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薬学者と棘の姫君  作者: おきょう


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14/17

14

ノアが豊穣の巫女として王宮内の神殿に召し上げられる直前。

生まれ育った村を出て王都に入ったノアに紹介されたのが、まだベクレル伯爵家の子息と言う立場で爵位も持たず、世間を知るために軍に所属していたカミーユの父だった。


「ローラン・ベクレルと申します。ノア様が正式な巫女となる儀式の時までの短期間ですが、護衛を承りました。どうぞ宜しくお願いいたします」


柔らかな金髪をもつ可憐な少女に、こげ茶の短髪の背の高い騎士は跪く。

そこに居合わせたノアに用意された私室に控える侍女たちは、まるで絵物語の1シーンのような場面に幸悦とした息をついた。

元凶であるローランはときめく侍女達など視界の端にも映らないのか、跪いたままの状態でノアを真摯に見上げる。


「はい、宜しくおねがいします」


その真っ直ぐな視線に射られたノアの胸はざわりと泡立った。


「儀式はノア様の15歳の誕生日に合わせて行われます。その時よりノア様は只人の枠を外れ、おそらく先代巫女様と同じく不老の身となられることと思われます。同時に聖なる身を汚さぬために神殿周辺と私室以外へお出入りも制限されることになります。」

「聞いていますわ」

「しかしその前に----人の子であるうちに。為さりたい事は全て叶えるようにと、王と神官長より承っております。私になんなりとお申し付けください」


柔らかく笑って、けれど瞳はしっかりとノアをとらえ、ノアの望みは何だって叶えてくれると。そんなことを言う騎士様。

14歳のまだ何にも染まらない少女が心を奪われてしまうのは、もう至極当然のことだった。

初めて感じる感情に戸惑うノアは、胸を覆う切なさに思わず泣きそうになってしまう。

胸の前で両手を握り、目を潤ませて頬を赤める可憐な少女に ローランが心を奪われてしまうのも。また至極当然のことだった-----。




何でも叶えると言われても、ノアが実際に望んだことは都を歩いてみたい。

美味しいスイーツをたくさん食べてみたい。

そんな少女らしい、可愛いお願いだった。


ノアとローランは毎日城下へ繰り出し、2人で並んで歩いた。

馬車を使わず自分の足で自由に歩きたいというのも、物々しいのも嫌だと護衛はローランのみに限ったのもノアの願いだった。

けれど、この先すべての人生を捧げてくれる幼い少女に対する報酬としては余りに安すぎる。


「もっと何かなさらなくて宜しいのですか?」


傍らを歩くノアに、ローランはためらいがちに尋ねる。

そんな問いに、先ほどローランに買ってもらった髪飾りを手に持ち、嬉しそうに見つめていた少女は顔を上げて可愛らしく首をかしげた。


「何かって?」

「いや…具体的に聞かれると思いつきませんが、あまりにも欲が無さすぎる気がします」

「無いわ」

「本当に?」

「うーん…そうね。恋を、してみたい…かしら」

「っ…ノア様」

「………ごめんなさい」


眉を下げてしょんぼりと謝罪するノアの頭を、ローランは慰めるようにやさしく撫でた。


「…つけて」

「はい」


手に持っていた髪飾りを手渡すと、彼は道の端にノアを促してそれを柔らかな金髪に差し入れる。

色素の薄い髪に、真珠の飾りのついた赤い花の髪飾りは良く生えていて、ローランは頬を緩ませた。


「ありがとう」


やさしい騎士の笑顔にノアは自分の気持ちまで暖かくなって、幸せな気分そのままの満面の笑みを彼に向けた。



------何だって聞いてくれるけど、絶対に願ってはならないことはある。


誰か一人に思いを寄せることが、それにあたった。

豊穣の巫女は国の民すべてを平等に愛し、平等に加護を与える存在。

ただ一人を愛するなんてあってはならなかった。


そもそも聖なる存在の巫女がそんな、ただの女みたいな感情を抱くなど有り得ることでないと思い込まれている。

そして聖なる神殿で神の元で生きるからには絶対に無垢な『乙女』であることも当然だとされていた。


当たり前で、当然の常識。

国の大多数の意識に逆らい声を揚げる(すべ)なんて14歳の子供が持っているはずもない。


だから女としての幸せ---恋をして、結婚をして、子供をもうけるなんて有り得なかった。

ノアもローランも、一緒になりたいから『豊穣の巫女』になるのを辞めたいだなんて、今さら泣いても叫んでも不可能だとは分かっていた。


ノアは望まなかった。

巫女になるのは生まれた瞬間から決まっていて、ずっと当然のものと受け入れていたから。

当たり前に受け入れていた自分の道が簡単に変わるはずもない。


けれどこの人に嘘はつきたくなかった。

一生に一度愛した人には…初恋の人には、正直でありたかったのだ。


ノアは傍らにいるローランの大きな手に、自分の手をからませた。

驚いた表情で見下ろしてくるローランへと笑みを向けて、期間限定の自分の騎士様に甘くとろけるような声音を桃色の唇から紡ぎだす。


「好きよ。大好き」

「っ……」

「困らせてごめんなさい。でも愛しているの。ごめんなさい」


彼が答えられないなんてわかっていて。答えてもらったところで恋人になんてなれないと知っていても、ノアは何度も彼への思いを言葉に紡いだ。

ほんの数週間の関係だと分かっていたから。

せめて素直でありたいと思った。


けれど頬を染めて幸せそうに笑う少女をとても見ていられなかったのか、ローランは苦々しい表情でそっと目を伏せてしまう。


嬉しいことに握った手はいつまでも、繋がれたままだったけれど。




*************




「-----結局、私が神殿に召し上げられる前夜にお互いにどうしようもなくなって、一夜を共にしてしまいました。それで彼とは終わりですわ。お腹に命が宿っていると知ったのは私がすでに巫女として立ってから。どうやったって公にはできませんでした」


