第1話 神代の龍虎
【神代組には、二匹の化け物がいる】
裏の世界では、そんな話がある。
一匹は、龍。
神代組組長・神代天音の一人息子にして、若頭。
神代蒼真。
そして、もう一匹。
龍の傍らから決して離れぬ、虎。
若頭補佐。
黒瀬蓮。
二人をまとめて、人はこう呼ぶ。
——神代の龍虎と。
「……で?」
椅子に深く腰掛けた蒼真は、煙草を灰皿へ押しつけた。
目の前には、三人の男が転がっている。
一人は鼻から血を流し、 一人は腹を押さえ、もう一人は壁にもたれたまま、立ち上がれずにいた。
その少し前に、蓮が立っている。
黒いシャツの袖を捲り上げた蓮が、面倒そうに拳についた血を払った。
「三人とも、東雲の人間じゃねぇ」
「だろうな」
「チンピラだ」
「だろうなぁ」
蒼真がめんどくさそうに頭を掻きながら、床に転がる男達を見た。
「お前らさぁ」
蒼真は笑っているけれど、三人の誰一人として、その笑顔を見て笑い返す者はいなかった。
むしろ、その顔色は青ざめていく。
「神代の名前出して、堅気の店から金取ったんだって?」
男の一人が震えながら顔を上げると蒼真の鋭い視線が男を貫く。
「ち、違……」
「違う?」
蒼真は男から視線を外さずに首を傾げた。
「じゃあ俺が聞いた話が間違ってんの?」
「それは……」
「蓮」
「あ?」
「俺、間違ってる?」
「いや」
蓮が即答する。
「合ってる」
「だよな?よかった」
そして、立ち上がる。
黒いスーツの裾が揺れた。
「親父が一番嫌いなんだよ」
男の前へしゃがみ込み、先ほどまでよりも低い声を出した。
「堅気に手ぇ出す奴」
表情は笑顔のままだが、その目は笑ってなどいない。
「——神代の看板、舐めんなよ」
部屋から、音が消えた。
三人の男達は震えながらただ、頷いていた。
その背後で蓮だけが、いつもと変わらぬ顔で立っていた。
龍が怒れば、虎が牙を剥く。
虎が暴れれば、龍が止める。
それが神代組の龍虎だった。
◇
「ったく…めんどくせぇ」
黒塗りの車の助手席に乗り込むと蒼真がそう吐き捨てた。
「ただのチンピラが神代を名乗んなって」
「イキりてぇだけなら、単車でも転がしてろって言ってやれよ」
蓮が運転席に乗り込みながらめんどくさそうに返し、タバコに火をつけ、車を発進させた。
「つーか、腹減ったんだけど」
「いや、組に戻る」
「うわー真面目」
「親父に報告だろ」
蓮は煙を吐きながら、呆れた顔をしていた。
17歳で神代天音に拾われた蓮。
若気の至りで、神代組下部構成員に手を出した時だ。
三対一の不利な殴り合い。
一人で三人を沈めたところで、黒塗りの車から1人の男が現れた。
「……おい、ガキ」
「あ?」
振り返った蓮の目に、銀髪の男が映った。
その顔を知らないわけがなかった。
銀髪の組長・神代天音を。
――終わった。
蓮がそう思った一方で、天音は少年の顔をじっと見つめていた。
喧嘩に勝ったばかりだというのに、妙に冷めた目をしている。
怒りがないわけではない。
だが、その奥にある何かが、天音の記憶をかすめた。
「…………」
ほんの一瞬、天音の目が細くなる。
天音は倒れた男達を一瞥し、再び蓮へ視線を戻した。
蓮は、目の前の男を見つめた。
何を考えているのか、まるで分からない
「お前、凄ぇな。うちに来ねぇか?」
蓮はその瞬間、神代天音の不思議な引力に引かれた。
疑いもしなかった。
そして、その道に進む事に怖さも感じなかった。
この男の背中について行けば、道があると思えた。
