嫉妬
前半シヴァ視点、中~後半エミリー視点です。
「どうでしょ?ちゃーんと測っとりますんで、ぴったりやと思いますけど」
「ああ、問題ない」
「とっても素敵ですわ!流石シヴァ様です」
「様付けなんてせんでも大丈夫ですよぉ、姫様」
結婚指輪を試着しているというのに不機嫌そうな声を出す外套に包まれたユアンと、明るい笑顔で指に嵌まる結婚指輪を見つめるエミリー。
二人の対照的な態度を見比べて、シヴァはくすりと口元に笑みを浮かべた。
元々ユアンのことは大口の顧客ではあるが変わり者だと思っていた。
そんなユアンから「結婚指輪の制作をお願いしたい」という依頼が来たときは、どんな変わり者が嫁に来るんだかと思っていたのだが。
「――ああ、この美しい曲線。まるで指に溶け込むかのような着け心地。埋め込まれたダイヤモンドのカッティングの美しさ…。何より、内側にあの色を秘めているかと思うと、気分が高揚してしまいますわね……」
恍惚とした表情で語るエミリー。成程確かに、随分と変わり者を娶ったらしい。
元々貴族に自分の作品が評価されていないことを知っているシヴァは、それでも構わないと思っていた。
特に今は公爵であるユアンがある程度制作した家具を買い取ってくれるため、生活するのに困らない程度には収入を得ることができている。
今後装飾品にも手を出そうと、試作品を送ってすぐにこうして結婚指輪という大きな依頼が来るとは思っていなかったが。
指輪の制作のために一度来てほしいと言われたときは、正直それ程乗り気ではなかった。
少なくともユアンが娶る娘は、間違いなく貴族の令嬢。
ブランドを気にする令嬢が、殆ど無名に近い、しかも元々装飾品制作をやってこなかった自分のことなど卑下するに違いないと思っていたから。
評価されないことを理解はしていても、目の前で否定されるのは堪えるものがある。
――まさか、相手がシヴェルグランリーのファンなどとは夢にも思っていなかったのだ。
「そぉんなに喜んでもらえるなんて、冥利につきるっちゅーか…。やっぱり、姫様は最高のファンですわぁ」
姫様の両手を自分の両手で包み込む。
一瞬で空気の温度が下がったような感覚に、思わずニマニマとした自分でも嫌な笑みが浮かんでしまうのが分かった。
「――…シヴァ?」
「なんでしょ、公爵様。もしかして、姫様に触れてるんが面白くないっちゅーことですかね?」
「分かっているなら何故そうするんだ?」
(こうすると公爵様は面白い反応をするし、姫様も嬉しそうにするんで…、とは言えんなぁ)
今まで顔が見えないから考えていることが分からず、お得意様といえど少々気味が悪いと思っていたユアンは、エミリーが関わるとこんなにも分かりやすい。
外套のフードを深々と被っていても、こうして何を考えているのか伝わる程に。
また、シヴァが手に触れたときは微塵も照れた様子を見せないエミリーが、ユアンに嫉妬されていると分かるだけでこうして真っ赤になるのも楽しくて見ていて飽きない。
可愛らしい夫婦に、ユアンの怒りを買うと知りながらも、シヴァはやはりニマニマとした笑みを浮かべてしまうのだった。
◇
「……ようやく帰ったか…」
ユアンの呟きに、エミリーはこくりと頷いた。
エミリーから見てユアンとシヴァはとても気が合うように見えるのだが、ユアンにとってはそうではないらしい。
「素敵な指輪になって良かったですわ。他の準備も順調に進んでおりますし、あとはもう式を迎えるだけですわね」
「そうだな。……もうあと二週間か」
二週間後、ユアンとエミリーは正式に夫婦となる。
最近では式の準備で忙しいからか、ルイスもメイもバタバタしており、その分二人きりの時間が増えていた。
「……君は、ああいう方が好みか?」
ユアンに突然そう問われ、エミリーは首を傾げた。
ああいう方が、とは何を指しているのか――と考えを巡らせて、けれど結局分からず、ユアンを見つめる。
