10.──偽善を。
空を飛ぶキタノの頭の中は、とある記憶でいっぱいだった。
昔、引っ込み思案だったキタノが遊べる場所といえば近場の公園で。そこは誰も寄り付かないゆえに寂れてしまった、キタノにとっては格好の遊び場だった。
毎日家の中で暇潰しをしていては両親に心配をかける。かといって、一緒に遊ぶような友達もいない。
この公園は、そんなキタノの悩みを解消した。
小さな小さな公園だったけど、両親も含めほとんと誰も近寄らないから、余計な心配をかけることもない。
遊具もそれなりに揃っているから飽きない。
ちょっと鞠でも持ち寄ればいくらでも、それこそ時を忘れるほどに楽しめた。
そんな遊び場を、奪われてしまった。
見つかるのも時間の問題だったのかもしれない。
好奇心旺盛な子どものことだ、探検などといって町を散策するなど当たり前にあるだろう。
その範囲がその日、キタノが遊ぶ公園にまで及んだだけで。
『おっ、こんなとこに広い公園あるぜ!』
『うぉ、マジだ!へっへー、見つけたオレらのもんだよな!……って、誰かいんじゃん』
鞠をついて遊んでいたキタノの耳にそんな声が聞こえた。
引っ込み思案で暗い性格のキタノが怯えるのは道理。
『おーい、一緒に遊ばせてくんねー?』
『おいおい、女なんかと一緒に遊ぶのかよ?ここは、男ならよぉ──』
一人が軽く手をあげ、もう一人が冷たい笑みを浮かべたように見えた。
それは、奪う者の目で。
『──奪って、オレたちのもんにするべきだろ?』
今思えば、この男子二人はただカッコつけたかっただけなのだろう。
一人は女子と一緒に遊んでやるオレかっけー。
もう一人は、男女関係なく力でねじ伏せるオレかっけー。
どちらにせよ、キタノにとって最悪の事態であったことは確かだ。
『わた、私は……』
底冷えするような恐怖に駆られ、うまく喋れない。それに気を良くしたのか、奪うと言った方がこれみよがしに両手の関節を鳴ら──そうとして失敗する。仕方ないと言った風に左手にグーをパンッと当てる。
『ここさぁ、貰うぜ?』
加減を知らない子どもにキタノは殴られ蹴られ。最初に、一緒に遊ぼうと言った方も途中から参戦し、そのままキタノがぐったりとして動かなくなるまで続いた。
その日はそのまま二人は去った。また明日、ここに来て遊ぶのだろう。
そこにキタノがいればまた暴力を振るい、いなければ文字通りそのまま遊ぶ。
悔しくて、涙が溢れた。
キタノの身体はボロボロで、両親が見たらさらなる心配をかけることになるだろう。
本当のことを話したとして、相手がどこの学校なのかもわからない。明日来たとして、警察からの子どもたち自身に対してのお咎めなどほとんどないだろう。親が怒られて、子どもたちは仲良くしましょう、と。そしたらこの公園で、三人で遊ばねばならなくなる。
そんなの、耐えられない。また同じことが起こらないとも限らない。
まあ実のところ、こんなのは後付けの理由で。
咄嗟に浮かんだ感情は、『嫌だ』。
本当のことを話すのも惨め。
このまま公園を取られるのも悔しい。
暴力に屈したのも、やるせない。
何より、自分だけの場所だと思っていた公園を取られて、この世界での居場所を失ったと感じた。
なんで、こんなことになったのか。
『……お母さんに、なんて言おう』
汚れた服。痣。
どうやっても誤魔化せそうにない。
そんなキタノと出会ったのは、一人の少年だった。
自分はミナミに行きすぎた恋愛感情を抱いている。
そのことを理解した上でいう。
ミナミの、こういう無鉄砲さは嫌だ、苦手だと。
確かにミナミは強い。『あの世界』を、救ってしまうくらいには。
でもそれは、相手も魔術を使うという同等の条件下にあってこそだ。
今回の相手は科学を使うロボット。
生身の人間が勝てる相手じゃ、ない。
そんな相手に立ち向かうなんて無謀だ。
自分を犠牲にした上での人助けなんて、偽善だ。
こんな状況でも、リオンやユーノスはあのロボットを何とかしろと、そう言うだろうか?