だから、ただ、頷いた。
そのまま、車に乗せられて、神代組の屋敷へと足を踏み入れた。
屋敷に入ると、組員が慌てた様子で天音に声をかけてきた。
「親父、若が…」
その一言で天音は溜息をついた。
「ったく…あいつはまたやったのか」
「また、です。でも勝ってきたって笑ってますよ。ところで、このガキなんです?」
「拾った」
まるで子猫でも拾ってきたかのように言う天音に組員は苦笑いした後、蓮を一瞥した。
思わず蓮も睨み返すと、組員が蓮へと一歩、歩み寄る。
しかし、それは天音によって止められた。
「”俺”が拾ってきた」
天音の低い声が響くと、組員は一歩下がり、廊下を開けた。
そして、天音はそのまま歩き出し、とある部屋の襖を開けた。
そこには…切れた口の端を組員に手当てしてもらっている蒼真がいた。
「お前さぁ、また喧嘩か。それも無意味な」
「違ぇ、神代を侮辱されたから」
そういうと蒼真は顔を上げた。
そしてその視線は父・天音の後ろの蓮へと向けられた。
「……黒瀬…蓮?」
蒼真が自分の名前を呼び蓮は目を見開いた。
神代天音に息子がいるというのは噂で聞いたことはあったが、実際に居た事の驚き。
そして…自分と歳も変わらなそうな姿に驚いた。
「なんだコイツ、蒼真の知り合いか?」
「いや…滅茶苦茶、喧嘩強いって有名。え、なんでいんの?」
「拾った」
「ついに人も拾ったのか、親父」
蒼真は爆笑していた。
そんな笑う蒼真の横に一匹の茶トラの子猫が昼寝をしていた。
“ついに人も拾った”ということは、この猫も、もしかしたら…。
天音が拾ったのだろうか。
「で、歳近そうだし、お前もこの…蓮?も一人で暴れててもつまんねぇだろ?うちに入れるから、お前、世話役」
「だからさぁ……拾ってきて俺に寄越すなって」
蒼真は笑いながら呆れた顔をしていたが、嫌そうには見えなかった。
そして、蓮へ視線を向けると立ち上がり、蓮の前へと立った。
「よろしく。名前、あってたよな?」
「あ……」
「俺は神代蒼真。俺、お前気になってたんだよ!めちゃくちゃ強ぇって!だからさ今度、勝負な!!」
笑って蒼真が言うと、ーゴンッ。と重たい音が蒼真の頭に響いた。
天音が蒼真にげんこつを落としていた。
「いってぇぇぇ!」
「だから、お前はなぁ!!」
「……すんません」
その後、蓮は神代天音の手によって正式に神代組へ迎え入れられた。
組内の表向きには三下として、若の身の回りの世話とされた。
2人はそれから共に歩き続けてきた。
「なぁ、最近やたらと神代の名前使う輩、多くねぇか?」
タバコに火を付けながら蒼真が助手席で呟いた。
「東雲の人間も神代の名を騙る三下が居る情報は掴んでる」
「……東雲組は政治にも顔が利くのに、三下にわざわざやらせてんの?」
「独断が多いって聞いたぞ。……そもそも東雲の組長がうちと全面抗争したがるとも思わねぇ」
「東雲組も内部が荒れてるって事か…」
「多分な……親父も抗争は望んでねぇだろ?」
「東雲組だぞ、当たり前だ」
政界、財閥にも顔の利く敵対組の東雲組。
その歴史は神代組よりも長く、日本の裏社会、表社会にも勢力を伸ばし続けている。
日本最大級とも呼ばれる組織だ。
神代組も勢力は大きいが、下手に手を出せば、全面抗争どころではなくなる。
組長・神代天音を討つものも出てくる可能性もある。
更に、神代組の内部も盤石とは言えない。
下部構成員が許可していない仕事に手を出している情報も上がってくる。
「まったく、三下共は気楽だ」
「若頭は頭抱えてろよ」
