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漂流国家アステリア ――「 リサイクル対象の屑拾い」が無慈悲な選別を船の全権掌握で逆転する   作者: 端野ゼロ


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彼女の制服は、このセクターの浮遊塵や油まみれのカーボン粉を浴びて、すでに灰色に汚れ始めていた。しかし、彼女は自らの衣服が汚れることなど眼中にないかのように、目の前に突き出された凶器をまじまじと観察した。


「チタン合金製、定格耐荷重四百キログラムの汎用調整スパナ。……生存をかけた物理攻撃としては、極めて合理的だけど、できればそれ以上前に出さないでほしいわ。私の生存確率が六十パーセント以上低下するから」


「……あんた、誰だ」


カイの低く硬い声が、ダクトの風音に混ざった。

彼女の全身から漂う、下層にはおよそ存在し得ない無菌室のような雰囲気に、本能的な警戒心が解けない。手の筋肉は、いつでもスパナを突き刺せるよう緊張を維持したままだ。


少女は少し息を乱しながらも、フッと笑みのようなものを浮かべ、早口で言葉を繋げた。


「エリンよ。航法士ギルドの航法補佐。……あなたのあの報告書、偶然端末の未処理バッファで見つけたのよ。深さ二・〇〇〇ミリ、幅〇・五〇〇ミリ。あの完璧な直線と切削断面の滑らかさは、この船の劣化速度や機械振動の歪みから計算しても、絶対にアステリア内の技術では再現不可能。計算上はね」


彼女は一歩前に進もうとし、カイの突き出したスパナに再び肌を近づけそうになって踏みとどまった。

その瞳には、恐怖ではなく、未知の数式を解き明かそうとする狂気的な情熱がゆらゆらと宿っている。


「航法士たちはバカよ。あいつら、ただ過去の教典をなぞっているだけの祈祷師だわ。数字を、物理の限界値を完全に無視している。……あの傷はね、自然物じゃない。それどころか、私たちのアステリアに干渉できる『外側の存在』が刻んだものよ!」


エリンは一気にまくし立てると、焦ったように空中で何もない空間を叩き始めた。指先が、まるで仮想キーボードを高速でタイピングするように小刻みに震えている。彼女のその神経質な動きは、極度の興奮と焦燥を示していた。


「ここで話すのは極めて非論理的。監視ドローンの巡回経路が、あと三分四十秒後にこのセクターで交差するわ。……私をあなたのアジトに連れて行って、スクラッパー」


カイは無言でスパナを握りしめた。

この清潔な女が何を言っているのか、脳内の計算が一瞬だけ遅延する。

上層の人間が、下層のドブネズミの巣窟へ自ら降りたいと言っている。それは論理的に破綻していた。


「摩擦の無駄だ。俺の部屋は汚い。あんたの制服が使い物にならなくなる」


「そんなものはただの有機化合物の束よ! それより真実の方が何倍も価値があるわ!」


エリンは吐き捨てるように言い、ダクトの上流から吹き込んでくる、油まみれの風に向かって不敵に背筋を伸ばした。

カイは静かにスパナを引き、ポケットへ戻した。

論理の破綻したこの女を連れて行くリスクと、彼女が持っているであろう『上の知識』の天秤。

カイの結論は、すでに決まっていた。


「……圧を下げろ。足元のボルトを踏み外すなよ」


カイは踵を返し、さらに暗い下層の奥深くへと歩き出した。エリンはその後に、ぎこちないが確実な足取りでピッタリと続いていった。



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