聖なる豊穣の巫女が、『乙女』ではなかったなどと今更発表はできなかった。

この国の人の豊穣の神への信仰心は非常に厚い。

寄せられる人々の真摯な思いを婀娜にして返すなんて、反乱を起こすきっかけにしかならないだろう。


「子供の父親が誰かなんて、あの頃私たちの傍にいた侍女や神官たちは簡単に予想がついたでしょう。けれど絶対に漏れないように口止めしましたわ。だから彼が子供の存在を知ったのはずいぶん後だったと思います」

「……2人で逃げようとか、考えなかったのですか?」


ノアは微笑みながらも首を振る。


「少なくともあの頃は、そんな考えは浮かびませんでした。巫女で無い自分なんて想像もつきませんでしたし。あれで最後だと、お互いに納得しての終わり方でしたし」


本当に幸せそうに思い出を話すノアに、アリスはほっと息を吐いた。

引き離された恋人同士。まるで悲劇の物語のようだけれど、きちんと納得して終わらせた関係は潔く、思ったよりも深刻ではないのかも知れない。

少なくとも本人たちは結果に満足しているそぶりだ。


「……けれど」


安堵したばかりのアリスだったけれど、とたんに声を震わせたノアに目を瞬かせる。

見ると今にも泣きだしそうに彼女の顔は歪んでいて、慌てて駆け寄った。

けれど他人との関わりの薄かったアリスは泣きそうな子の慰め方など当然知りもせず、どうしていいのか分からなくて困惑するばかりだ。

とりあえず、気持ちを込めてその小さな手を握った。


「巫女様…」

「……けれど…私たちはそれで良かったのだけれど…子供は幸せにはしてあげられませんでした」

「----どういう意味ですか?」


握った手を、痛いくらいに握り返された。


「私があの子を産んだ翌朝にはもう…あの子の姿はどこにもなかった」

「え」

「事実が外に出るのを恐れた神殿のある一派が、森の奥深くへ----あの子を、カミーユを放り捨ててしまったの…」

「なっ…!」


いつも平然としている冷静なアリスの眼が、驚きに染まって見開かれる。

森に捨てられた生まれたばかりの赤ん坊と、柔らかく笑うけれど何か裏を持った今のカミーユの姿が同時に脳裏に浮かんだ。

そして生んだばかりの大事な大事な子供が跡形もなく消えていた時の、ノアの絶望を想像した。

でもきっと、アリスには想像も出来ないほどの衝動だったのだろう。


何か反応するべきだと思ったけれど、結局は喉がつっかえて何も出てこない。

震えるノアの手と同じくらい、アリスの手も震えていた。


「森に住む老人に拾われて育てられたと知ったのは、何年もたってからです。夢見で生きているあの子を見た時、どれほど神に感謝したか…。でも、私はその夢見を誰にも言わなかった。またあの子を消そうとする者の手があの子に向かうことを恐れたのです」

「ノア様」

「それから私はあの子を生かしてくれた神に心から仕えるようになりました。まぁ結局は、子供と彼の幸せを一番に願ってしまうわけですけれど」

「ベクレル侯爵がカミーユ様を引き取られたのは…」


森の奥深くで育てられたと言うカミーユ。

恐らくあの人並み外れた運動神経などはそこで身に着けたものなのだろう。

けれどどういう経緯があって今、森の奥から出てきて伯爵子息としているのだろうか。


「私が子供を産んでいたとあの人が知った頃には、既に十…二・三年は経っていたかしら。子供が捨てられたと言いう森を探し出して、自ら足を向けて、血眼で探したようです。あの子が生きていると知っているのは夢見を見れる私くらいだったのに…ほとんど死んでいる可能性の方が高いのに…それでも彼は、私たちの子を必死に探したの」


ノアが涙をためた目で、笑う。

愛しい人を思って、幸せそうに。けれど寂しそうに。


「あ、れ…すみません…」


ぽとり。ぼとり、と。


ノアの目から透明の涙が落ちた。


アリスはその綺麗な涙を言葉もなく見つめるしかできなかった。

手を握った状態で立ち尽くすアリスを、ノアが濡れた頬をそのままに目元を細めて懇願を滲ませる。


「アリス王女…」

「は、い」

「あの子を…カミーユを、どうか宜しくお願いします…」

「ノア様。私は」

「きっと、仲良くなれますわ。あなたとあの子なら。きっと」

「………努力は、します」



アリスの自身のなさそうな返事に、ノアは赤く火照った頬を和らげて、優しく笑うのだった。

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