あり得ない。そんな言葉を聞いたことはないが、それは『あの世界』では、キタノたち四人で勝てない相手がいなかったからである。
だからこそキタノは急ぐ。早く、ミナミの元へと。
どうせ止めたって聞きやしない。なら、少しでも勝てる可能性のある『一人より二人』で。
「……今度は、私がミナミちゃんのところに駆けつける番」
その時キタノは見た。
遠く、《紅い獅子》に相似したあのロボットが、何か小さい影と戦っているのを。
「ミナミちゃん──ッ!」
《超飛翔》に《加速》を付与させ、スピードを上げる。
────ズゥンッ
「────ッ」
瞬間、空間が重く歪んだ。
体の芯から湧き出る悪寒に身の毛がよだつ。
ロボットが、何かをしようとしている。
そして、この感覚は前にも味わっている。
「ミナミちゃんを殺しかけた魔法……!」
急げ。またあの時みたくミナミが助かるとは限らない。
急げ、急げ。ミナミの元へ。
冷たい空気が頬に当たり、その圧力による負荷がかかる。
そして、その魔法が放たれ、
ミナミらしき影に、直撃した。
「ありゃあ……機動課か?」
見上げた視線の先にあるのは、赤いロボットと火花を散らす小さな影。
孤軍奮闘する様に、妙な焦燥感に駆られる。
「志島さん……?」
「……沖田。俺たちは、ここで何をするべきだ?」
ハルトに問いながら、しかし影からは視線を逸らさず。
テッペイの胸中に渦巻いていたのは、無力感。
テッペイは良くも悪くも前時代をそのまま生きている。ゆえに、こういった魔法での戦闘に介入する術を持たない。
単純な事件の犯人ならば、素手でもどうにかしうる実力はある。が、あんな巨体相手にそんな実力など無いも同じ。
どうすれば、良いのか。
だが、そんなテッペイの悩みをハルトは一蹴する。
「……はぁ、そんなこと悩んでるんですか?」
「あ?」
「あ、いや、馬鹿にしたわけじゃ」
そんなのはわかっている。
なぜ『そんなこと』と言い切れるのか。その理由が聞きたいのだ。
いやぁ、と言いながら頭をぼりぼりと掻き、まるでなんでもないかのように、事実なんでもないことを言った。
「刑事のやることなんて、事件の捜査から犯人の逮捕までの一連の流れじゃないですか」
当然のことのように言い放つハルトに唖然とする。
なぜならそれは、あそこで戦ってる誰かにすべてを任せて、自分たちが美味しいところを持っていく。それと同義だからだ。
「何か、勘違いしてませんか?」
「……は?」
「志島さんがあんなやつと戦ったって勝てるはずがないのはわかってるでしょ? そもそも、立ってる場所が違うんだから。そんな奴相手に俺らがどうこうしようってのは間違いですよ。アレは──同じ場所に立ってる奴がどうにかすべきものです」
何か、どうしようもないもどかしさを称えながら言うハルト。
なぜだろうか、少し、恐ろしく感じてしまった。
テッペイが、ハルトに対し、恐怖を抱いた。
「なら俺たちの仕事は……あいつが引きずり落とされた時、しっかりと捕らえることなんじゃないですかね?」
その時テッペイはハルトに何を見たのか。
ハルトは何を見ていたのか。
それを知るのは、当人達だけだ。
「──はいはーい。ストップにゃ」
「っ?」
空を高速で駆けるキタノの耳に、ついさっきまで聞いていた声が流れ込んでくる。
声のする方を見れば、やはりそこにはチヒロがいた。
「なんの……用?」
キタノの声はあからさまにイラついていた。
「んー、大したことじゃないんだけどにゃ?」
ふと見れば、遠くで巨大な魔力の波動が揺れている。その間も何かが絶え間無く、揺らぎの中で光を放っている。
見間違えるはずもない。あれは、魔術の波動。
ならば、ミナミは生きている?
