第三十九話 『大魔法使いの弟子』
ティナことラクティーナ=エッテンラーナ=ビッテンルーナは、大魔法使いの弟子である。
天才と呼ばれた。
一流である自負もある。
だが、人間だ。
血も流す。涙も流す。心ない言葉をぶつけられれば悲しくもなるし、怒りもする。
どれだけ巧みに魔法を操れるとしても、それは彼女にとって一面でしかない。
他人がどう思おうと、単なる人間であるという事実からは誰も逃れられない。
そしてそれは普段意識されることはない。
本人にも、他人にも、声高に口にされることはない。
ただ、他人の汚い手が不躾に傷口に触れたとき、痛みとして――声なき叫びとして彼女を苦しめ、目を背けていた黒い何かを呼び起こすことがある。
ティナはハミンスの街にある魔法使いギルドに顔を出していた。
ゴブリンキング退治の際にあったイレギュラー、つまりはゴブリンカイザーについての報告をしなければならなかったからである。
冒険者ギルドが役所であるとすれば、職能ギルドは会社に近い組織形態を取っている。
職能ギルド――盗賊ギルド、戦士ギルド、そして魔法使いギルドといった場所は互助会としての意味合いが強い。
ゴブリンカイザーのような、Aランクのティナでも太刀打ちできない存在が出現した。
大事件である。
局地的な天災と言い換えても良い。
情報の詳細を調査し、詰めて、共有すべき事態のはずである。
が、すでに討伐済みであること、ゴブリンカイザーがいた証明はすでに不可能なこともあり、Cランクであったアラウィーンとヨースケの存在が調査員の疑念に拍車を掛けた。
単なるゴブリンキング退治の報酬をつり上げようと画策しているのではないか、と。
ティナが激怒したのは言うまでもない。
キングとカイザーでは、ただのドラゴンとエンシェントドラゴンくらいの差がある。
そんなのが恒例のゴブキン沸きに出てくるわけがない。
ヨースケらと別れた後、再び話を聞かれたティナを待っていたのはそんな追求だった。
なるほど。Cランクの彼らの言葉には説得力がない。そういう見方もあるだろう。
へえ。ゴブリンキング退治の依頼を伝えた相手はラクティーナ嬢だから。ふうん。
他の冒険者から報告があったゴブリンの極端な増殖速度は、ゴブリンキングでも起こりうると。ああそう。
だいたいそんな恐るべき敵なら武具級のはずで、証拠が残らないのはおかしい。
ぐ、とティナは言葉に詰まった。
それを言われると弱いのだ。
通常、ドロップ品である武具――特に国が傾くような伝説級のモンスターが遺す武具であれば、最上位の攻撃魔法でもほとんど傷つかない。さらに特殊な能力を備えており、場合によっては国宝認定されるほど凄まじい性能であることも珍しくない。
そんな貴重品が、ゴブリンカイザーを倒したときに使った攻撃魔法の余波で、よく分からない金属の塊しか残らなかったという。
余波である。
直撃ではないのだ。
あるはずがない、と言い切られてもおかしくはない。
そこは正直に余波と語った。
直撃させたとウソを吐く手もあったが、戦闘後、ドロップしたばかりの天の恩寵とも言われる伝説級の武具に、わざわざ最上位以上の攻撃魔法を撃ち放つ理由など思いつかない。
無意味だろう。
調査員は全くもう、と言いたげに笑った。
◇
感情は荒れ狂っていたが、困ったことに調査員の考えは理解できてしまう。
そうなのだ。立場が違えば、自分も疑ったかも知れない。
ことの大きさが大きすぎるがゆえに、大ボラと受け止められた。――というより、そんなものが生まれたことも、知らないあいだに倒されたことも信じたくないのか。
事実を証明するためには、説得力がいささか足りないことは認めよう。
全てを語れたわけではなし、伝え方に問題があったかもしれない。
ヨースケが伝説の「魔導士」であることを告げれば、信憑性は上がるだろう。
結局、それを口にしなかった。
ヨースケは友人である。友人に、なるべくなら隠して欲しいと頼まれた。
ならば仕方がない。
仕方ないのだ。
激情が、腹の底から膨れあがる。
咬み千切りたくなる気持ちは、ただひたすらに狂おしく。
仕方ない。
そうだ、仕方がない。
自分も、相手も、人間である以上、思うのは自由だ。
どんな邪推も、身勝手な押しつけも、そう思うだけなら好きにすればいい。
