
この旅の目的はむしろ敬虔とは全くの逆。となれば聖都側に住む者達にとっての異物でもあり、それこそ彼らにとっては悪魔とそう大差は無いだろう。
「面倒な事が起きる前にさっさと離れた方が良いかもな」
「そうですね。大体は買い出しも済みましたし、フレイヤ様の体調も戻れば明日出発した方が良いかもしれません」
もう一泊分は既に支払いを済ませてある為、いずれにせよもう一夜ここで過ごす事は決定済み。となれば食料を始めとした消耗品の補充が概ね済んだ以上、長居する必要は無い。それにビリーの頭にちらつく悪魔の影が、より一層そういった思考を助長させているようである。
宿へと戻りその旨を瑞樹達と話し合った結果、明日の早朝に出立が決まり、その夜は流石にフレイヤもお酒を嗜む程度に留め、早々に就寝と相成った。
「雨は降ってないが……チッ、霧が濃いな。面倒くせぇ」
朝日が山間から差し込み始めた頃には既に町を出た瑞樹達。その日は雨が降っていないにしても随分と霧が濃く、ビリーは慎重に慎重を重ねながら馬車を巧みに操る。そんな平生以上にゆったりとした馬車の動きに、早起きも相まってノルンは早速馬車の脇にある折り畳み式の椅子で寝息を立てている。
「……瑞樹、そっちの方は夜大丈夫だった?」
「はい、特には問題ありませんでいた。フレイヤ様の方も問題無さそうで何よりです」
昨夜、念の為の悪魔対策として瑞樹達は万が一に備え二人一組となって一夜を明かしていた。対策ならば四人固まっての方が効果的なのだが、わざわざそうする理由をノルンに明かしていない以上何処となく不自然に映ってしまう。その為、戦力比を考えても自力で何とか出来そうな瑞樹とフレイヤを軸に瑞樹とビリー、フレイヤとノルンと、極力違和感を与えないように配慮していた。
「まぁノルンも抱き心地良かったから良いんだけど……どうせなら瑞樹と一緒が良かったのに」
「それは言わないお約束でしょう」
「……ビリーもさっさと瑞樹に手ぇ出せば良いのに」
何処となく不機嫌な様子のフレイヤがじっとりとした視線を向けると、瑞樹はブッと吹いた後「あいつにそんな根性があるなら出逢った日に手を出されてます」と告げ、フイっと顔を背ける。
「……ならあんたから手ぇ出せば? ビリーでもノルンでも、それこそあたしでも。欲張り放題だし全員と関係を持っても気にしないわよ?」
「私が気にするんです……そもそも何故朝からそんなに突っかかってくるんです?」
「べっつにぃ? ただ瑞樹の子種をこっそり頂く最後の機会だったかもな~、なんて思ってる訳じゃないわ」
物言いこそ気恥ずかしい、粗忽さを大いに感じさせるものだったが、最後という言葉一つに全てが詰まっていると、苦言を呈そうとした瑞樹も察したらしく開けた口をキュッと閉じ、僅かに顔を背ける。
終着点は目の前にある小高い程度の山を越えればすぐそこ、最早目と鼻の先だった。旅の結末を英雄譚のような華々しい最後となるだろうと妄想していられる程、子供じみた思考を持っている者はここに誰もおらず、ノルンですら恐らく例外ではない。
瑞樹という一人の人間の物語が結末を迎える。そう思えば思う程、フレイヤの中に得も言われぬ焦燥感が募っているようだ。
「フレイヤ様らしくありませんね。先の事なんて誰にも分からないんですから、それこそ帰る頃にはフレイヤ様の念願が叶うかもしれないんですから」
ただの嘘だと、自身を励ます為だとすぐに察したようだが僅かに逡巡した後瑞樹に苦笑した顔を向ける。
「そう言うんだったら、ちゃんと行動で示しなさいよ?」
「勿論です」
もし、縛り付けてでも帰れば。そう考えた事もしばしばあっただろう。だが実行すれば誰も幸せにならない、望まない結末になるのは明白。となれば最早瑞樹の言葉を信じ、縋るより他ないのだと、口惜しそうに握り締める拳が一層固く締められた。
町を離れてから二日後、旅が始まってから一月と少し。遂に瑞樹達は聖都目前まで到達した。