プサン 4
「ようやく捕まえたよ。君たちの逃げたいという思いは十分に伝わった。生きることに随分執着しているようだね、零村デトラくん、柊コノハくん」
どこか人を馬鹿にしたような口調で、研究者が喋ります。一方で彼は押し黙ったままその研究者を睨んでいます。
「そんな目で見ても無駄だよ、デトラくん。君たちにも諦めるときがやってきたのさ」
「能力を使う。傷を作って」
彼が小声で言いました。私はコノハナサクヤで手の平を斬ります。すぐに血が滲み出ました。
「さあ、そのバイクをどこで手に入れたのか話してもらおうか。おおよその見当はついているがね」
「誰が言うかよ!」
声を張り上げると、彼は振り向きざまバイクのハンドルを掴み、差し出した私の手の平を舐めました。ぞわり、とこしょばゆさが皮膚を伝います。それと同時に、彼の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じました。私は彼の五感からの情報を受け付けないようにしました。そうでなければ、私は普段とあまりに違う情報量の多さで酔ってしまったことでしょう。
「リュックの下に隠れてて!」
彼が叫びました。言われた通り地面に伏し、リュックで身を隠しつつも、彼を見守ります。彼は両手でバイクを持つと、体を捻りました。彼の体が回り、バイクが宙に浮きます。
「総員、構えろ!」
研究員の声が聞こえました。しかし彼は止まりません。彼は二回、三回と回転すると、その勢いのままバイクを放り投げました。バイクは空高く舞い、ぐんぐんとその高度を増し、なんと壁の高さを超えて落下していきました。
しかし私はその光景だけを見ているわけにもいきませんでした。リュックを背負ったまま、私が出せうる限りの速さで駆けだします。
「デト君!!!」
私が叫んだと同時に、その場を発砲音が埋め尽くします。私は彼に飛びつきました。バイクを投げたことで体が自由に動かせず、かがむことができないでいた彼の体が、私と一緒に地面に倒れこみました。
その瞬間、私は腹部に違和感を感じました。何かが私の中を通過したような、妙な感覚になったのです。そして、私はその正体をすぐに理解しました。
「跳ぶよコノハ!時間がない!」
彼はリュックごと私を背負うと、すぐさま跳ね上がりました。周りを研究員に囲まれているだけなら弾切れを待つのも一つの手段でしたが、何しろ後ろからは死神たちの群れが迫っていました。
予備動作もなかった彼の跳躍によって、私たちは地上のはるか上空へと舞い上がりました。しかし一度の跳躍で壁を越えることはできず、落下を始めます。
私たちは研究員たちの中心に落ちようとしていました。しかし地面に落ちることはなく、彼の足が一人の顔を踏みつけ、二度目の跳躍を行います。
そして今度は、門の前で着地しました。彼は休もうともせず、脚をたわめます。三度目の跳躍。私たちの体が高速で空へ向かいました。
やはりそれでも壁を越えられる訳はなく、彼の手が壁へと伸び、傷一つない壁を掴みました。彼は腕で体を引き上げ、さらに上空を目指します。トーキョーから脱出する時と同じ手段でしたが、今回の方が格段に速いです。
十秒もかからずに、私たちは壁の上へと到達しました。彼が静かに着地します。辺りを確認すると、壁の際ぎりぎりのところにバイクがありました。ほとんど傷はないようです。あの一瞬でおおよその見当をつけてバイクを投げたのだとすれば、やはり彼は天才です。
「少しだけ休憩しよう」
そう言って、彼は私を下ろしました。私はリュックを傍に置き、コノハナサクヤを手放しました。体に力が入らず、仰向けになって寝転びます。
彼は、壁の縁で下の様子を確認していました。まだ、私の様子には気づいていないよう。恐らく、私の名前を呼ぼうとしたのでしょう。振り返って私を見たとき、その口は開かれていました。
彼の目が見開かれるのが見えました。心配いらない、と微笑むつもりが、口から出たのは声ではなく血。自分の血で溺れそうになり、顔を横に向けて血を吐きます。
「コノハっ·····」
彼の声が遠くで響きます。彼が駆け寄ってくるのが見えます。私は、何故か時間がゆっくりと流れているように思いました。俊敏な彼が緩慢に動き、私の顔を覗き込みました。
私の服が血で湿り、私の肌に張り付くのを感じました。お気に入りだったのにな、とぼんやりと思います。
私の腹部は、銃弾で貫かれていました。そして、この傷では助からない、と私は理解していたのです。




