第72章:サイテン島
魔導船は夕暮れを背に、静かに海を走り続ける。
船体が規則正しく波を切る音だけが辺りに響く。
空にはオレンジと紫の色合いが溶け合い、小さな鳥の群れが鳴き声をあげながら西へと飛んでいた。
「…」
サシャ達は沈黙していた。
重い空気が船上を漂っている。
皆、それぞれの思いを胸に、過ぎ去った出来事を反芻している。
「なぁ。トルティヤ」
重い沈黙の中、リュウがトルティヤに声をかけた。
「なんじゃ?」
トルティヤがリュウの方を振り向く。
いつもの、やや不遜な表情をしていた。
「その…あの魔導師とは友だったのか?戦友と言っていたから…」
リュウは重い口を開き、クロウリーについて尋ねる。
「ふん。ちょっとした腐れ縁じゃ。気にしてなどおらぬ」
トルティヤは顔をそらすと、素っ気ない口調で呟いた。
「…そうか。なんかすまない」
リュウはそうとだけ呟くと、トルティヤの言葉の裏に隠された感情を察し、再び口を閉じる。
すると、待ってたとばかりにシャロンが明るい声で口を開く。
「そういえば、あなたは誰なの?あの坊やはどこに行ったのかしら?」
シャロンは一番気になっていたであろう、トルティヤの正体とサシャの関係性について尋ねる。
「ワシはトルティヤ。最強の魔導師と言われた魔導師じゃ…して、小僧なら今ワシの中に封印されておる」
トルティヤが自身の胸の部分を指さした。
「封印?なんだか、よく分からないわね…」
シャロンが怪訝な表情をする。
トルティヤの説明が理解できない。
「…小僧、この破廉恥女に説明してやれ。ワシは疲れた」
トルティヤはリュウに視線を向け、説明を促した。
「あ、あぁ…実は…」
リュウはトルティヤについて、これまでの経緯や彼の正体について詳細に話し始めた。
シャロンは興味津々といった様子で頷きながら話を聞いていた。
「へぇ。世の中、不思議なこともあるものね」
話を聞き終えたシャロンは不思議そうな表情をしていたが、リュウの話の整合性にどこか納得しているようにも見えた。
「僕も初めて見たときはびっくりしたんだよぉ!サシャが急にトルティヤになっちゃったんだから!」
アリアがトルティヤを初めて見たときの驚きを伝える。
その時、トルティヤの体が淡い光に包まれだした。
体が透けていくような感覚だ。
「なんだ?」
リュウがトルティヤの方向を振り向く。
「時間切れじゃ…ワシ自身の肉体を現世に長く憑依させすぎた。ワシは寝る。あとのことは小僧に任せるぞ」
そして、トルティヤの肉体は淡い光に包まれながら、徐々に見た目を変えていく。
光が収まるにつれて、サシャの髪色、目の色、そして服装へと戻っていく。
「…ん、ここは?」
サシャはゆっくりと目を開けると、おもむろに周囲を見回す。
「…気が付いたか」
リュウが安堵の表情を見せる。
「あ!サシャだ!」
アリアもまた嬉しそうな表情を見せた。
「なるほど…こういうことね」
その様子を見ていたシャロンが、先ほどのリュウの話と目の前の状況を結びつけ、理解し頷いた。
「…みんな…あれ、あの魔導師は?トルティヤは?…腕輪は?どうなったの?」
サシャは状況が飲み込めず茫然としている。
「腕輪ならトルティヤが無事に回収したぞ」
リュウがサシャの腰についている亜空袋を指さす。
「…!!ホントに!?」
サシャは慌てて亜空袋に手を入れる。
中に温かい金属を触った感覚を感じ、それを引っ張り出す。
「…これが…!熾天使の腕輪…」
サシャの手には、青白く輝く天使の羽が精巧に刻まれた腕輪があった。
それは、夕焼けの色合いと相まって絶妙なコントラストを醸し出していた。
「そういえば、あの魔導師は?トルティヤが撃退したのかな?」
サシャは腕輪を握りしめ、精神世界にいるであろうトルティヤに意識を向けながら呟く。
「すやすや…」
精神世界の中で、トルティヤは丸くなり、すやすやと寝息をたてて眠っていた。
「(トルティヤ…また無茶したんだな…)」
サシャは少し呆れたような、しかし感謝と安堵を含んだ、複雑な笑みを浮かべた表情で、心の中のトルティヤを見つめた。
「あの魔導師は…」
リュウがサシャに事の経緯を伝える。
ネクタルとの戦い、クロウリーの壮絶な過去、そして彼の最期について。
「…そうだったんだ…。トルティヤの…戦友だったんだ…」
サシャは精神世界のトルティヤを見つめながら、静かに呟く。
その瞳はどこか悲しげであった。
「あぁ。トルティヤは表向き、強がってはいたが実際は…」