どんな人間だって思ってしまうことはやめられない。
それは同じだ。そこまでなら許容しよう。
そっちがそう考えるのは、理解できる。
人間、自分の都合や基準でものを考えるから、そう思うのも仕方がない。
だから、これも勝手な感情だ。
不愉快だ。
ただひたすらに不愉快だった。
それをわざわざ聞こえるように語るその無神経さに虫酸が走る。
往々にして、他人とはそういうものだ。
分かっている。
所詮、その程度の存在なのだと。
一瞬だけ、笑顔で振る舞うことを忘れた。
大魔法使いの弟子であるがゆえに、いつも受けてきた嫉妬や期待を強く思い出した。
最初は誰もがそうだった。
褒めて、期待していると口にして、次はどんな凄いことをしでかすのかと囃し立てて。
そのうちに……みんな離れていった。
残った者たちも、自分の言葉が相手にどんな影響を与えるかも斟酌しないで、勝手なことばかり押しつけてくるばかり。
うんざりだ。
何もかも、何もかもが……
――不意に思い出したくもない記憶が蘇り、それに蓋をした。
大きく息を吐いて、心を落ち着ける。
まだ、ゴブリンカイザーと戦ったときの動揺が残っていたのかもしれない。
自分は凄腕美少女魔法使い。
大丈夫。わたしは天才だ。何だって出来る。いつだって可愛い。
よし。
◇
それから、ティナは落ち着きを取り戻した。
危惧も怒りも言いたいことも秘密も何もかも飲み込んで、大人しく引き下がった。
ただ、一瞬だけ漏れた激発のためにか、調査員の顔は蒼白だった。
これではヨースケを笑えない。
巨大な感情の振幅で、魔力の制御がボロボロになっていたようだ。
血塗られた斧でも振り回しているようだった、と後ほど調査員は零していたらしい。
一歩間違えれば――いや、ヨースケがいなければ死んでいた。その自覚もある。
一時的にでもパーティーを組んだ相手を命の恩人扱いしているときりがないから、そういう風に思うことはないが、それでも感謝と敬意を払っているわけだ。
いくら冒険者が自己責任を旨としている存在であっても、ゴブリンキング相当の強さを持ったジェネラルがいた時点で、調査不足であったことは確実だ。
これは冒険者ギルドが調査にも冒険者を利用していることの弊害だ。彼らは自前の戦力を持っているわけではない。
冒険者がゴブリンキング発生の兆候を報告し、そのままギルドも前例から認定した。
そのお鉢がティナに回ってきた。
結果からすれば、それだけのことであり、いつもの冒険者ギルドと言えば確かにそうだ。
実のところ、冒険者ギルドの危機感の薄さについてティナは文句を言える立場でもない。
お役所仕事だからこそ助かっている面もある。
苦笑し、依頼と結果がゴブリンキングだったことにする結論に同意して、話を切り上げた。
口止めはなかったから、自分たちで吹聴する分には自由なのだろう。
信じる者がいるかどうか、わざわざ信じさせる意味があるかについては疑問だが。
それでも……何もかもを腹に収め、消化しきれるわけではなかった。
◇
それはそれとして、魔法使いギルドへ報告はした。
二階のテラスでくつろいでいた幹部の一人に、鬱憤を晴らすように概要だけ語ったのである。
誰に告げるべきか迷ったが、良い場所に丁度良い相手がいた。
ほどほどに階級が高く、ほどほどにティナと距離のある人物だったのだ。
ヨースケが魔導士であることを適当に隠した内容だったが、幹部はアラウィーンの名前が出てきたところで納得したように頷いた。
途中、座るように促され、ティナもそのテーブルに同席した。
女中がさりげなく近づいてきて注文を聞かれた。紅茶を頼むと、足音もなく遠ざかった。
「ご存じですか」
「ああ。ゴバールレスタ子爵家の御曹司だね。……そうか、もうそんな時期だったか」
「というと」
「あの家は古くてね。貴族の中でもかなり特殊なんだ。先祖が戦ったゴブリンの魔王の再来を恐れて、そのために古い業と聖剣を伝えている――とはもう聞いたかな」
「一緒に戦いましたから」
実際には、ティナは彼が戦闘している場面はほとんど目にしていない。
が、話だけは大まかに聞いた。
「代替わりの時期になると若君がゴブリンキングを倒すのが通例なんだよ。ゴブリンの専門家としてはこれ以上無いほどだと言われていてね。ほら、ゴブリン抹殺魔法というのがあるだろう」