暫く沈黙が続いた後、ユアンは困ったような顔を浮かべてから口を開いた。
「その…、シヴァのような、親しみやすい男の方が好みか?」
「……好みというのは、異性として、という意味で宜しいんでしょうか」
「ここでそれ以外の意味では聞かないが」
つんとした言い方をするユアンは、しかし耳まで赤くなっている。
つられるようにして、エミリーの頬にも熱が集中した。
エミリーが初めてシヴァと会ってから、ユアンはまるでシヴァに対して嫉妬しているかのような素振りをするものだから、もしかしたらユアンもエミリーと同じ気持ちを抱いてくれているのかもしれないと考えてしまう。
今日だって、シヴァがエミリーに触れるのを面白くないと言っていた。
きっとエミリーも、ローザが親し気にユアンの手に触れていたのなら面白くなかっただろう。そんな思いを、ユアンも――そう考えるだけで、益々顔が熱くなっていく。
エミリーの顔を見たユアンは、眉を顰めた。
「――愚問だった」
「はい……」
確かに、愚問である。
エミリーにとってユアン以上に好みの男性はいない。
指輪の内に埋め込まれた宝石のように美しい髪色も、全てを美しく映り込む澄んだ瞳も、それを縁取る長い睫毛も、顔の中央を横断する過去の傷も、あの日エミリーの額に触れた想像よりも柔らかい唇も。
普段は冷たいのに気の知れた相手と話すときは少し温かくなる声も、相手の気持ちを必要以上に考えてしまうところも、エミリー以上に多く学びに時間を割いている勤勉さも、過去辛い思いをしてきたのにそれを他人に押し付けない優しさも。
最初から惹かれ、知る程に愛おしくなっていくユアン以上の存在なんて、いる筈がない。
「…聞いたところで意味はない。君の好みがシヴァのような男だろうと、君の夫となるのは俺だ」
「え?」
「すまない、君は断れないというのに」
ユアンは目を伏せた。綺麗な瞳が陰る。
エミリーはそこで漸く、ユアンが何か思い違いをしているらしいことに気が付いた。
エミリーは、向かい合わせに座るユアンの手を取った。
伏せられていた瞼が持ち上がり、美しい瞳がエミリーを映す。
悲し気に歪められた眉が、エミリーのことをも切なくさせる。
「…何か誤解させてしまったかもしれませんが、私の好みは言うまでもなくユアン様ですわ。結婚も、ユアン様としか考えておりません」
「……だが…さっき、シヴァのことが好みかと聞いたとき、頬を染めただろう。シヴァが手を握っても同じような反応をしていた。……あいつは軽薄なところがあるが、人との距離を詰めるのは俺なんかより余程上手いし、なにより君が好きな意匠だ」
「それは、ユアン様が、まるで嫉妬して下さったみたいだったから嬉しくて……。シヴァ様は確かに尊敬すべき意匠ですし、私は彼のファンに違いありませんが、それと結婚は全く別ですわ」
エミリーの言葉を聞いたユアンは、安堵した表情でがっくりと肩を落とした。
そして、困ったような顔で笑う。
「嫉妬したみたい、ではなく嫉妬していた。すまないな、心が狭くて。俺も初めて知ったんだ」
「――…!まあ、本当ですか?本当に、嫉妬して下さっていたんですか?」
エミリーはずいと身を乗り出してユアンの顔に自分の顔を近付けた。
突然の近距離で身じろいだユアンに、ふいと目を逸らされる。
「嘘などつかない」
顔を逸らした状態のまま、ユアンはぼそりとそう告げた。
その後、拗ねたように言葉を続ける。
「…君には分からないだろう。こんな、情けない気持ちは……」
「私だって、ユアン様がローザを選んでしまうのではないかと思って不安になりましたわ」
「……君が?何故。君と彼女は似ても似つかないし雲泥の差だ。選ぶ筈もない」
ユアンはエミリーの方を見て、意味が分からない、という表情を浮かべた。
エミリーにとってはローザは皆に好かれる器量の良い妹だ。エミリーが持っているものを全て欲しがってしまうのは少し困ったところだけれど。