リュウは言葉を詰まらせる。
「…」
リュウが何を言いたいかはサシャは理解していた。
すると、シャロンが声を張り上げる。
「ほらほら、いつまで湿っぽい空気を引きずってるの?あの魔導師だって、湿っぽいのはダラダラと続くのは嫌って言ってたでしょ?飛ばすわよ!しっかり掴まってなさい!」
シャロンが操舵輪に力を込め、笑顔で言う。
そして、魔導船は夕焼けに染まった海をもの凄いスピードで走って行った。
魔導船を走らせて約1時間半、辺りはすっかりと暗くなり、夜の帳が降りていた。
空には満天の星が輝き、波は静かに音を立てていた。
「あれよ。サイテン島ね。見えてきたわ」
サシャ達が乗った魔導船はサイテン島に近づいてた。
遠くに島のシルエットと明かりが見える。
島にはところどころ明かりが灯り、人々の営みを感じさせる。
目印であろう高台にある灯台は、温かいオレンジ色の明かりを灯し、闇夜の船を導いている。
島から潮の香りと共に、微かな喧騒が漂ってくる。
「結構、遠かったですね…」
サシャは長旅の疲れを感じつつも、無事に島に辿り着けたことに、どこかホッとしている様子だった。
「なんか安心したらお腹が空いてきたよぉ!」
アリアはお腹を押さえながら呟く。
「あぁ…今日は色々とあったしな。ゆっくり休みたいところだな」
リュウが背伸びをしながら呟く。
彼もまた疲労困憊だ。
「そうね。ちょうどいいわ。私の行きつけのレストランがあるから、そこで食事にしましょう」
シャロンがにっこりと笑う。
そして、魔導船はゆっくりと港湾にある船着き場に止まる。
岸壁に近づくと、魚の匂いや潮の香りが強くなる。
隣には貨物船らしき船、そして、いくつかの小型の帆船が停泊していた。
「着いたわ。ようこそサイテン島へ」
シャロンが魔導船の操舵輪から手を離す。
港湾には明かりが灯り、漁師や港湾関係者らしき人影が見える。
そして、その近くにはレンガ造りの巨大な建物が見える。
「なんか大きい建物だね!お城みたい!」
アリアが目の前の建物に視線を向ける。
「これは一体なんの建物ですか?レストランにしては大きすぎるような…」
サシャはシャロンに尋ねる。
「ふふふ…中に入ってみてのお楽しみよ。きっと驚くわよ」
シャロンは口元に人差し指を当てながら呟く。
そして、サシャ達はシャロンの後ろをついていき、巨大な建物の中に入る。
「すごい…ほんとにお城みたいだね!天井が高い!」
アリアが周囲をキョロキョロと見渡す。
壁には、この地域の漁師が使うであろう、古びた漁師用具が装飾のように展示されていた。
サシャ達は建物の中を進む。
やがて、空間が開けた場所に辿り着く。
「…なんだあれは?」
リュウが思わず目を丸くした。
思わず驚きの声が漏れる。
「何かの乗り物かな?見たことがない…」
サシャはその見た目に圧倒される。
「よく分からないけど、かっこいい!!」
アリアは目をキラキラさせていた。
「驚いた?これがサイテン島名物。蒼霧列車よ」
サシャ達の目の前には、青銅色に輝き、重厚な鉄の塊が堂々と広間に鎮座していた。
それは、これまで彼らが知っていた乗り物とは全く異なる、見たこともない形状で、先頭からはシューシューと音を立てて白い蒸気を放ち、鉄と油、そして微かな蒸気の匂いが鼻をくすぐる。
目の前に広がる巨大な鉄の塊に、サシャ達は驚きを隠せないでいた。
「蒼霧列車?」
サシャ達は首をかしげた。聞いたこともない乗り物の名前だった。
「これはね。石炭の燃焼エネルギーを魔力が増幅させることで、凄まじい速さと力で走る乗り物なのよ。サージャス公国から亡命してきた魔導技師が、この島で魔導と機械工学の粋を集めてゼロから作ったと言われているわ」
シャロンは蒼霧列車について説明した。
「サージャス公国の…そうなんですね。なんだか…すごいです」
サシャはサージャス公国の名を聞いて一瞬、肝が冷えるのを感じた。
なぜなら、サージャス公国という名前には良い思い出がないからだ。
「とりあえず乗りましょう」
シャロンが列車の方へ向かう。
「あ、乗車賃は?」
リュウが一番大事なことをシャロンに尋ねた。
「大丈夫よ。いいから、私についてきなさい」
シャロンがサシャ達に手招きをした。
三人は首をかしげつつも、シャロンについていく。
「四名様でいらっしゃいますか?乗車賃は一人500ゴールドになりますが…」
すると、扉の前に黒い帽子をかぶり、黒いコートを着た、ここの職員らしき男がシャロンとサシャ達に尋ねた。
