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重厚な机に幾冊もの厚い書物が広がっていた。
その前に腰かける第三王女は華奢な身の丈よりもかなり大きい白衣を羽織り、髪は後ろで乱雑に一つにまとめて、一心に文字を追っている。
彼女が集中するときの年頃の令嬢らしからぬくたびれた姿に、室内の扉を開けたばかりのライトが呆れたように嘆息する。
こう言うときはいつもに増して周囲に無頓着になるアリス。
机の上だけでなく床にも大量の書物や書類が積み重ねられていて、また掃除するのかと思うと頭が痛くなる。
「しかも、また寝て無いな…」
後から入ったグローリアもいつもの光景に苦笑して、面倒事は任せたとばかりにライトの肩を叩いてやった。
「…ちっ。おい、アリス」
「うーんー…。ちょっと……待って」
「待てない」
「………………」
まるでものすごく鬱陶しいものを見るような表情で自分を見上げるアリスに、負けじとライトは眉を吊り上げた。
彼の怒り具合を察したのか、アリスは肩をすくめてからぱたんと本を閉じる。
「お前なぁ、いい加減にしないと身体こわ」
「はいはい、気を付けますって。それより例の、どこまで進んだ?」
「…っ……」
いまだ眉間にしわが寄っているライトが、脇に挟んでいた書簡をアリスに差し出す。
受け取ってそれを広げたアリスの後ろに回ると、有無を言わさず髪を結っていた紐を解いた。
「…何」
「髪を乱暴に扱うんじゃない。せっかく綺麗なのに」
相変わらず、変なところで細かい。
どこから出してきたのか、いつの間にか手にしていたブラシでアリスの乱れた髪をとく。
アリスは窓の外へと視線を向けた。
「今日は水やりの必要なさそうね」
昼間近いと言うのに薄暗いままなのは、今日の天気が雨だからだったのかと今更気づいた。
しとしとと降る雨の音が心地よい。
優しく髪に触れる男の手が優しい。
グローリアが入れてくれた紅茶の香りに落ち着いた。
ゆっくりと流れるいつもの優しい時間に切れ長の目元を緩ませる。
けれど目の前に積まれた書物と、手もとにある書簡の中身に視線を移してしまって。
「過去の資料も読み漁ったけれど、この報告書とも完全一致。もう決定的ね」
「公になると不味そうだな」
「俺たちが今まで信じていたのは何だったんだー!って暴動が起こっても不思議はないわ」
アリスは書簡を置いてグローリアが差し出してくれた紅茶の入ったカップを手に取って、一口飲む。
「あーあ。まさかこんなに泥沼劇だとは」
おそらくこれから起こるであろう一つの修羅場に、アリスはため息を吐いた。
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豊穣の巫女ノアは神殿の祭壇の前に膝をついて手を組み、一心に祈りをささげていた。
広い神殿には彼女しかいない。
薄雲の空から落ちる恵みの雨の音を遠くに聞きながら、可憐で無垢な乙女は伏せていた目をそっと持ち上げる。
顔を上げると目の前の祭壇の両脇に佇む豊穣神の像を見上げた。
この国の神を見つめるノアの金色の瞳は切なげに揺れていた。
「神よ、どうかお許しください」
そっと囁いただけだったけれど、高い天井の神殿内に響いてしまったことに気が付いて、自分の軽率さに唇を固く閉じた。
彼女が願うのは、本来ならば願ってはならないこと。
神の身元に生涯を置き、民の幸福だけを祈って過ごす巫女が、個人的な事情で神の力を請いたいなんてあってはならなかった。
巫女として神殿に召しあがる前に、それまでの己は…俗世は捨てて、全てを神にささげたのだ。
家族も、友達も。そして恋人も。全部。
人としての自分は捨てた。
(……けれど)
どうしても、心に残した人がいる。
物思いにふけるノアだったけれど、神殿の重い扉が開けられた音に顔を上げる。
手を胸の前で組んだまま振り向くと自分付きの侍女の一人が銀盆を持ってしずしずと歩いてくる。
両膝をついているノアに合わせて彼女も傍らに膝を付いた。
「巫女様。お祈り中に申し訳ありません。アリス王女殿下が至急お会いしたいと、急使が届いております」
差し出された銀盆に載せられた手紙には王家の封蝋が押されていた。
ノアはそれに触れるしぐさもせずに、無邪気な笑みを作ってみせる。
「いつでも歓迎しますと、お伝えして」
