99 . 秋宵騒動〈三〉
* * *
車に揺られること十数分。
目の前に建つのは、普通に泊まればそこそこ値が張りそうなホテルだった。
聞けばこれも術師会所有の宿泊施設のひとつだと言うのだから、そろそろ術師会の財力でも覗いてみたいと本気で思えてきた。
コンシェルジュのいるエントランスを抜け、奥のエレベーターに乗り込む。
上質そうなカーペットが二人分の足音を静かに飲み込んだ。
「あーあ、なんでこんなことになったんだか……」
「だからアンタはいるだけで意味があんだよ。な、蛇嬢?」
「……変な呼び方しないでくれます?」
「ならさっさと名前でも教えてほしいもんだ」
「あ、蛇嬢でいいです。うん全然いい」
「連れねえなァ」
そう言ってケラケラ笑うスーツの男。
名を篠北和泉と言うらしい。
以前、悪霊狩りでもちらりと言葉を交わしたことはあったが、そう簡単に自分のような得体の知れない人間に名を教えてもいいのだろうか。
そう尋ねたところ、本人曰く「この業界じゃ俺の名は知られてっから今さら隠したところで意味ねーわ」ということらしい。
その発言に加えて、男からひしひしと感じる強者のオーラ。
それで確信した。
この男、間違いなく結構な家の結構な術師であると。
先ほど、ひと仕事終えて志摩と煉弥がいないことに気づいた時。
訳知り顔で話しかけて来たのがこの男、篠北和泉だった。
なんでこんなところにいるだとか、待ち伏せでもしていたのかとか、問いただしたいことはいくつもあった。
しかし話を聞けば、どうやら千景の探し人二人は彼の仲間、つまり術師会に連れていかれたと言うではないか。
煉弥ひとりであれば放っておいたかもしれないが、志摩も一緒となると話は別だ。
非術師がすでに術師の事情に巻き込まれているであろうことはもう諦めるとして。引き寄せ体質の志摩が術師の巣窟に放り込まれたとあれば不安しかない。
だからこうして言われるがまま無抵抗で男について来たのだ。
「術師会の事情はさっき話した通りだ。七々扇の小僧を働かせるためにアンタにも来てもらったってわけ。まあ人質だな」
「明け透けな言い方。嫌いじゃないけど」
「ちなみに術師会連中はアンタがいることは知らねえぜ。俺がたまたま見つけただけだしな」
「術師が言う『たまたま』ほど信じられないものはないよね。……まあ、ついて行くだけなら言うとおりにしてあげるよ」
「へえ、聞き分けいいじゃねえか。もっと楯突かなくていいのか?」
前回、術師会への勧誘をバッサリ断ったせいか、どうやら彼の中では随分と反抗的な人間と認識されていたようだ。
もちろん術師会になんて行きたくはない。
奴らの指図に従った協力なんてもってのほかだ。
ただ、この案件は上手くいけば千景の利にもなる。
目的を持って術師会を探ろうとしていた千景にとって、術師会上層部と関わりのありそうなこの男との接触は好都合なのだ。
「私に何を求めてんのか知らないけどさ。どうやらあんたにも思惑があるみたいだし? ここは大人しくついてってあげますよー」
完全なる千景の偏見だが、相当な実力を持つ術師には狡猾な人間が多いように思う。
無駄に頭が回り、無駄にポーカーフェイスが上手い。
だからその感情であったり企てであったり、何かを隠すのもやたらと上手い。
篠北和泉がどういう人間かは知らずとも、彼がそういう部類に含まれる術師であろうことは間違いない。
かく言う千景自身も同類だからこそ、なんとなく、本能的にそういう匂いを嗅ぎ分ける。
(この人、腹の底にバカでかいモノを抱えてそうなんだよなー…)
ポン、と軽快な音とともにエレベーターの扉が開いた。
廊下に人はいないが、その向こうの大きな扉の先には多くの気配があった。
「やっぱあれだな。前言撤回」
「ん?」
扉に手をかけた篠北が鷹揚に振り返る。
その顔に乗せられた表情がなんと悪人じみていたことか。
「お前、最高に扱いづれェわ」
歓喜と酷薄さと。
腹に一物も二物も抱えているのがまるで隠せていない顔でニタリと笑う男。
いや、おそらく本人にそれを隠す気はない。
千景の言葉を受けて、意味を噛み砕いて、その上でわざと見せたその表情。
「お褒めに預かり光栄だね」
そんな男に対してやはり千景も満面の笑みを返すのだから、果たしてどちらが上手かなど誰にもわからない。
音も立てずに小さく開いた扉は大広間後方の出入り口だった。