「海兵隊よ。任務の途中なの。こちらは協力者になるわ。協力者にも、規則上、優待があるはずだけど?」
シャロンがポケットから灰色の手帳を見せる。
それは、海兵隊の所属証のようだった。
「これはこれは海兵さん!夜遅くまで任務ご苦労様です。もちろん、協力者の方も優待がございます。どうぞ、お乗りください」
職員らしき男は軽くおじぎをすると、横にずれて扉を開けた。
彼の顔に、畏敬と丁寧な対応の色が浮かぶ。
「ありがとう」
シャロンは職員に礼を言うと、サシャ達に得意げにウィンクをした。
「…(堂々と嘘をつくとは、食えない女だ)」
リュウはシャロンの行動に呆れた表情を見せた。
「あ、ありがとうございます。失礼します…」
サシャは職員に一礼をすると、少し緊張しながら列車の中に入っていく。
「楽しみだよぉ!中はどうなっているのかな?」
アリアはウキウキしながら列車の中に入っていく。
列車の中は、上質な宿屋の部屋にも劣らない造りをしていた。
柔らかそうなベルベットの椅子が備え付けられており、窓はピカピカに磨かれていた。
そして、天井には温かい光のランプが吊るされていた。
「はぇぇ…すごい…」
サシャ達はその光景に目を丸くしている。
列車の中には若い商人と思われる女性が帳簿をつけていたり、冒険者らしき男が地図を広げていたり、エルフ族の年老いた男が静かに本を読んでいたりと、様々な人が乗っていた。
しかし、夜も遅いことか、椅子はかなり空いていた。
「さ、座って座って」
シャロンは近くの窓際の椅子にドカッと腰を下ろした。
「は、はぁ…(座ってもいいんだよね?)」
サシャは落ち着かない様子で辺りを見渡しながら、シャロンの隣の椅子に腰をかける。
「この椅子、ふかふかしているよ!」
アリアは椅子の座り心地を楽しんでいる様子だった。
すると、何かしらの魔法の効果なのか、クリアで爽やかな声が車内に響き渡る。
「いつも蒼霧列車をご利用くださりありがとうございます。定刻になりました。19の刻20の針、サイテングランドリゾート行き、まもなく発車します」
「サイテングランドリゾート?パライソのような場所かな!!」
アリアが目を輝かせながらシャロンに尋ねる。
「そうね。パライソよりも小さいけど立派なリゾートよ。スパも綺麗で、美味しいものもたくさんあるわ。けど、残念ながら今回は行かないわよ」
シャロンが残念そうな表情を見せた。
「レストランがあると言っていたが?」
リュウがシャロンに視線を向けて尋ねる。
「そうよ。どんな場所かは着いてからのお楽しみね」
シャロンが楽し気に笑みを見せた。
そして、ゆっくりと列車がゴトゴトと規則正しい音をたて、振動と共に動き出し始める。
外からは車輪が回転する音が聞こえる。
「動いている!!」
サシャが窓の外を眺めると、外の景色が少しずつ動き出していた。
「当り前じゃない。列車だもの…全く、可愛いわね」
その様子を見たシャロンはサシャをからかった。
そして、蒼霧列車は目的地に向かって加速し、力強く走る。
途中でいくつかの場所で停車し、新たな乗客を乗せていった。
車内は少しずつだが、人が増えていく。
やがて、椅子が殆ど埋まり、中には立って乗車する者もいた。
列車内が急に賑やかになる。
「混んできたね…」
サシャが周囲を見渡す。
乗客の多さに驚いている様子だった。
「ちょうど、私たちが停泊した隣の港で、大陸からの客船が到着した時間ね。皆、グランドリゾートに向かっているのかしらね。観光客も多いわね」
シャロンが視線を向けた先には、赤いマントを羽織った高貴な雰囲気の貴族らしきエルフ族や、黄色のお揃いのシャツを着た楽しそうなカップルらしき男女、派手な装いをしたリザード族など、様々な種族や身なりの人が乗っていた。
そして、そのまま列車は島内を進む。
列車の速度は更に速くなる。
「わぁ!綺麗だよぉ!星がいっぱい!」
アリアが窓の外を眺め、夜空を見上げる。
「これは…確かに幻想的だな」
「夜空ってのはこんなに輝いているものなんだね。まるで宝石箱みたいだ…」
リュウとサシャも窓の外を眺める。
そこには、見たこともない幻想的な何かしらの星座が、光の帯や形を描くように広がっていた。
その美しさに三人は思わず目を奪われてしまう。
そして、30分くらいが過ぎる。
少しずつ列車の速度が緩やかになる。
「そろそろかしらね」