「……かしこまりました」
読みもせずに放置された手紙と、巫女の笑顔を交互に見つつ侍女は不思議そうに少し首をかしげた。
「読まなくて宜しいのですか?」
「かまわないわ」
だって要件はわかっているから。
数か月も前にすでに夢で見ていた、黒髪の美麗な王女と薄茶の髪をした青年の仲睦まじい姿をノアは脳裏に描く。
これはきっと現実になるのだろうな、と思ったのだ。
ノアが苦く笑いを漏らした時、扉の脇から声が駆けられた。
「それはそれは、話が早くて助かりますわ。巫女様」
「あら、まぁ」
見ると扉には第三王女が立っていた。
手紙の返事を待つこともしないとは、なんて行動力だろう。
ノアの知っているアリスは自室と薔薇園に閉じこもる、深層の姫君だ。
ノアは立ち上がるとドレスの裾をつまんで淑女らしく一礼する。
その間にもアリスは神殿へと足を踏み入れて少女へと近づいていった。
礼をしているために顔を伏せていたノアの視線に、アリスのドレスの裾が映り込み、彼女がすぐ目の前まで来たことを理解した。
ノアを見下ろすアリスは、凛としていて切れ長な目がとても冷たい印象を与える。
対したノアは無垢であどけなくて。
一見すればアリスがノアをしいたげようとしているのではと思ってしまうその光景に、控えていた侍女は戸惑いを浮かべる。
礼儀にかけると分かりながらも彼女たちの間に割り込んだ。
「あ、あの…宜しければお茶をご用意しますので」
このままでは自分の使える巫女が王女にひどい目にあわされるかもしれない!と考えた侍女はもっと人目のあるところへと促そうとしたのだ。
けれどそれを止めたのは侍女が守ろうとしていたはずの巫女自身。
にっこりと、温和に。けれど有無を言わさない笑みをノアは侍女へ向ける。
「いいえ。ここでいいわ。アリス王女とお話しする間、人払いをお願いできるかしら」
「……かしこまりました」
結局、封を切られることのなかった手紙を持ったまま侍女は神殿をあとにすることになる。
-----その後。
侍女の証言から第三王女が巫女を虐げているのではないかとの噂は広まってしまう。
アリスが王宮内で孤立する理由がまたひとつ増えてしまった。
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祭壇の前に2人の女性が立ち、お互いを見つめあっていた。
一方は切れ長の目元が冷たい印象を与える、氷の女王と評するにふさわしい見目。
一方は無垢で可憐さで、比護欲の掻き立てられる可愛らしい金髪の少女。
先に口を開いたのはアリスだ。
「まるで、私が何を話したいか分かってらっしゃるようなお顔ですね」
「わかりますもの」
「どうしてですか?封書も見てらっしゃらないのに」
「私は巫女ですから」
「………」
はにかみを浮かべるノアに、アリスはひとつ息を吐いた。
意味が分からないけれど、この人は本当に何でも『巫女だから』で片付いてしまうのだ。
だからもう反論はせずに、巫女である少女の金色の目を見つめて本題を切り出す。
「カミーユ・ベクレルをご存じですね」
ノアの大きな目元がみるみるまに優しく下がる。
とろけるように暖かい、自愛に満ちた表情。
10代半ばの少女の見目に似合わないほどの、深い感情を含んだ顔。
「知っているわ」
ノアは大きく一度頷いて。 けれど次にゆっくりと首を横にふる。
「知らないはずがないわ」
優しい表情はそのままだけれど、金色の瞳が今にも泣きだしそうに切なげに揺れていることにアリスは気付いてしまう。
ノアは薄く瞼を伏せて過去を思い出して懐かしみながら、桃色に色づく唇を薄く開いた。
彼女から漏れた言葉は震えていて少し擦れてもいて、堂々と姿勢よく立つその見た目よりも緊張しているのが分かった。
「カミーユ。この世でただ一人、私の愛しい子の名前」
神聖な神の身元で、ノアは己の罪の告白を決意する。
自身が本当は無垢な『乙女』では無く、1人の男の色に染められてしまっていると。
身も心も神にささげて、民すべてを分け隔てなく想うなんて到底出来ていないことを。
「私は、ただ一人の男性と、彼との間に出来た子供を愛している。絶対的な1番があるのです。平等に全ての民の幸せを祈るなんて、どうやっても有りえませんんわ」
そしてノアはゆっくりと語り始めた。
巫女として神殿に召し上がる前の、生涯で一番幸せな時間を。




