101 . 秋宵騒動〈五〉
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「これはまた、随分と雰囲気のある場所ですね……」
真昼間だというのに薄暗い森林の中。それだけでもやや不気味なのだが、その先の開けら場所にひっそりと存在するトンネルが更なる怪しい雰囲気を作り出す。
今では使われていないトンネルは所々外壁が剥がれ落ち、至る所にコンクリートの破片が転がっている。
空気は冷え込み、埃っぽい。先の見えない暗闇は底気味悪いの一言に尽きる。
どこか異界と繋がっていそうな、この世のものではない存在が蔓延っていそうな、世間一般的には間違いなく心霊スポットと称されるそんな場所。
だがこのような風景を日常的に見慣れている本職からしてみれば、恐怖心なんてものは雀の涙程度である。
いや、そもそもそんなものが彼らにあるのかさえ疑わしいほどだ。
さっさと仕事を終わらせるべく何の躊躇もない足取りでトンネルに踏み入る西園寺と煉弥。
ザッ、ザッ、と地面を踏み鳴らす足音だけがトンネル内に木霊する。
この空間にいる人間は彼ら二人だけだ。そう、人間は。
人ならざる者ならば、探すまでもなくそこら中に存在している。
「異様な数の多さですね。本来、此処はこれ程までに霊が集まる場所ではなかったはずなんですが……」
その多くは害のないただの死霊だが、ちらほらと、そこそこ強い悪霊の気配も確かに感じ取れた。
霊の多さからしても、悪霊の不穏な瘴気からしても、術師会が厄介と判断したことには頷ける。
これは中級程度の術師ではなかなかに荷が重い。下手したら悪霊に命を奪われる可能性だって無きにしも非ずな状況だ。
「どう思いますか煉弥くん。これほど霊が集まるのは、あくまでも自然の摂理なのでしょうか。それとも、何か人為的な力が介入しているのか……」
「訊くまでもないだろ」
「ええ、そうですね。ここまで呪術の痕跡を残されては、こちらとしても何かの罠かと疑わずにはいられませんね」
このトンネルに入った時から分かりきっていた呪術の気配。
自然には起こり得ないと断言できる人為的工作。
意図して霊を呼び寄せた悪意の証拠。
果たしてこの呪術を仕掛けた術師は、こんなに霊を集めて何がしたかったのだろうか。
死霊単体では害はなくとも、強い怨恨を持つ悪霊と同じ空間にいればその瘴気に当てられ、ただの死霊が悪霊に変化することも稀ではない。
この場所がまさにその状態だ。
悪霊の数はさほど多くはないが、如何せんその力が強すぎる。
これでは周りの死霊も着々と悪霊になってしまう。そうなればあっという間に悪霊の巣窟の出来上がりである。
この周辺にはいくつかの村がある。
もう少し降りれば大きな街もある。
つまりは結構な人が住んでいるということ。
もしも此処に悪霊が大量発生してしまえば、憎悪怨恨入り混じる瘴気が溜まるのは必然であり、そうなればもう霊騒ぎなんてレベルではない。惨事だ。
「悪質ですねえ。ただでさえ術師は万年人手不足だというのに、私たちに更なる労働を強いるつもりのようです」
やれやれと、西園寺は溜め息を吐かずにはいられない。
これほどの霊が相手となると個人の術師では対処しきれず、術師会に話が来るのは当然だろう。
遅かれ早かれ、この案件は術師会が対処せざるを得なかった。
どうやらこれらの背後には術師会を過労死させたい輩がいるようだ。
「この様子では、恐らく八神さんたちの方も同じような状況になっているのでしょうね。相手の思う壺になるのも癪ですし……煉弥くん、お願いできますか?」
言われるまでもなく、煉弥は大量の死霊の成仏と悪霊の調伏に取り掛かった。
煉弥とて誰の悪意かも知れない事柄に時間を取られるつもりはない。
並の術師では手に負えないことでも、煉弥にとってはただの仕事の一環。造作もないことである。
トンネルを進み、入り口から入る明かりも届かなくなる数歩手前。
