1ノ12 男と少女
「これが……アリシアの、本気」
敵の上方、複雑に展開された魔法陣に俺は思わず息を飲んだ。
「――本気、とは少し違いますな」
ガレンさんの口から出た意外な発言に、俺はとっさに眉を細める。
「もっ、もしかしてこれよりも上があるって言うのか」
「いや、それも違う」
「えっ、じゃあ……一体……」
「属性開放――"魔力許容量"を減らして"魔法威力"を上昇させる、エクスブルグ様はそんな魔法だとおっしゃっていた」
「魔法許容量……魔法威力……」
"魔力許容量" "魔法威力" 聞いたことない言葉だけど、意味だけなら何となく理解できる。
魔力の許容量――すなわち魔法を受け入れられるだけの量、ざっくり言うと”MP"みたいなものか。
魔法の威力――こっちは魔法の強さ、そのまんまか。
「そんな難しく考えなくとも、エクスブルグ様を見てればすぐにわかりますぞ」
俺はすぐさま前を向き、そこに立つアリシアを凝視する。
彼女はより一層強い輝きを宿した木の棒を高々と掲げ、次々に魔法を発動させていた。
「やあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
気迫さえ感じさせるアリシアの叫びに、俺は思わず息をのむ。
光の矢が敵集団に蜂矢のごとく降り注いでいるが、命を断ち切ろうとするそれは一矢たりとも存在しない。
「剣がやられた、くそっ」
「つっ、杖があぁ……」
敵兵の嘆きが聞こえる。と同時、アリシアが敵集団に向かって駆け出す。
「ハァッ……ハァッ……ペイル・バインド……っ!」
三十メートルぐらい後方にいる俺でも、はっきりと分かるぐらい声量で叫ぶアリシア。
それとは対照的に、目にも留まらぬスピードで棒先から繰り出させる光の束。
「まだ、まだ……っ!」
『ペイル・バインド』地面に手足を縫い付けるという汎用性の高い魔法だ。
敵の指揮官を拘束して交渉するという今回の作戦、その主軸となっている。
「う、動けねぇ……」
「ちっ、ちくしょう」
再び口々に聞こえてくる敵兵の訴え。地に拘束され、身動きはまるで取れていないようだ。
「すっ、すげぇ……アリシア」
ものの数十秒で当たり一帯の敵を行動不能に追い込んだ彼女に、俺は感嘆の声をあげた。
アリシアはこちらに首を向け、安堵の表情を浮かべている。武器である棒にもう光は残っておらず、その様子から戦意は見て取れない。
「お疲れさん、じゃあ、進も────」
「エクスブルグ様! 後ろ!」
突如ガレンが大声を張り上げ、地面を蹴り出す。向かう先はアリシアの元。
「えっ……」
咄嗟に後方を振り返るアリシア、俺も彼女の後ろを注視した。
「光呪の魔女、覚悟っ!」
アリシアの元に忍び寄る黒い影。右手に細刀を握り、迫り来る細身の男がそこにいた。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」
アリシアを守らんと獅子奮迅の勢いで疾駆するガレンさん。
「まずい、まずい、まずいまずい――」
無意識的にガレンさんの背中を追いかけ始める俺の両足。
あの敵は――間違いなく、強い。そう本能が訴えかけてくる。
「――ッ、間に合わ――」
アリシアが棒に光を纏わせる。だが彼女を討たんとする凶刃は、今にも魂を刈り取らんと彼女の頭上で怪しく煌ている。
──その剣が一瞬、思わず目を背けたくなるほどの反射光を放った。人の命を嘲笑するような、残酷なまでに冷徹な光。
刹那、その剣は勢いを帯びて振り下ろされた。
アリシアの緋色の双眸が一瞬、こちらを覗いた。俺の目とアリシアの目がお互いを見つめ合う。
「あ、アリシアぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
そのとき、俺は両目を強く瞑ってしまった。アリシアから──逃げだしたんだ。
怖かったから。何も見たくなかったから。目の前で起ころうとしてる惨劇から、一目散に逃げだしてしまいたかったから。
何か異世界征服だよ。何が渚月を見つけ出すだよ。俺一人じゃ何も出来ないくせに。アリシアに頼りっきりでいつも足引っ張ってばっかりのくせに──
――金属音。
目を瞑ってから音が聞こえるまでの一瞬、俺には永遠とも思えた静粛の時間が終わりを告げる。
「……ガレン……さん!」
瞼を上げた瞬間、俺の目に飛び込んで来たのはアリシアの頭上で交錯する大戟と尖剣、対峙する二人の大男だった。
「久しいな――ヴィリッシュ・ソルマ」
「ガレン・ローガン――厄介な奴が来たものだ」