「ユアン様が迷いなく私との結婚を選んで下さって、私がどれだけ嬉しかったことか、きっとユアン様にもお分かりになりませんわ」
エミリーは両手を自身の胸元に当てた。
心臓が煩く音を立て続けている。すぐにはやみそうにない。
落ち着かせるようにそのまま手を当てて、漸く落ち着くかと思えた頃、エミリーの左手をユアンの手が取った。
ユアンに引かれた左手が、ユアンの顔の近くで止まる。
かと思えばユアンの顔が近付いてきて、そのまま柔らかい唇がエミリーの左手薬指の付け根に押し当てられた。
「っ……」
「ここに、俺の妻だという証がつけられるんだな」
「――は、い」
ユアンが柔和に笑う。
折角少しだけ落ち着いていたエミリーの心臓の音が、また更に速度を増した。
ユアンといると、平穏に脈を打てるときはないのではないかとすら思える。
「ユアン様は、もう少しご自分が魅力的であるということを自覚なさった方が宜しいですわ…」
「そんなことを言うのはこの世界で君一人だ。君以外にこの容姿を好む者はいない」
「ユアン様以上に美しい方はおりませんわ。それに、容姿だけの話ではありません。そういう風に勘違いしていらっしゃるから、無自覚なのですわね」
「それを言うなら君だって」
ユアンに捉われていた左手が解放される。
代わりに、ユアンの右手がエミリーの顎へと触れ、優しく上を向かされた。
透きとおった綺麗な宵闇色の瞳と、ぱちりと目が合う。
水晶のような目に映る驚いた自分の顔がとても間抜けだと思うのに、目を逸らすことも出来ず、エミリーはただ瞬きも忘れてユアンの目を見つめた。
ユアンの瞼が少しずつ降ろされ、細くなる瞳がエミリーに近付く。
「――あまりに無防備だ。心配になる程に」
ユアンが瞼を閉じる。
長い睫毛に見惚れている内に、唇へとあたたかな温度が乗る。
目を閉じようと思うことすら出来ないまま、気付けばユアンの唇はエミリーから離れていた。
顎に触れていたユアンの右手が離れようとする気配を察して、エミリーはユアンの右手首を掴む。
まだ眼前にあるユアンの目が見開かれた。
「…ユアン様、私とキスしたいと思って下さったんですか?それとも、気を抜きすぎだということを伝えるためですの?」
「――そんな回りくどい伝え方はしない」
「では、どうして、したいと思って下さったんですか?」
「そんなの君が好きだからに決まって、いる、…だ、ろう……」
ユアンは、まるで自分の言ったことが予想外であったかのように憮然とした表情を浮かべる。
エミリーももしかしたら自分と同じ気持ちでいてくれているのではないかという気持ちがなかったとは言い切れないが、躊躇いなくユアンが好きだと言ってくれたことに対して、かなりの衝撃を受けていた。
そうして、それが枷を外したのか、エミリーの中の想いが堰を切るが如く溢れ出す。
「――嬉しいですわ、ユアン様!私もユアン様のことが好きです!お慕いしております!!」
存外と大きくなってしまったエミリーの声だが、ユアンがそれに言及することはなかった。
それどころではなかったともいえる。
顔をこれ以上ないくらいに真っ赤にさせたユアンが、ぱくぱくと口を開閉する。エミリーが掴むユアンの右手から、彼の震えが伝わった。
「相思相愛とはなんて幸せなことなのでしょう。このような幸福、私は本の中でしか味わえないのだと思っておりましたわ!しかも、ユアン様のように素敵な男性とだなんて、まるで物語のようです。本当に、本当に、感謝いたしますわ、ユアン様!この幸せに報いることのできるよう、妻として、精一杯務めさせて頂きますわね!」
「……っ、よ、宜しく頼む……」
エミリーが恍惚とした表情でつらつらと述べた言葉に、ユアンは漸く絞り出したような声で答える。
その返答に満足したエミリーは、自分の心の奥底から滲み出る多幸感に満面の笑みを浮かべるのだった。




