7-40 旅の最後に
瑞樹が暗殺者に命を狙われてから早一週間、道程もとうに半ばを過ぎているが一番の懸念事項である他の手の者は影すら見せなかった。果たして追っ手を撒く事が出来たのか、それともそもそも存在しないのか。少なくとも瑞樹達が知らぬ水面下で動きがあったのは事実である。
人の目はおろか、陽の光すらまともに入らない鬱蒼とした森の中に、大昔に建立されたであろう朽ちた社の中に男の影が二つある。地元民にすら忘れられた王都のとある地で、密かに会合が行なわれていた。
「おい、あの雇い主が更迭されたらしいぞ」
「あぁ俺も知っている。あいつら、初めから胡散臭いとは思っていたが案の定俺らの忠告を聞かなかったな」
この男達もあの老人程でないにしろ、国からお尋ね者扱いされるような一級品の裏の人間で、今回の依頼を訝しく思ったらしく部下に探らせていたようである。勿論国の裏、ひいては城の陰に潜む暗部を出し抜くのは困難だが、絶対に不可能という訳でもないらしく血の代償を払い続けながら今回の情報を得たようだ。
「一人の標的に対して二重に依頼するな、か。それ自体はあくまで俺達だけの決まり事。矜持ってやつだがそんなもん連中にしたら家畜の糞以下にしか思ってないだろうよ」
「俺らの矜持に則って連中を始末、といきたいところだが場所が城の中とくれば流石に手を出すのは面倒だ。暫くは様子見か」
男は面倒くさそうに溜め息を吐いた。こういう仕事では、ある意味報酬以上に重要な要素が一つある。それがあの老人も言っていた信頼である。完璧に完遂してもらわなければ足がつくかもしれない。万が一失敗した場合暗殺者が情報を漏らしてしまうかもしれない。その逆も然り、陰で生きる者にとって情報漏洩は文字通り命取り。容姿一つであろうとバレていない方が当然が仕事しやすい。
だからこそ矜持を踏みにじった事に対する見せしめ、粛清と同時に口封じという側面も多分に含んでいるようだが、相手は国の重鎮。情報収集までならともかく、暗殺ともなれば六柱騎士を筆頭とした近衛によってむしろ返り討ちにされかねない。不本意ながらも動けないのは恐らくこれが一番の原因だろう。
「まぁ、俺としては狙う予定だった標的がどうなったか気になるが、あの爺が一番とありゃもう仕事は済んでるだろうな」
軽そうにヘラヘラと笑う相手に、男はチッと小さく舌打ちするが確かに自身も気にはなるようで軽く目を逸らしながら顎を撫でる。
「橘瑞樹とか言ったか。噂くらいなら聞いた事あるが、噂通りのバケモンなら俺らが束になっても適いやしねぇ。……万が一ってのがあるかもしれんが、そうなりゃもしろこっちから願い下げだ」
大抵の噂は過剰で色とりどりの尾ひれを付けたようなものばかりだが、その中には確かに真実も存在する。必要に迫られればゴブリンの群れの一つや二つ壊滅せしめるのは可能だろうが、翼竜の群れに古龍まで混ざれば相手しようと考えすらしないだろう。そういう事をやってのける者は大いに手に余る、という事である。
「違いねぇ。俺達はあくまで人殺しが仕事、バケモン退治なんざ勇者サマのお仕事ってな」
二人の男はゆっくりと外へと出ると互いに大勢の部下を連れ歩き、そのまま馴染み深い闇の中へ姿を消していく。その光景は敵では無いが味方でも無い、そんな関係性を表しているかのようだ。こうして密やかに行なわれた会合は誰の目にも耳にも届く事無く終了と相成った。
暗殺者の幻影に気を揉みながらも、道程はどんどん先へと進んで行く。道中幾度か魔物が襲ってきたが、魔物ならばいくらかマシとフレイヤが鬱憤を晴らすかの如く斬り捨てていた。そして一行は目的地聖都への最後の大型拠点である町へと立ち寄ろうとしていた。
「じゃあビリー、あたし達はここで待っているから泊まれる宿を探して来てちょうだい。ノルンも付いて行くのは良いけどはぐれちゃ駄目よ?」
町の入り口より手前に行ったん馬車を停めた瑞樹達は会議の結果、いつものようにビリー達に宿の手配をお願いした。すると二人は「承知しました」と異口同音に頷き、町の入り口へと近付いていく。一応検問らしき姿はあるようだが、どうやら身元確認は必要無いらしく、代わりに入町料を徴収している。
王都の方でも無い訳ではないようだが、どちらかと言えば身元確認に重きを置いている傾向にあり、瑞樹としても珍しそうに遠目に見ていた。
「瑞樹、一旦荷台に入りましょ。雨で冷えちゃうわよ」
瑞樹は「はい」と頷きながらも視線は一点を捉えて離さず、動こうとしなかった。訝しく思った様子のフレイヤが近付き、入町料を取っているのがそんなに珍しいのかと視線を追ってみると、どうやら視線の先は違う物を捉えていたようで、フレイヤもスッと目を細める。
「あれが、あの先が聖都ですか」
「そうね。あの山さえ越えればすぐの筈よ」