すでに周囲は悪霊に取り囲まれており、濃い瘴気が充満し空気が澱みきっている。術師であっても卒倒しそうなこの状況で、それでもやはり煉弥の顔色は変わらない。眉のひとつも動かない。
「霊は見つ、主は誰とも知らねども、結び止めつ───」
迫り来る悪霊に見向きもしない煉弥は無感情に詠唱する。
誦え終わるのと同時に、死霊も悪霊も一様に、トンネル内から一瞬にして霊という霊が消え失せた。
「お見事」
西園寺は感嘆した。
彼の呪術を間近で見るのは随分と久しいことだが、これが七々扇煉弥という術師の実力なのだと。
あれほどの数の死霊、あれほどの力を持つ悪霊。本来であれば、腕の立つ術師が複数人で長々と呪文を誦え、やっとのことで祓えるかどうかの話だというのに。
それを、彼はたった一文誦えただけで、こうも簡単に調伏してしまう。
彼の実力を測りたい者は術師会九家の中にも多いが、見るたび、やはり底が知れないことを再確認するだけになるのだった。
心霊スポットと化していた場所の後処理───トンネル内とその周辺の浄化作業は部下たちの仕事だ。
霊を祓ってはいお終いではなく、再びその場が霊の巣窟にならぬよう清めるところまでが術師としての仕事である。
強力な悪霊の調伏は難しくとも、浄祓くらいならば大抵の術師は行える。
「ああ、そうだ。そういえば煉弥くんに訊きたいことがあるんでした」
せっせと働く部下たちを傍目に、西園寺は世間話でもするように煉弥に問い掛けた。
「あの動物霊を連れた彼女、あの子は一体何者なのでしょうか?」
今日で二度目になる彼女との対面。
たったの二度、それも短い時間ではあったが、いまだに掴みきれずコロコロと印象が変わる彼女。
「以前お会いした時は術師ではないと仰っていましたが、果たして本当に視えるだけの一般人なのでしょうか? 呪術に対してもどうやら無知ではないように見受けられましたし……」
悪霊狩りでは無警戒にも悪霊に近寄っていた。襲い掛かられ、押し倒されても平然とした態度を崩さずに。
その上、彼女自身が直接的に呪術を使っているわけではなかったが、煉弥の呪符を用いて悪霊の調伏までしていた。
あれは呪術を知らぬ者の行動ではない。
正しく理解しているかは別として、霊という存在を、呪術という能力を、知っている者の行動だ。
少なくとも、西園寺にはそう見えた。
「ねえ煉弥くん、あなたなら知っているんじゃないですか? 彼女の正体」
ちらりと、深海を彷彿とさせる青玉が西園寺を見遣った。
その視線は何を意味しているのか。残念ながらそれが分かるほど西園寺は煉弥のことを知らなかった。
「……さあな。本人に直接訊け」
煉弥は知っていた。
千景が相当に腕の立つ術師であることを。
煉弥は気づいていた。
千景がなにか大きな秘密を抱えた術師であることを。
しかしそれを他人に、しかも術師会の人間に明かす気などさらさらなかった。
何より千景自身がそれを隠したがっている。術師であることはもはや面白半分で偽っているだけのようだが、それらすべての根幹を千景は決して人に見せようとはしない。
であれば、煉弥の口から漏らすことなど初めから何もありはしないのだ。
分かりきっていた煉弥の返答に西園寺は肩を竦める。
「……やれやれ、それは困りました。彼女に尋ねたところでのらりくらりと躱されるのが関の山でしょうから」
問いは投げたものの、煉弥から有用な言葉を得られるとは思っていない。
彼女本人に訊いたとして、ああいうタイプはそう易々と自らの情報を開示したりはしないだろう。
どのみち初めから彼女についての情報を得ることは不可能だったのだ。
以前会った際には感じられなかった呪力が今回微かに感じられたような気がしたために、その真偽を確かめたかったのだが………所詮は西園寺の他愛もない独り言でしかなかったというわけだ。
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