「ああ、あの普通のモンスターに全然効かない不思議な攻撃魔法ですね」
「そう。ゴブリン特効――より正確には、ゴブリンの依り代となっている部分にダメージを与える特殊魔法なんだ。ゴブリン系以外には一切効かないのはそこに理由があるんだろうけど。あれ、前に調べたけど他に転用する術式が最後まで分からなかったなあ……」
「あの」
灰色ローブを着込んだ幹部は、珈琲カップ片手に苦笑した。
痩せぎすの体型は、魔法使いの平均よりもなお細い。
声は意識してか、いささか低い。周囲に聞こえないようにするためだろうか。
幹部の表情が窺えず、声から感情を判断するほか無いのは、フードをかぶったままだからだ。
実に怪しげな風体であるが、いつも同じような格好であるため、今更誰も指摘したりはしない。
ティナもあまりお近づきになりたくないと思っていた。
が、話してみると案外普通だった。
「ああ、ごめんね。興味深いけど、本題は違うね。……ゴブリンでは最強格として扱われるゴブリンキング相手でも、今で言うAランクなら圧倒できる。当時も苦労したとも思えない。なのに、わざわざゴブリン特効の魔法や聖剣を用意する必要なんて存在しないと思わないか?」
「……それが必要になる敵が、過去にもいた。それがゴブリンカイザーだと」
「逆説的になるけどね。だからボクは信じるよ」
「ありがとうございます」
「ま、ゴブリンの魔王が過去にも現れて、それを退治した。そうでも考えないとゴバールレスタ子爵家の成り立ちがおかしくなるからね。ゴブリン相手の話で彼らがウソを吐くことも無いだろうし」
運ばれてきた紅茶に口を付けると、ティナは嘆息した。
報告したものの、果たして意味があったかというと疑わしいと今更に気づいたからだ。
よっぽど頭に血が上っていたらしい。
最上位の攻撃魔法も、物理攻撃もほぼ通用しない。
魔導士による全力の超火力を除けば、ゴブリン特効である聖剣を使うほか無い。
しかも撃退済み。
いや、再び現れたときには対処法が分かるし、情報があるに越したことはないか。
考え直したティナは、灰ローブの幹部から面白いものを見る視線を向けられていた。
「なんです」
「大魔法使いの弟子ともあろう君が、ずいぶんと感情に支配されていると思ってね」
「……嫌味ですか」
「ほら、そういうところ。若いよね」
「似たような年齢だと思いますが」
「そう見えるかな」
くつくつと笑って、灰ローブの幹部は肩をすくめた。
つい挑発で返してしまったが、怒ってはいないと示してくれていた。
「だいたいさ、君は外様だろう。ハミンスの魔法使いギルドに報告する義務なんてなかったはずじゃないかい」
「お師匠様から、なるべくここに協力してやれと言われてますので」
「は、は、は」
「何がおかしいんです」
「いや、男連れの……あの可愛らしいお嬢さんはどこに行ったのかと思ってね」
「……はい?」
「ヨースケ君とか言ったっけ。彼と一緒にいるところを見てたんだよ。ああ、別にラクティーナ君を監視してたとかじゃないよ。たまたま良く行くご飯どころで目にしただけさ。ま、君も年頃の娘さんだったってことだね」
悪意が無いのは本当だろう。ただ、玩具を見つけたような笑い方だった。
ティナはばつの悪い顔をした。
見られたからといってなんてことはないが、少しだけ気まずい気分を味わった。
「大魔法使いスティングホルトの一番弟子であり、稀代の天才といえども……友人づきあいは大切にしたほうが良いよ。うん」
「何を唐突に」
「いや、ボクの友人にもぼっちをこじらせた子がいるんだけどね。……フッフッフ」
「わたし、ぼっちじゃないですし」
「そうかな」
「そうです」
「その割には随分と……おっと、怖い怖い。そんなに睨まないでくれたまえよ」
随分と気安く言われてしまった。
言われた通り、ティナはここではお客様の立場だった。魔法使いギルドの基本理念は選良による研究であり、組織はそのための機関である。
大魔法使いという無視出来ないビッグネームの後ろ盾を持ち、つい最近このハミンスの街で活動を始めた彼女を快く思っていない魔法使いギルドの構成員もいる。
盗賊ギルドや魔法使いギルドはその傾向が特に強いが、職能ギルドは大抵が閉鎖的なのである。
互助会なのだから、仲間には胸襟を開き、それ以外は力尽くで排除するのが普通だ。
戦士ギルドなどはかなり開放的だ。