シャロンが待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「まもなく、ロガード、ロガード。お降りのお客様はお忘れ物がないよう、支度の上、お降りの準備をお願いいたします。繰り返します。まもなく、ロガード…」
車内に爽やかな声で放送が流れる。
「目的地についたわよ。降りましょう」
シャロンが椅子から立ち上がる。
「分かりました…にしても、ちょっと揺れるね」
サシャ達も椅子から立ち上がるが、列車の揺れに少し戸惑う。
「わっとっと…足元がフラフラするよぉ」
アリアが少しバランスを崩す。
揺れる列車の乗り心地に慣れていないようだった。
「ガタン…」
列車の扉が開く。
その瞬間、潮風の心地よい香りと涼しい風がサシャ達を包んだ。
「ご乗車ありがとうございました…」
ドアの前の職員が軽くおじぎをしている。
同時に、列車に乗ろうとしている男女が外で数人並んでいた。
そして、しばらくすると蒼霧列車は白い煙を吐き出しながら、汽笛を鳴らし、次の目的地へと出発した。
「風が気持ちいいや。空気が美味しい…!」
サシャは背伸びをし深呼吸をする。
クロウリーの件で沈んでいた気持ちが少しだけ軽くなった。
「ふふふ…目的のレストランはこの先よ。ついてきなさい」
シャロンはまるで誘惑するかのように先頭を歩く。
「お腹ペコペコだよぉ!早く行こう!」
アリアは空腹にお腹を鳴らしていた。
列車の発着場から歩いて5分くらいのところだろうか。
サシャ達は青いレンガで作られた建物の前にいた。
街灯に照らされた木製の看板には「宿とお食事の店-凪-」と書かれていた。
「ここよ」
シャロンが店の扉を開ける。
「カランカラン」
店の呼び鈴が店内に響く。
「いらっしゃいませ!空いてる席にどうぞ!」
青色のエプロンを着たエルフ族と思わしき若い女性店員が、満面の笑みで出迎えてくれた。
店内にはシャロンと同じ白い制服を着た海兵隊らしき男が数人、楽しそうに会話をしながら食事をしており、地元民と思われる初老の男が何かを飲み、くつろいでいた。
そして、奥の席にはマクレン族の女性が二人、エビらしき殻付きの赤い海産物を美味しそうに食べていた。
「よいっしょっと…」
シャロンとサシャ達は窓際の椅子に座る。
窓から街灯の明かりが見える。
「クンクン…なんか、いい香りがするよぉ…」
すると、アリアは店内に漂う独特の香りに気が付く。
それは、食欲をそそる香りだった。
「ふふふ…気づいたかしら?」
シャロンがサシャ達に尋ねる。
「確かにいい香りがする!スパイシーで、でも食欲をそそる…!」
サシャも店内の香りを感じていた。
それは、鼻腔をくすぐる複雑な香りだった。
「かぐわしい香りだ。なにかの香辛料か?」
リュウはその香りから何かしらの香辛料を使った料理と推測した。
「ご注文をお伺いしまーす!!」
すると、先ほどのエルフ族の店員が、明るい声で注文を尋ねてくる。
手に注文用のメモを持っている。
「海兵咖喱を4つお願いできるかしら?」
シャロンが迷うことなく、目的の料理を注文した。
「海兵咖喱?初めて聞く名前だな…」
サシャ達は聞いたことがない料理に首をかしげた。
「この良い香りのするスパイスの正体よ…サイテン島の名物なの。きっと気に入るわよ」
シャロンは待ちきれないという表情をする。
しばらくすると、トントンと料理の準備をする音が聞こえる。
そして、サシャ達のテーブルに四つの皿と冷えた水が運ばれてくる。
「海兵咖喱お待ちどうさまです!熱いのでお気をつけください!」
エルフ族の店員がにこやかな笑みを向けながら、湯気を立てる皿と冷えた水が入ったグラスをテーブルに置いた。
「茶色のスープとライスが一緒になっている?」
サシャは運ばれてきた料理の見た目に少し驚いている。
「うわぁ!いい香りがするよぉ!」
アリアは今にも料理に口をつけそうな表情をしていた。
「これが香辛料の正体か。なんと面妖な…」
リュウはその香りから何種類もの香辛料が使われていることを感じ取る。
三人の反応は三者三様だった。
皿の上には、深みのある茶色をしたスープが並々と盛られ、その中にゴロっとした肉と芋が入っていた。
スープは独特のスパイスの香りを強く放っている。
その横には、鮮やかな黄色をしたライスが添えられていた。
そして、端っこには、茶色の刻まれた漬物らしき野菜と、白く丸い小さい玉ねぎのような野菜が乗っていた。
それは、見た目にも鮮やかで、食欲をそそる盛り付けだった。