「よそ見っすかー? ちょっと悲しいにゃー」
「うるさいなぁ……今さら何の用って聞いてるんだけど? まさかあのロボット相手に戦うことを決めたわけでもなし」
「んー、それなんだけど、実はちょーっとだけ事情が変わっちゃったのにゃ」
終始にこやかに語るチヒロ。
それを蛇の如く睨むキタノ。
空に浮かぶ対立に、人知れず火花が散る。
「──西織ちゃん、二重人格なんだって?」
一瞬、空気が質量を持つ。
重苦しい雰囲気を破ることなく引き継ぎ、「なんで知って……?」と問うキタノに、「資料に書いてあったっすよ?」と返すチヒロ。
「いやー、最初は見逃してたんだけど、少し興味が出て隅から隅まで見返したらそんな言葉が載っててびっくりしたにゃ」
そういえば、ユイも知っていた。
だが、それがどうしたというのだろう?
「んでまあ、ウチの固有魔法《瞬間転移》使って跳んできたんだけどぉー……」
言いながら、チヒロの周囲に巨大な魔力の歪みが生まれる。
「──どうすれば、そのもう一つの人格は出てくるの?」
キャラ作りすら忘れた、チヒロ本心からの言葉は、キタノを震え上がらせるのには充分すぎた。
数分前、こんなやり取りがあった。
「西織ちゃん、ねぇ……あんな暑苦しい性格だとは聞いてないにゃ」
「あんたは聞こうとしないでしょう? それに、その暑苦しさも吾妻ミナミ絡みでないと出てこないみたいだし。言うほどのことでもないと思ったのよ」
ユイの返しにチヒロは一つ頷き、改めて渡された資料に目を通す。最初は名前だけ見て放っておいたが、少し興味が湧いたのだ。
そして、ついにその目がとある項目にぶち当たる。
「──にゃ?」
そこに書いてあったのは、二重人格。
「二重人格……?」
「ああ、それ。どこから持ってきた情報だか知らないけど、《政府》の調べだから間違いないと思うわよ。まあ、実際に見たわけじゃないけどね……って、あんたまさか」
ユイは何かに気づいたかのように目を見開き、チヒロはその反応に満足する。
にやりと口角を上げ、これから取る行動をシミュレーション。
少しだけ、少しだけ楽しくなってきた。
「その人格、もらっちゃおーっと」
『──なんで、生きている? いや、そうだ、前にも──』
んーと、身体に異常はなし。
マナも……大して消費してないな。魔法を使ったことによる不快感もなし。
……………………ふむ。
涼しい顔で空中に立つ僕に、《紅い獅子》そっくりのロボットは狼狽しているように見える。
いや、狼狽えてるのは操縦士の方か。
まあ、当たり前だろうか?
神級神位魔法とかいう、まあとにかく凄いんだろう魔法をぶつけて、生きていた。そりゃ驚くか。
だがこれは一度目ではない。二度目だ。
ゆえに、偶然では片付けられない。
『貴様は……なんなんだ!』
「なんなんだと言われても、なぁ……」
正直自分でもよくわかっていない。
今起こった、科学と魔術の融合みたいな現象は当然、自分がこの世界においてどういう立場にあたるのかすらわからない。
『あの世界』なら、僕は転生者で、救世主。
なら、『この世界』では?
…………ああ、ピッタリとまでは言わないけど、それらしい言葉があったなぁ。
昔は漫画でよく目にした言葉。
「僕は──」
少しだけ、懐かしい。
『あの世界』にいた頃はよく、こうして名乗りを上げたものだ。
ここは『あの世界』とは違うけれど。
やることはきっと、同じなのだろう。
自己犠牲を重ね恩を売り、
自己満足ですべてを救う、
そんな──
「自分のために戦う魔術師で──偽善者だ」
──魔術を用いた、偽善だ。