「若頭補佐も頭抱えて」
そして、車は神代組事務所の駐車場へと入る。
先ほどまでにこやかだった蒼真の表情が、すっと真剣なものに変わった。
組事務所に入るときはいつもこうだ。
停車と共に三下が助手席の扉を開け、蒼真が降りると頭を全員が下げる。
そして、その後ろにつく蓮が通り過ぎるまで、頭を上げることはない。
神代の龍虎に、ここに居る構成員は従っている。
従っているだけではない。
慕っている。
「で、どこの組の仕業だ」
茶トラの猫が机の上に寝転び、組長椅子には神代天音。
蒼真は組長室のソファにドサッと腰を降ろした。
「チンピラ」
「そうか。もう一つの方は」
「蓮」
「はい。やはり情報通りかと」
蓮が天音に報告をすると天音の目が鋭くなる。
そして、蒼真に問いかけた。
「蒼真、お前はどうする」
「……組の人間は家族だ…」
蒼真は少しだけ俯くと言葉を出した。
その言葉は、神代組の跡取りとして育った、神代蒼真の言葉だった。
しかし、次に出た言葉は、神代組・若頭・神代蒼真としての言葉だった。
「けど…掟が守れねぇ奴は、俺は護らねぇ」
蒼真の言葉に、天音は僅かに目を細めた。
「そうか」
それだけだった。
賛成も、反対もしない。
天音は机の上で眠る茶トラの背中を撫でながら、蒼真を見つめている。
「蓮」
「はい」
「連れて来い」
蓮は短く返事をすると、組長室を出ていった。
蒼真はソファへ深く腰掛けると、煙草を一本取り出し口に咥え、火をつける。
煙を吐き出しながら、天井を見上げた。
「……親父」
「なんだ」
「知ってた?」
「何を」
「そいつが勝手にやってたこと」
天音の手が、茶トラの背中で止まった。
「確証はなかった」
「そっか」
「だからお前らに調べさせた」
蒼真は何も答えなかった。
ただ、煙草を指に挟み、灰皿へ灰を落とす。
暫くすると、組長室の扉が開き、蓮が戻ってきた。
その後ろには、一人の男がいた。
「親父、お呼びでしょうか」
男は天音へ頭を下げた。
蒼真はソファに座ったまま、その男を見上げると低い声を出す。
「座れよ」
「……若頭?」
「いいから」
先ほどまでの気怠そうな声とは違う。
男は一瞬だけ戸惑った後、蒼真の向かいへ腰を下ろした。
蓮は蒼真の斜め後ろに立ち、天音は何も言わず静かにその様子を見た。
「単刀直入に聞くぞ」
蒼真が煙草を灰皿へ押しつけた。
「お前、神代の名前使って店から金取ってる?」
男の表情が強張った。
ほんの一瞬だったが、その僅かな変化を蒼真は見逃さなかった。
「……何の話ですか」
「質問に質問で返すな」
「俺はそんなこと――」
「三店舗」
蓮の声が割って入り、男が蓮を見る。
「今掴んでるだけで三店舗。全部、堅気の店だ」
「…………」
「払わなければ神代組が黙っていない。そう言って金を要求したらしいな」
蓮が淡々と続ける。
「一店舗は断った。その翌日、店の入口が壊されてる」
「俺じゃねぇ!」
男が声を荒らげたその瞬間、蒼真の目が鋭くなる。
「じゃあ、金取ったのは認めんだな」
「……っ」
男の顔から血の気が引き、肩が小さく震え出す。
蒼真は小さく息を吐いた。
「なぁ…誰の許可でやった?」
「…………」
「親父?」
男は答えない。
「蓮?」
顔を上げることも出来ずに、男は黙っていた。
「俺?」
誰の名前にも、男は頷かなかった。
蒼真は背もたれへ身体を預ける。
「じゃあ、誰の許可も取ってねぇんだろ」
「若頭、俺は組のために――」
「組のため?」
男のひと言に蒼真が眉を寄せた。
