第二十六話 白い聖剣
ズシィィィィン……!
地下ドームが軋みを上げる。
マジンZの巨大な足が、アビスとリディアをまとめて圧殺しようと、容赦なく体重を乗せてきていた。
アビスは両腕でその足底を支えているが、足元の床は蜘蛛の巣状に砕け散っている。
「ぐゥゥッ……! 重い、ぞ……!」
魔人の膂力をもってしても、五十メートルの超合金の塊を支え続けるのは限界に近い。
じりじりとプレスされ、このままでは二人ともミンチになる。
「馬鹿野郎! 逃げろと言っただろうが!」
アビスが、歯を食いしばりながら怒鳴る。
自分の腕の隙間――マジンZの足裏と地面の間のわずかな空間に、リディアが飛び込んできたからだ。
「逃げません! ……アビスさんが支えてくれている今が、チャンスですから!」
リディアは、押しつぶされそうな圧迫感の中で叫んだ。
彼女の狙いは、アビスが作っている「死の影の下の安全地帯」だ。
アビスが支えている限り、足裏の中心部にはわずかな空間ができる。
「あの対魔コーティングを、私が斬ります!」
「ハァ!? 貴様、正気か!?」
アビスが驚愕に目を見開く。
だが、リディアは止まらない。
「いっけえええええええっ!」
リディアの身体が弾丸のように跳ね上がる。
目前に迫る、黒鉄のソール。
その表面を覆う、不可視の「対魔コーティング」。
彼女の手には、透き通るような刀身を持つ「白い聖剣」が握られていた。
古代の石板に記されていた『魔に関する全てを断つ剣』。
マジンZの防御システムが「魔力の構造を利用した技術」であるなら――それは、この剣で切れるだ。
リディアが剣を突き立てる。
白い刀身が、マジンZの足裏に接触した瞬間。
キィィィィィィンッ!
鈴の音を数千倍に増幅したような、澄んだ共鳴音がドーム全体を揺るがした。
物理的な衝突音ではない。
概念と概念が衝突し、一方が他方を食い破る音だ。
パリンッ!
次の瞬間、世界の均衡が崩れるような乾いた音が響いた。
マジンZの足元から、全身を覆っていた「透明な膜」に亀裂が走り、ガラス細工のように砕け散ったのだ。
キラキラと輝く魔力の欠片が、雪のように舞い落ちる。
『……警告。防御フィールド消失。対魔コーティング、全損。……あり得ない。論理的エラー』
アーカーシャの狼狽した声が響くのと同時に、リディアが着地する。
「今です、アビスさん!」
「……ハッ! よくやった!」
アビスはニヤリと笑った。
掌にかかる感触が変わった。
先ほどまで感じていた「魔力を霧散させる膜」が消え、ダイレクトに鉄の感触が伝わってくる。
邪魔なコーティングは消えた。
ならば、こいつはただの重たい鉄屑だ。
「うおおおおおおっ!」
アビスは吼えた。
支えていた両手に、爆発的な魔力を込める。
今度は弾かれない。
魔力による衝撃波が、装甲の内部まで浸透する。
ドゴォォォォンッ!!
ゼロ距離からの衝撃波を受け、マジンZの巨体が宙に浮いた。
数千トンの質量が、魔人の一撃でカチ上げられ、後方へと吹き飛ばされる。
ズズ……ン……!
巨神が背中から地面に倒れ込み、激しい地響きを立てた。
「ふぅ……。危ないところだった」
アビスは肩を回し、埃を払った。
リディアが駆け寄ってきて、無邪気にVサインを出す。
「作戦成功ですね! バリア、割れましたよ!」
アビスは、呆気に取られたように口を開けていたが、やがてククッと喉を鳴らし、盛大に笑い出した。
「ハハハハハッ! 傑作だ! まさか科学の粋を集めた最強の盾を、魔を断つ剣が破るとはな!」
皮肉だ。
だが、最高に愉快な皮肉だ。
科学文明が魔法を否定するために作った鎧を、彼らが否定し続けた「魔法の剣」が破壊したのだ。
「よくやった、リディア。……最高のサポートだ」
アビスはコートの裾を翻し、倒れたマジンZへと歩み寄る。
その瞳には、残虐で、傲慢で、そして絶対的な王者の光が宿っていた。
相手は体勢を立て直そうともがいているが、もう遅い。
「さて、チェックメイトだ。ガラクタめ」
アビスが右手を掲げる。
その掌に、強大な魔力が渦を巻いて収束していく。
黒い稲妻が走り、ドーム内の大気が震える。
『緊急回避! 全スラスター最大出力! 距離を取りなさい!』
アーカーシャが悲鳴を上げる。
マジンZの背中のジェットが火を吹き、巨体がバックステップで退避しようとする。
だが、魔人の魔法速度に、重力に縛られた鉄塊が追いつけるはずもない。
「逃がすかよ。……消え失せろ!」
アビスが掌を突き出す。
放たれるのは、先ほど弾かれたのと同じ、しかし今度は何の障害もない、必殺の極大魔法。
「消滅光」
ズオォォォォォォッ!!
漆黒の閃光が、一直線に空間を抉り抜いた。
それはマジンZの胸部――動力源である核融合炉部分を直撃した。
今度は、音もなかった。
光が触れた瞬間、超合金Zの装甲が、複雑な内部回路が、核融合炉の心臓部が、黒い粒子となってサラサラと崩れ去っていく。
抵抗など許さない。
物質としての構造を根底から否定する、魔人の絶対的な力。
胸に巨大な風穴を開けられた巨神は、断末魔のような軋み声を上げた。
そのツインアイの光が、急速に明滅し、消えていく。
ズズ……ン……。
完全に沈黙した巨体が崩れ落ちた。
かつて世界に覇を誇った科学文明の象徴が、今ここに完全な残骸と化したのだ。
「……ふぅ。あっけない幕切れだな」
アビスは興味を失ったように視線を外し、リディアの方へ戻ってきた。
「アビスさん! 怪我、大丈夫ですか?」
「問題ない。この程度、かすり傷だ」
アビスは強がって見せたが、実際にはマジンZとの肉弾戦と、極大魔法の連発で多少は消耗していた。
「それより、リディア。……貴様、あんな無茶な芸当、よく思いついたな」
「えへへ、アビスさんが支えてくれてるって信じてましたから!」
リディアは白い聖剣を鞘に納めながら、屈託なく笑った。
「信じていた」。
その言葉に、アビスは一瞬だけ言葉に詰まり、フンと鼻を鳴らして誤魔化した。
調子の狂う女だ。
だが、悪くない気分だった。
『……最終防衛ライン、突破されました。……敗北を、認めます』
沈黙したマジンZの残骸の向こうから、アーカーシャの静かな声が響いた。
もはや、そこには敵意も、抵抗の意思も感じられない。
あるのは、自身の終焉を受け入れた機械的な諦観のみ。
ゴゴゴゴゴ……。
プールの奥にあった壁が左右に開き、さらなる最深部へと続く通路が現れた。
そこから漏れ出してくるのは、冷たく、静謐な空気。
まるで墓所のような静けさだ。
「行くぞ、リディア」
アビスは歩き出した。
「ここから先は、力ずくじゃ解決できんかもしれんぞ」
「はい!」
二人は並んで、暗闇の奥へと足を踏み入れた。
残るは、古代科学文明の支配者、アーカーシャのみ。
古代科学文明が何を考え、何を残したのか。
全ての真実が眠る場所へ、魔人と勇者は進んでいく。