中の人たちは前方に注目してこちらに背を向けているため、二人が入ってきたことには気づかない。
横でも前でもなく後方の出入り口を選んでくれたのは篠北の配慮だろうか。
無駄な注目を浴びずに済んだことは有り難かった。
千景はそのまま扉近くの壁に背を預け、ざっと広間の様子を見回す。
ぱっと見ほとんど全員が術師だ。
思ったよりも和装姿が少ないことに驚いた。千景の中では完全に『術師=和装』の方程式が出来上がっている証拠である。
「ここの人たちってみんな術師会の人間なの?」
「ああ。術師会の集まりだからな」
「ふーん」
千景を何処かに連れていくわけでもなく、広間に入ってからは篠北も同じように壁にもたれ掛かっていた。
ここまで連れては来たがこれ以上何かをする気はないようだ。今の所は。
皆が注目する前方では、先ほど篠北が話していた『術師会への挑発行為』についての話が行われているのだろう。一言一句声が拾えずとも穏やかではない雰囲気が漂っている。
こうして術師会術師に召集がかけられたのも、その問題への対処のためだと言っていた。
「ところでよォ、蛇嬢」
「…なんですかね?」
ちらほらと、なんとなく見たことがあるような顔が散見される。
きっと悪霊狩りか何かで見かけたのだろう。
(さて、あいつらはどこにいるのやら……)
その中からここに来た目的である彼らを探していれば。
次の瞬間には、半強制的に意識が隣へと引き戻されていた。
「霊の巣窟だったあのビル。祓ったのアンタだろ」
思わず横目で男を捉えた。
さて、なんと答えるのが正解だろうか。
経験上、彼のようなタイプはわりと確信を持って訊いてきていることが多い。
はぐらかそうと思えばはぐらかせる。
シラを切ろうと思えばいくらでもやり方はある、が。
「ふふ、気づいてたんだ」
ここは素直に認めてしまうのもまた一興かな。
これまた千景が素直に認めたことが意外だったのか、篠北は愉しそうに双眸を細めた。
「随分とあっさり認めんのな」
「確信持ってるヤツに隠してても仕方ないしねぇ」
「んじゃやっぱこの前の術師じゃねえってのも嘘か?」
「てかこんな蛇と狐連れた怪しいヤツ、術師じゃないってほうがおかしくない?」
「ハッ、違いねえ」
元より術師ではないと言ったのは術師会に向けてのちょっとした挑発と、あとはただのアソビゴコロだ。
いつまでもそのネタを引っ張るつもりは初めからなかった。
「ああ、でも。もうしばらくは秘密にしといてくれると有り難いな」
「具体的には?」
「自分でバラすまで」
「安心しな。俺から言うつもりはねえよ」
「あは、やっぱあんた術師会のこと嫌いでしょ。あー…てか、術師会っていうよりそれを動かしてるヤツら? 上層部連中かな?」
篠北に対してなんとなく感じていた違和感。
術師会内でも結構な立ち位置にいるであろう彼は、組織に馴染んでいるようで馴染んでいない。というより馴染むことを自ら拒んでいるように見える。
彼はきっと術師会の得利なんて望んではいないのだろう。
むしろその逆、権力者の失墜を目論むような危うさを感じさせる。
だから千景をここに連れてきたのだって術師会のためではない。
ただ単に彼の興味本位からくる行動だ。
「……ハッ、ほんっとに鋭いねェ」
「それが取り柄なんでね」
「秘密にしといてくれよ?」
「バレたところでなんとも思わないくせによく言うわ」
白けた顔をつくって見せる千景に、やはり篠北からは悪どい笑みをお返しされた。
そんな雑談に興じながらも大広間に視線を滑らせるなか。
前方の壁際によく見慣れた金髪を見つけた。
まるで勘弁してくれとでも言いたげなうんざりした表情。予想通りだ。
ぱちっと目が合う。
手招きすれば、少しだけ表情を緩めた男がこちらへと寄って来た。
「……遅えよ」
「あはは、術師の巣窟は楽しかったかい? 人質クン」
「そのわりには丁重に扱われたけどな。術師が醸す異様な空気っつうの? ほんと肩凝るわー…」
コキコキと首を回す志摩は心底げんなりしていた。
見知らぬ空間に放り込まれてストレスを感じるタイプではないが、やはり得体の知れない術師に囲まれればさすがに気疲れはあるらしい。
「悪かったね。お疲れ」
「おう」
これで目的の半分くらいは達成した。
あとは黒髪の美丈夫が見つかれば千景がここに来た意味もあるのだが。
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