幕間 その温かさに惑う
欲してはいけない。
縋ってはならない。
俺は、そう自戒して生きてきた。
この身を獣へと変えて、敵兵を屠り続けるこの俺自身を、誰が呼ばなくてもバケモノだと呼ぼう。
だからこそ、イリステラを妻に迎えても俺は彼女を『愛さない』と宣言し、夫婦でありながら線を引いた。
彼女が笑顔でそれを受け入れてくれたことに、安堵すらした。
真っ直ぐにこちらを見て、感謝と尊敬と、甘やかな言葉と献身をくれるイリステラ。
(ああ、くそ)
欲してはいけない。
この手は、敵をなぎ払った。
縋ってはいけない。
この手は、多くの味方を看取った。
俺は汚れきっている。
真っ赤に、自分の血で、敵の血で、全身汚れきっている。
心も、いつかはバケモノに成り果てる。
そうならないようにするのが聖女の秘術だとイリステラは言った。
実際、彼女の施術を受けるとこれまで全身怠かったのが嘘のように軽くなり、獣化しても制御がしやすくなった。
(だがこんな便利な術、どこにどう負担が生じているかわかったもんじゃない)
施術を受ける俺に弊害が訪れるならまだいい。
だがそれがイリステラに向いたらどうしようかと最近では恐ろしくてたまらない。
最近では、夜になると俺の部屋に来て施術をすると言い張る彼女の前でどうしていいかわからず寝たふりをするようになってしまった。
自分としても情けない限りだが、あの柔らかな手で、目で、俺を大事だと伝えられていると思うとどうしようもない気分になるのだ。
だが、気丈に振る舞っていてもそれだけ近くにいるからこそわかる。
イリステラは、疲れている。
それなのに、俺を癒すことは決して止めない。
それこそ、俺が頼んでも。
(……くそ、なんで)
施術の心地よさで俺が寝たと信じ切っているイリステラが、ある日俺の髪に触れて嬉しそうに笑った。
『アドルフさん、もう少しだからね。そうしたら、幸せになってね』
その言葉は、心の底から俺の幸せを願うものだった。
でもその言い様は、まるでその時彼女は傍にいないかのような、そんな言葉だった。
そっと部屋を後にした彼女を確認して、俺はベッドの上で身を起こす。
触れられた体は、調子の良さを取り戻している。
それと反比例するように、俺の心は沈んでいた。
(俺には、その資格はない)
愛することはできない。
彼女は、彼女で……幸せになるべき人だ。
愛したら最後、俺のこの血まみれの手で、彼女は一緒に汚れるしかなくなってしまう。
敵国からは疎まれ、この国では恐れられ、そんな男の腕の中にいて幸せになれるものか。
なのに俺は、彼女の温もりを知って……それを手放したくないなんて思ってしまっているのだ。
なんて滑稽で、自分勝手なのだろう。
彼女は俺を好いてくれている。
それこそ、見返りなんて何も求めていやしない。
だからこそ俺は踏み込めない。踏み込んではいけない。
踏み込んだら最後――俺は、彼女を手放せない。
失ってしまった全てを、イリステラに求めてしまうだろうから。
「ああ、くそ」
悪態を吐いてみるものの、それは酷く弱々しいものだった。
誰も居ないその部屋で、先ほどまで彼女が腰掛けていた椅子を見る。
僅かに、彼女が好んで使う俺がくれてやったハンドクリームの香りが残っているような気がして。
「……俺だけ幸せになったって、しょうがないだろ……」
呟いた言葉は、誰に向けて言ったものなのか。
俺自身も、よくわからなかった。