「神代のために少しでも金を――」
「誰が頼んだ?」
「……」
「親父が堅気から脅して金取ってこいって言った?」
「…………いえ」
「俺が言ったか?」
「……いえ」
「じゃあ神代のためじゃねぇだろ」
部屋の空気が変わった。
蒼真はゆっくりと立ち上がり、男を見下ろす。
「自分の欲で堅気脅して、神代の名前使っただけだ」
「違います!」
「何が違う」
男も立ち上がり、声を荒げた。
「俺はずっと神代のためにやってきた!若頭だって言ったじゃないですか!組の人間は家族だって!」
蒼真の眉が僅かに動いた。
天音は黙ったまま、蓮も動かない。
男は縋るように続ける。
「俺だって神代の人間でしょう!だったら――」
「だからだよ」
蒼真の声が落ちると、男の言葉が止まった。
「神代の人間だから許せねぇんだよ」
「……若頭」
「偽物が神代名乗って堅気から金取ってんのも腹立つけど」
蒼真は男の前へ立つ。
「本物がやってんのは、もっとタチ悪ぃだろ」
男は何も言えなかった。
「俺達が神代を名乗って歩けば、外の奴は俺達一人一人じゃなくて、神代組を見るんだよ」
蒼真は男を真っ直ぐに見た。
「お前が堅気一人脅せば、神代が脅したことになる」
「…………」
「お前が金を巻き上げれば、神代が金を巻き上げたことになる」
その声に怒鳴り声はなかった。
それでも、男は蒼真から目を逸らした。
蒼真の鋭い視線に耐えられなかった。
「それが分かんねぇ奴に、神代の看板は背負わせられねぇ」
蒼真は一度だけ、目を閉じ、ゆっくりと口を開いた。
「——破門だ」
そのひと言に男が顔を上げた。
縋るような目で蒼真を見つめていた。
しかし、蒼真は一度、男から目を逸らした。
破門を口にした以上、お前の話は聞かない。という姿勢だ。
「若頭!」
「堅気から取った金は全部返せ」
「待ってください!」
「壊した店にも詫び入れろ」
「若頭!」
「それが終わったら――」
蒼真はそこまで言うと、男を真っ直ぐに見た。
「二度と神代を名乗るな」
男の顔が歪んだ。
「……そんな」
「蓮」
「ああ」
蓮は男の肩へ手を置くと強引に引っ張り、扉へと向かう。
「行くぞ」
「待て!話を!!——若頭っ!」
蓮に連れられ、男は部屋を出ていく。
扉が閉じ、静かになった組長室で、蒼真は大きく息を吐いた。
「…………疲れたぁ」
そのままソファへ倒れ込んだ蒼真に先ほどまでの若頭の顔は、もうなかった。
「腹減った」
天音が鼻で笑う。
「お前、切り替え早ぇな」
「だって朝から何も食ってねぇんだもん」
「知らねぇよ」
「蓮が組戻るって言うから」
「人のせいにすんな」
天音は茶トラを抱き上げると、膝の上へ移した。
そして、その背中を撫でながら蒼真を見る。
「……蒼真」
「ん?」
「それでいい」
蒼真が僅かに目を見開いた。
「……そ?」
「ああ」
天音はそれ以上、何も言わなかったが、蒼真にはそれで十分だった。
やがて組長室の扉が開き、蓮が戻ってくる。
「話つけた」
「お疲れー。蓮、飯」
「だからまず報告だろ」
「終わったじゃん」
「破門の手続き残ってんだよ」
「うわー……若頭ってめんどくせぇ」
「今さらかよ」
二人のやり取りを聞きながら、天音は小さく笑った。
龍と虎。
まだ若い二匹だった。
それでも確かに、神代という大きな看板を背負い始めていた。
そして誰もまだ知らなかった。
この小さな綻びが。
やがて神代と東雲——。
二つの大きな組を巻き込む火種へと変わっていくことを。




