第十話 被検体ナンバー・ゼロ
ブゥン……。
低い駆動音と共に、無数のモニターが一斉に点灯し、暗闇の中に浮かぶ。
部屋の中央にある巨大なメインスクリーンに、砂嵐のようなノイズが走る。
リディア・クレセントは、その異様な光景に息を呑んだ。
そこは、剣と魔法の世界の塔内とは思えない、冷徹で無機質な「観測室」の様相を呈していた。
「……何かが始まりますよ、アビスさん。これは……『動く絵』ですか?」
リディアは、アビス(犬)を抱き寄せ、不安そうに囁いた。
アビスは答えない。
彼の黒い瞳は、画面に釘付けになっていた。
全身の毛が逆立ち、本能的な拒絶反応と、抗いがたい懐かしさが入り混じった寒気が、背筋を駆け上がっていた。
(……ああ。そうだ。これを見るために来たんだ)
アビスは、震える体を抑え込んだ。
画面のノイズが晴れ、一人の老人が映し出された。
白衣のようなローブを纏い、片目に魔導義眼を埋め込んだ男。
背景には、複雑な魔法陣と機械が融合した設備が見える。
『―――私は、主席魔導研究員、アルトリウス。……今日の日付は、神暦四〇九六年。プロジェクト「黒き太陽」の最終報告を、ここに記録する』
老人の声は、疲労と、そして深い悔恨に満ちていた。
『この記録を見る者が、我らと同じ過ちを犯さぬことを祈って。……我々は、禁忌に触れてしまったのだ』
「……禁忌?」
リディアがごくりと唾を飲み込む。
映像が切り替わった。
映し出されたのは、巨大なガラス管のような培養槽が並ぶ実験室だった。
その中央の培養槽の中に、一人の「人間」が浮かんでいた。
銀色の長髪。
筋肉質で引き締まった体躯。
全身には無数の管が繋がれ、淡い紫色の液体の中で、胎児のように丸まっている。
「……っ!?」
リディアが息を止めた。
アビスの心臓が、早鐘を打った。
そこに映っているのは、間違いなく「彼」だった。
千年前の、まだ「魔人」と呼ばれる前の、ただの実験体だった頃のアビスだ。
『我々「魔導王国」は、長きにわたり隣国の「科学技術帝国」と戦争状態にあった』
老人のナレーションが続く。
画面には、魔法と機械が衝突する凄惨な戦場の映像がインサートされる。
空を覆う鋼鉄の戦闘機。
大地を焼く魔導砲。
互いの正義を掲げた殺し合い。
『科学帝国の兵器は強力だった。我々の魔法攻撃を弾く「対魔装甲」を持つ彼らに、我々は劣勢を強いられていた。……我々は焦っていたのだ。このままでは国が滅びると』
映像は再び実験室へ。
カプセルを取り囲む魔導士たちが、狂気じみた熱意で議論している。
『そこで我々は決断した。人の身でありながら、神に匹敵する魔力を行使できる「生体兵器」を造り出すことを。……制御可能な、最強の魔人を』
「……生体、兵器……?」
リディアの声が震えた。
彼女には、難しい言葉の意味は完全には分からない。
だが、画面の中のカプセルに閉じ込められた青年が、ひどく苦しそうに顔を歪めていることだけは分かった。
『被検体ナンバー・ゼロ。……膨大な魔力と、「破壊」の概念そのものを魂に植え付けられた、人造の魔人』
画面の中で、魔導士がスイッチを押した。
カプセル内の液体が泡立ち、高圧電流のような魔力が青年に流し込まれる。
―――GYAAAAAAAAAAAAAッ!!
音声はないはずなのに、魂を削るような絶叫が聞こえた気がした。
青年の背中が弓なりに反り、目が見開かれる。
その瞳は、深淵のような紅色に染まっていた。
「ひどい……! 何をしてるんですか! やめてあげて!」
リディアが叫んだ。
彼女は画面に手を伸ばそうとしたが、それは千年前の幻影だ。
届くはずがない。
アビスは、ただ静かにその光景を見つめていた。
痛みは、覚えていない。
あまりにも激しすぎて、記憶から焼き切れてしまったからだ。
だが、あの時の「感情」だけは鮮明に蘇る。
憎悪。
絶望。
そして、全てを壊したいという、焼け付くような渇望。
『実験は成功した、と我々は思った』
老人の声が低くなる。
映像は、戦場へと切り替わった。
荒野に立つ、一人の男――完成した魔人アビス。
彼は、押し寄せる科学帝国の機械軍団、ロボット兵たちの前に、たった一人で立っていた。
『行け! 我らが最高傑作よ! 敵を殲滅せよ!』
指揮官の魔導士が叫ぶ。
アビスが、ゆっくりと手を掲げた。
次の瞬間。
ドォォォォォォォォォォンッ!