瞳に未だ見ぬ聖都を想像している様子の瑞樹の顔はどんどん眉間に皺が寄り、固く閉ざしている拳もギリギリと音が聞こえんばかりに力強く握っている。いよいよと滾る気持ちに呼応するかのように、瑞樹のみならずフレイヤまでもが視線の先に何か感じていたようだ。到底言葉で表現出来ないような超常的な何か、二人が予想している事は、恐らく正しいだろう。
しかし今から気を逸らせていては心身が保たないと、フレイヤは瑞樹の頭にポンと手を乗せ「ほら、中に入るわよ」と声を掛け、瑞樹もハッとした様子で目をしばたたかせた後、こくりと頷き背中を追った。
ザァザァと一定のリズムで降り続ける雨をボーっと眺めながら暫く過ごしていると、漸くビリー達が馬車へと戻り、ビリーはそのまま御者台へ、ノルンは荷台へと駆けこむように慌ただしく入って来た。
「すみません、遅くなりました」
「気にしなくて良いわ。それで、良い場所は見つかった?」
フレイヤがノルンにタオルを手渡しながらそう尋ねると、ノルンは謝辞を述べて顔を拭いた後「はい。私は高いなぁくらいしか分かりませんでしたが、随分立派なお宿です」と声高に答えた。
「あら、じゃあ楽しみにしておくわね。お疲れ様ノルン」
「ノルン、その宿ってどの辺りなの?」
瑞樹にそう問われると、ノルンは正面側の小窓から小さく指を指し「あの一際目立つ時計台の近くです。あの時計台もそのお宿の持ち物らしいですよ」と先んじて得た情報を交えながら答えた。確かに町の入り口からでも随分と大きく立派な時計台が見えており、特にフレイヤは久し振りにまともな寝床で寝られるかもと顔をニヤつかせていた。
「随分立派そうだね、ノルンのお手柄かな」
瑞樹はノルンの頭を撫でると、ノルンもエヘヘと笑みを浮かべながら定位置である瑞樹の膝へと座った。それから程無くして馬車が宿の敷地内へと入ると、決して華美では無いが洗練された意匠の庭に、地味ながらも手入れが行き届いている屋敷のような宿が瑞樹とフレイヤにも見え「おぉ」や「へぇ」といった感嘆の声を漏らしていた。
繁繁と見つめていると不意に御者台の方からコンコンと叩く音が聞こえ、瑞樹は一旦ノルンに退いてもらってから「どうかした?」と御者台側の小窓から顔を覗かせる。
「おう、もうじき着くから宿に持って行く荷物を纏めといてくれ。悪いが俺の分も頼むわ」
「うん分かった。準備しとく」
小窓を閉じた後、同様の旨をフレイヤにも伝え若干慌ただしそうに荷物を纏め始めた。そして宿の入り口に到着し、瑞樹達が荷物を抱えながら降りると何故かビリーも降りていた。
「あれ、ビリーも降りてるけど馬車はどうすんの?」
「なんでも宿の人間が馬房の方に持って行ってくれるんだとさ。至れり尽くせりってやつだな」
瑞樹がへぇと漏らしていると、ウキウキしている様子のフレイヤに「あんた達何してんの、早く来ないと置いてくわよ」と急かされ、若干呆れ口調で返事をしながら後ろを付いて行く。
「へぇ、中もまぁまぁね」
フレイヤがまぁまぁと認める程、以前山越えをする前に泊まった宿とは比較にならないレベルのエントランスを進み、先んじてビリーが「先程の者です」と受付けの塔婆に声を掛けた。
「あぁと、ビリー様ですね。ではお代をお願いします」
ビリーは外套の裏側をゴソゴソと漁り革袋を手に取ると、中から四枚の金貨を取り出してカウンターの上に置く。老婆はそれをじっと見つめ本物かどうか確認した後「では本日分のお代は頂戴いたしました」と金貨を握り締め、代わりに黒いプレートに番号が書かれた鍵を四本差し出した。
「部屋は三階になりますので、そこの階段からどうぞ。それと、別途料金が必要になりますが各種サービスが御座いますので、よろしければご一考頂ければ。それではごゆっくり」
ビリーは鍵を受け取り、そのまま皆を促しながら階段を昇って行く。
「今回は四部屋借りたのね」
「まずかったですか? 正直一日で一人頭金貨一枚ってのは高いと思ったんですけど、残念ですが安宿は空いてなかったんです」
フレイヤの問いにビリーがそう答えると、フレイヤは「いや別に? むしろこの規模の宿なら妥当でしょ」と別段気にしていない様子で返した。特に金額に関して気にしていない様子のフレイヤだが、平民根性が沁みついているビリーや内心瑞樹も高いと思っているらしく、若干ソワソワとしながら辺りを見渡している。
ともかく目的の部屋の前まで着いた一行は、ビリーから鍵を受け取っていた。
「部屋割りは別に何でも良いですよね?」
「別に良いんじゃない? 何かあれば勝手に入り込むから。ねぇ瑞樹?」
ムフフと笑うフレイヤに、瑞樹はハァと溜め息を吐きながら「鍵はかけさせて頂きます」と告げ、カチャリと開錠して扉を開く。
「まったく、つれないわねぇ。……へぇ、結構良い部屋じゃない。正直期待以上だわ」
瑞樹の陰から部屋の中を覗いたフレイヤは感嘆の声を漏らした。フレイヤの評価通り中は細やかに整頓されており、一人部屋ならば十分過ぎる広さとベッドの大きさである。フレイヤ曰く、ともすれば下位貴族の一部屋に相当しそうな程で、一泊金貨一枚も納得の値段らしい。