しかし、それは隠すべき情報が無いからとも言える。
「ああ、そうだ。忘れるところだった。ほら、これ」
「これは……これが、《記述式》ですか」
「以前、依頼しただろう? 確か三ヶ月ほど前だったかな」
「その相手は、あなたではなかったはずですが」
見せつけるように取り出されたのは、十枚ほどの紙片だ。
ティナが睨むが、相手の表情は変わらない。
ニコニコしているままだ。
冷めてしまった紅茶を飲み干し、ティナは口の端をつり上げる。
「魔法使いギルドの中でボクに隠し事をしようだなんて、甘いとしか言いようがないね」
「その交渉をしたの、冒険者ギルドの隅っこでしたよ」
「……おっと」
「あなたの息の掛かった人間は避けたつもりだったんですけどね」
「フッフッフ。もう少し内側に踏み込んでいれば分かっただろうにね。だからお客様扱いなんだよ。勉強になったかな、ラクティーナ嬢」
気がつけば周囲から人間の気配が消失していた。
所属員がよく通りがかる二階のテラスだというのに、随分と静かで寂しい空気だ。
口にしなくても、周りが気づいて人払いをしてくれる。
なるほど、ここは自分の領域ではなかったか。ティナは渇いた唇をそっと舐めた。
「……おいくらです?」
「その前に、どうしてこんなものが必要なのかを知りたいね。その答え次第では代金は負けてあげてもいいよ」
普通に笑顔で尋ねてくる幹部に、ティナは軽く微笑んだ。
無言で見つめ合うのは十秒ほどで、嘆息し、もう一度口を開いた。
「おいくらですか」
「……やっぱりガラクタじゃなかったのか。それはそうだよね。こんな紙片でも金貨級より上とされる道具級が落とすんだ。ハズレ扱いしてるのは見る目がなかったってことなのかな」
役者が違う。
ティナは諦めて、大げさに落胆した表情を見せてから、俯いた。
顔を下に向けたまま、ぼそぼそと喋った。
「お師匠様からの課題のひとつです。見つけたら買い集めて、自力で理解してみろとのことで」
「おやおや。いいのかな、それをボクに教えて?」
「知りたいと言ったのはあなたです。後悔しても知りません」
「……うん?」
「正直、お師匠様からの課題はわたしには手が余ることが多いので……その苦労を一緒にしてくれるというのなら協力するに吝かではありませんよ?」
「あれ? 何かボクの想定していた展開と違うんだけど」
初めて慌てたその声を聞き届けると、ティナは顔を上げて、満面の笑みを浮かべた。
それまでの距離を取った口調を切り替えて、まっすぐ告げる。
「じゃあ、《記述式》集めは頑張ってね」
「え、丸投げ!?」
「現地協力者として師匠に名前は伝えておいてあげるわ!」
「ちょ、ちょっと」
「良かったわね。四人目の弟子入り、その道が開けたかもしれないわよ! さっきから聞いてて隠し切れてなかったけど、わたしの持っている大魔法使いの弟子って立場が羨ましかったんでしょ? わたしは仲間が増える分には全然構わないわ。ほら、一緒に茨の道を行きましょうよ! ねえ! みんなで手に負えない課題に挑みましょうよ! ほら、ほらあっ!」
ティナに詰め寄られて、灰ローブの幹部は引き攣った笑みを浮かべた。
冒険者ギルドの調査員相手に溜まっていた鬱憤を晴らすのに丁度良かったのだ。
わざわざ挑発的に動いてきたのだから、反撃されても覚悟の上だろう。
ティナの師匠は、極めて奇矯な人物である。
腕は最高。しかし人間として付き合いたいかと言われると首を傾げる。
そういう御仁の修練に気兼ねなく余人を巻き込めるとなれば、こんなに嬉しいことはない。
被害者が増えるのだ。
自分の弟子入りだって似たような経緯で強制されたものだった。
ざまあみろ、とティナは暗い笑みを浮かべている。
「あらら。ボク、早まったかな?」
「ところで……二十歳越えてるのに、一人称がボクは辞めた方が良いと思うわ」
「……え? そうかな」
「聞いてて痛々しいもの。あと、室内でローブのフードまでかぶったままなのはどうかと」
「……そう……かな」
「そうよ」
灰色ローブは目深にかぶっていたフードを上げた。
「あら可愛い」
「……褒めてないよね、それ。君も言った通り、ボク、二十歳越えてるんだけど」
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