画面が白く染まった。
魔法ではない。
それは純粋な「力の奔流」だった。
重力が歪み、大地が捲れ上がり、数千のロボット兵が一瞬にして鉄屑へと変わった。
圧倒的な暴力。
神の御業と見紛うほどの破壊力。
「……すごい……。魔法一発で、あんなに……」
リディアは呆然と呟いた。
彼女もまた規格外の強さを持つ勇者だが、画面の中の「彼」の力は、次元が違っていた。
それは、生命が持っていい力ではなかった。
『我々は歓喜した。これで勝利は我々のものだと。……だが、我々は知らなかったのだ。彼に植え付けた「破壊衝動」が、我々の制御コード如きで縛れるものではないことを』
画面の中で、惨劇が始まった。
敵軍を全滅させたアビスは、動きを止めなかった。
彼はゆっくりと振り返り、背後にいた味方――魔導王国の軍隊へと、その手のひらを向けたのだ。
『なっ……何をする! 我々は味方だぞ! 止まれ! 止まれぇぇぇッ!』
魔導士たちが制御盤を操作し、緊急停止信号を送る。
アビスの首につけられた「服従の首輪」が赤く発光し、彼に激痛を与えているはずだった。
だが、アビスは笑っていた。
痛みなど、快楽であるかのように。
狂気の笑みを浮かべ、彼は「味方」だったはずの陣地へ、極大魔法を放った。
ドガガガガガガガッ!
悲鳴。
爆発。
崩壊。
守るべき祖国、生み出してくれた創造主たち。
それらが、塵となって消えていく。
『彼は、敵国だけではない。……我々の国までも、滅ぼしたのだ』
老人の声が震える。
『我々は、兵器を作ったつもりだった。だが、我々が生み出したのは……制御不能な「災厄」そのものだったのだ』
映像の中の地図が、黒く塗りつぶされていく。
科学帝国も。魔導王国も。
大陸の半分が、一人の魔人によって焦土と化した。
「……そんな……。自分の国まで……?」
リディアの顔から血の気が引いた。
彼女の正義感では、理解が追いつかない。
なぜ?
どうして?
あんなに酷いことをされたから?
それとも、心が壊れてしまったから?
(……違うな、リディア)
アビスは、心の中で冷ややかに否定した。
復讐のためじゃない。
ただ、「壊したかった」からだ。
目の前にあるもの全てが、積み木細工のように見えた。
綺麗に並んだ積み木を見れば、崩したくなる。
それと同じだ。
俺様は、そう「設計」されたのだから。
『我々、生き残った魔導士たちは、最後の力を振り絞り、彼を封印することに成功した。……だが、それは一時しのぎに過ぎない。いつか彼は目覚めるだろう』
映像が再び、冒頭の老人のアップに戻る。
彼の背後で、研究所が炎に包まれていくのが見える。
これが、彼の最期のメッセージなのだろう。
『未来の子供たちよ。警告する。……力に溺れるな。技術を過信するな。我々の傲慢が、この世界に「アビス」という名の絶望を生んでしまった』
老人は、血を吐くように言葉を紡ぐ。
『そして、もし……彼が再び目覚めた時のために。我々は、もう一つの「計画」を始動させる。彼を止めるための、唯一の希望。……対魔人兵器、「勇者システム」の構築を』
プツン。
映像が途切れた。
部屋は再び、静寂と闇に包まれた。
ただ、モニターの残光だけが、リディアとアビスを照らしている。
「…………」
リディアは、言葉を失っていた。
あまりにも重い事実。
古代魔導文明が滅んだ理由。
それは、天変地異でも、神の怒りでもなく。
人間が作り出した「たった一人の魔人」による自滅だったのだ。
「かわいそう……」
長い沈黙の後、リディアが絞り出すように呟いた。
(え?)
アビス(犬)は、思わず耳を疑った。
かわいそう?
誰が?
滅ぼされた人々が?
当然だ。
「あの、培養槽の中にいた人……。ずっと、痛かったんですよね」
リディアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼女は、モニターの暗闇を見つめ、泣いていた。
虐殺を行った魔人に対してではなく、無理やり兵器にされた一人の青年に向けて。
「誰にも愛されず、ただ壊すことだけを命令されて……。そんなの、あんまりです」
リディアは、腕の中のアビスを、ぎゅっと抱きしめた。
「もし、その人が今もどこかにいるなら……私は、抱きしめてあげたい。『もう戦わなくていいんだよ』って、言ってあげたいです」
アビスの体が、強張った。
彼女の温かい体温が、冷え切った心を侵食してくる。
やめろ。
やめてくれ。
俺様は、お前が涙を流すような「被害者」じゃない。
数千万の命を奪った、化け物だ。
お前の祖先が命がけで封印した、世界の敵だ。
(……俺様が、その魔人だぞ、リディア)
アビスは、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
言えるわけがない。
今、このタイミングで。
お前が涙を流している相手が、今まさに腕の中にいるこの犬コロだなんて。
(……つくづく、お人好しな女だ)
アビスは、目を閉じた。
リディアの涙が、アビスの黒い毛皮に落ちる。
それは、千年前には誰も向けてくれなかった、純粋な「慈悲」の雫だった。
「……行きましょう、アビスさん」
リディアは、袖で涙を拭うと、顔を上げた。
その瞳には、強い決意の光が宿っていた。
「この塔には、まだ続きがあるはずです。……さっきのおじいさんが言っていた、『勇者システム』。それが何なのか、確かめないと」
彼女は気づいていない。
自分がその「システム」の末裔であることを。
そして、自分が連れているペットこそが、倒すべき「標的」であることを。
(……ああ。行こうぜ)
アビスは、心の中で同意した。
真実は残酷だ。
だが、止まるわけにはいかない。
次なるエリアには、おそらく「勇者」に関する記録が待っている。
それは、リディア自身のアイデンティティを揺るがす真実かもしれない。
二人は、重い足取りで、さらに奥へと続く扉へと向かった。
かつての魔導士たちの亡霊が嘲笑っているかのように、モニターの明かりが明滅していた。




