プサン 5
「大丈夫だよコノハ、すぐに能力を使うんだ」
悲痛な声で言いながら、彼は私の服をめくり上げ、傷を押さえました。彼が私の傷を見たときに見せた悲しみの表情が、傷の深さを物語っていました。
彼に言われる前から、私は能力を使っていました。能力を最大限解放し、能力使用状態の彼に近い状態にしようとしていたのです。おかげで気分は最悪でした。頭痛と耳鳴りが収まらず、地面に伏しているのに眩暈が止まりません。喉の奥からは血と一緒に酸っぱいものも上がってきます。
彼の能力をもってしても治癒が間に合うかどうかは微妙であると、私自身が一番よく分かっていました。心臓が脈打つたびに血が傷から噴き出します。その間隔も徐々に広くなっていました。指先からだんだん体が冷えてきて、動かせなくなっていました。彼の顔がぼんやりと分からなくなってくるのが、果たして涙によるものなのかどうか。トーキョーで負った傷とはまるで程度が違います。血が流れ出すぎていることも理解しています。
しかしそれでも、私はひきつる頬を動かし笑顔を作りました。彼の不安を少しでも和らげたかったのです。私はどうにか声を出しました。
「心配しないで、デト君。私のことはもういいから。こうなる運命だったんだよ、きっと。行って。デト君には使命がある」
そこで、どうしても血を吐かなければならなくなり、横を向きました。口から勝手に血が流れます。
咳をして、喉に絡んだ血を吐き出した後、私はまた彼を見ました。どうしても伝えたいことがあったのです。
「デト君、愛してるよ。この世の誰よりもあなたを愛してる。さよなら」
そして、私は目を閉じました。訪れる死を待とうとしたのです。
きっと、彼は私が死ぬまでここを離れないでしょう。私が事切れた後、泣きながらこの場を立ち去るはずです。
そう思っていました。だから、傷を押さえる彼の重さが軽くなり始めたとき、私は思わず目を開けてしまったのです。
そして見てしまった光景に、私の目が見開かれました。
彼はまだ、私の傍にいました。涙を流し、悲壮感で満ちた表情でじっと私を見ていました。その手はまだ、私の傷を押さえていました。
その体が、淡く輝いていたのです。まるで空気に溶け込むように、体中、彼の黒い髪の毛から指先まで全て光っていたのです。
その時になってようやく、間抜けな私は思い出しました。彼の能力の本質を。
彼の呪いは、私を守ることを存在意義にした結果生じたものです。呪いにかかった人間が存在意義を失うと、存在意義の呪いによってその人間は消滅します。そして今、私はまさに死のうとしています。もし私が死ねば、彼は守る対象を失い消滅するでしょう。仮に彼が私を守れなかったと思えば、その時点で消滅します。どちらにしろ、彼は消え去らなければなりません。
すでに彼の体は透け、空が彼ごしに見えるようになっていました。彼が完全に消えるのも時間の問題でしょう。駄目だよと、消えないで、と言いたかった。でも、私の口からは空気が漏れ出すばかり。とうとう、喉が震えなくなってしまいました。
彼は、みるみるうちに空へ消えていきました。足元から、光の粒となって消えていきます。それでも、彼は私から目をそらそうとはしませんでした。体が実体を失ったことで、服が落下し、私を覆います。彼の涙が零れ落ち、私の頬を濡らしました。
彼の髪の一本までもが失われ、彼という存在が世界から完全に損なわれるその瞬間まで、私は瞬き一つしませんでした。私のために呪いにかかり、私のせいで消えていく。私には見届ける義務がありました。
その時に私が考えていたのはたった一つ。彼を忘れたくないということ。彼と出会ってから、私たちはたくさんの人と触れ合い、思い出を築きました。もう彼は、独りではなくなった。必要とされているし、誰かの記憶に残る。
それでも、忘れたくはありませんでした。彼を最もよく知っているのは私で、最も愛しているのも私です。彼と紡いだ繊細なひと時の一つ一つを、失いたくなかった。
私は、私が死ぬことで彼との思い出がこの世から失われるのが嫌だったのです。彼がどれだけ優しくて、勇敢で、私が憧れていたかを語らずに死んでしまう私が憎かったのです。
しかしそんな思いとは裏腹に、私の瞼はゆっくりと閉じていきました。靄がかかったように、思考があやふやになっていきます。
なんでこうなったのかな。
そんな言葉を最後に、私は眼を閉じました。