互いに名を呼びあうガレンさんと黒衣の男。口ぶりからしてお互い見知った仲なのだろうか。
キインという甲高い音と共に両者が距離を置く。ガレンさんが片手で武器を持ちながら半身に構えるのに対し、男は両手で武器を握りしめながら重心を低く落とし、顔の前に刀身を置いている。
「レン殿、作戦を優先してくれ」
「り、了解」
「エクスブルグ様を、頼んだ」
「ガレンさんこそ、絶対負けるな!」
二人がアリシアから離れたスキを突き、すぐさま彼女の元へと駆けつける。
「大丈夫かアリシア!」
「な、なんとか……ね」
「歩ける……はずないか」
天を仰ぐように地面に横たわるアリシア。出血こそしていないようだが、その蒼白の肌からのぬくもりはまるで感じられない。
手足はピクリとも動かず、木の棒に宿っていた光ももう消失している。
俺は彼女を背中に抱えると、視線の先に男二人をとらえた。
「ひとまずここはガレンさんが何とか……食い止めてくれると思うから、俺たちは先をいこう。もう敵大将にも気づかれてると思うけど」
「ガレン……絶対……勝つんだよ……っ」
俺の耳元で、アリシアが俺にしか聞こえないぐらい微かなエールを言い残す。
──属性解放とやらの効果を失ってしまったのだろうか。確かにあの《セイグリット・アロー》はまさに天変地異とも思える凄まじい"魔法威力"を発揮していた。《ペイル・バインド》は光速──比喩ではない。まさに光の速さで敵兵を地に縛り付けていった。
でも今の彼女にそれを再び撃てるほどの元気が残っているとは思えない。"魔法許容量"というのを超越してしまって、その反動で身体から熱が奪われていってしまったのだろうか。
「はあっ!」
「……」
視線の先では、ガレンさんと漆黒の男が交戦中。
男はガレンさんの疾風の如き刺突をヒラヒラとかわし、重そうな強振をしゃがんで避けると、すぐさま足元に一太刀入れる。
ガレンさんは飛翔してそれを回避する。着地する寸前に脳天への一撃を狙うも、惜しくも細剣で防がれる。
金属音。再び間合いを取る両者。そしてすぐさま次の攻撃へ移行する。
──ガレンさんが時間を稼いでくれているのは分かってるのに、俺は目の前で起こっている残酷にも美しい戦闘についつい目をくばらせてしまう。
「レンくん……そろそろ」
「あぁ、分かってる。それじゃ行こうか」
あの男──ヴィリッシュ・ソルマは恐ろしく強い。下手したらあのガレンさんさえも凌ぐほどに。現にアリシアの魔法を全て処理しきっているからここで戦ってるわけなんだけど。
蛮族軍にどれだけこのレベルの戦いを見せる人間がいるのか、考えただけでゾッとする。そして恐らく敵の総大将は……もっと。
「でも、今は進むしかない……もんな」
小さな声で自らを鼓舞すると、背後にいた七人もアリシアの元へとばらばらと集まり出す。
そして俺たち九人は再び走り始める。ガレンさんだけを残して。
† † †
再び走り初めて一分ぐらい立つだろうか、出だしは順調だった。それに敵兵も見当たらない。
「レン君……多分、あのおっきいテント。あれが敵の大将──ベルノーツの、テント」
少しずつ温もりを取り戻していくアリシア。でもまだまだ本来の人間の体温とは程遠い。
「よし、乗り込むぞ。魔法はまだ撃てそうか?」
「大丈夫! 任せて……!」
アリシアのこの言葉を信じるべきなのか、俺はひどく迷った。
もし……次の魔法で、またアリシアが冷たくなって。
元に戻らなかったら。
「レン君、行くよっ」
「うん? あー、うん」
もしアリシアの魔法が使えなくなったら、俺と他7人で敵大将──ベルノーツを封じ込むしかない。
「なぁアリシア、もしまた魔法が撃てなくなっても絶対俺たちで何とかするからな、だから、俺たちを信じてく────」
ピリッ。
ふいに、俺の右頬に熱が伝わった。熱……なんてもんじゃない。これは、痛み。まるで切り裂かれたかような鋭い痛みがほとばしる。
「……ッ、何だ!」
痛みの響く箇所に手を添えてみる。
俺の腕を伝って来るのは例のごとくあの液体。あの赤黒い、ドロっとしたやつだ。
右頬をぐちゃぐちゃに掻き回す程の痛みに顔をしかめながら、俺はその元凶を見下ろした。
「ナイフだと、一体……どこから」
「レン君、右!」
そこにいたのは、まるで俺の腕を伝う液体の様な髪色をしている少女だった。身長は小さく、ボロボロの服を身にまとっていて、髪色と同じ暗赤色のつぶらが瞳が特徴の、少女だった。
俺は、この少女を見たことがある。それも、つい最近。
「ユイハ……ちゃん」
アリシアの溢れ出る負の感情が、背中から少し伝わった気がした。




