ワイン作りは樽洗いから
久しぶりのルーファスのお話です。
公爵令嬢ヴァレッタと婚約して初めての収穫期に、ようやく里帰りできたルーファスは実家に恋敵(?)であったアンリに再開し、いつもとは勝手の違う実家手伝いの日々を送っていた。
「お〜い、次はこっちを持っていってくれ!」
少し離れたところから大きな声で手伝いを呼ぶのは、ヴァインハルト家長男のグレゴールだ。
赤褐色の頭はルーファスより少し長めの短髪がゆるくウェーブしている。
周囲には大きな樽がいくつも並んでいる。
ぶどうの収穫を前に、仕込みのための樽を洗浄するため運び出そうというのだ。
いつもだったら気安く返事をするところだったが、その日のルーファスはどこか気を使うように小さく「ハイ」と返事をして長兄の元へ駆け寄った。
「どうした、ルーファス?元気がないな」
いつもと違う末っ子の様子に訝しむグレゴールだったが、正直そんなことに構ってなどいられない。
作業のついでの会話に深い意味はなく、目線はすでに別の樽へ向いていた。
「……いや、たいしたことじゃないよ」
ルーファス自身もどう説明したらよいのやら決めきれず、曖昧な返答を返す。
大きな樽をひょいともちあげ、外の洗い場へ運んでいく。
大きな樽のはずだが、ルーファスにかかれば“すこし大きめのたらい”のように見える。
日頃から鍛錬を怠らないルーファスにとっては、こういう力仕事は実家にいる時のよいトレーニングになる。
そこへ、背は高いもののどこか線の細い影が樽へ近づいていった。
「これを運ぶんですね」
「いやいやいやいや!私が運びますので!」
「私にだって運べるさ」
「うぐぐぐぐ……、いや、やはりこれは私が!(少し小声で)殿下は別の作業の手伝いをお願いできますでしょうか?」
ゆるいウェーブの金の髪は少し伸びたのだろうか、襟足付近でひとつにくくり、やる気満々のアンリは少し不満げだ。
兄たちはこの人が誰なのか知らないのだろうか?まさか王族に樽を運ばせるなんてできるわけがない!とルーファスは冷や汗をかく。
「仕方がないな。作業は全部体験しておきたいんだけど……」
どうやらワイン農家に修行に来たらしいアンリは、実地でその業務を覚える気らしい。
しかし、本人がなんと言おうと、隣国から抗議でも届いたらたまらない。
ルーファスはなんとか樽運びを諦めてもらうため、近くにいたキリアンを呼んだ。
「キリアン兄上!ちょっといいですか?」
「ん?どうした?……ああ、ふふ、アンリ君にはこっちを手伝ってもらおうかな。今日の作業を説明するよ」
「そうかい?じゃあよろしく頼むよ」
作業の説明と聞いて目を輝かせたアンリはキリアンについて離れていった。
樽を運び終えてないうちから筋肉ではない疲労を感じつつ、ルーファスは樽運びに戻った。
ヴァインハルトのワインはグランツフェルト国内でも愛好家が多い。
先祖代々続けてきた事業ではあるが、グレゴールが結婚して事業に専念するようになってからは規模を拡大するようになり、子供の頃よりも増えた樽を見て、感慨深くなる。
アンリはこのワインのことを誰かからか聞いて、昨年留学してきた際には帰国土産にと大量のワインを購入していった。
そのせいでベルフォールからの注文も入るようになった、とグレゴールは喜びの手紙をくれていた。
4人の子を養う父であるグレゴールは、収入の上がることはなんでも嬉しいことだろう。
ルーファスにとっても可愛い甥っ子姪っ子たちだ。
彼らが不自由なく成長できる環境が整うのだから、アンリからの申し出にありがたいと感謝をしていた。
ーーのだが、この展開は想定していなかった。
仕込みの手伝いに里帰りすれば、そこにアンリがいて、ワイン事業のいろはを我が家で学んでいるという。
じかも兄たちはアンリのことを「アンリ君」などと呼ぶ。
(隣国の第3王子だぞ?不敬じゃないのか?)
ぐるぐると頭を悩ませていたが、そういえばどこかの領地の公爵になったのだったか?と思い出した。
婚約者と共に出席した学園の卒業式で、王太子殿下が読み上げた祝辞の文言はなんだったか。
(たしか、ワインに感動したとか、ワイン栽培をしたいとか、……そういうことか!)
領地の場所はグランツフェルトと接する場所だったはず。
ヴァインハルトはグランツフェルトの領地の中でも隣国に接する端に位置する。
(まさか、接する場所って、うちの隣か!?)
確かめたくない真実に思い当たり、ルーファスは心なしか気が重くなった。
ひとつ、ふたつと樽を運びながらあーだこーだと考え事をしているうちに全て運び終わったらしい。
ふと手が空を切って、「あれ?ああ、終わったか」などと呆けたことを独りごちた。
(いかんいかん、ワインを作るのにこんなことを考えているなんて!)
酒造りとはある意味神事だ。
ぶどうは土からの恵み。
その恵みをつぶし、おいておくと次第にぽこぽこと空気が上がり始め、やがてしゅわしゅわと一斉に泡があがりはじめ、そのうち山のように膨らんでくる。
我が家ではその様子を、神々が遊んでいると言い、ありがたく手を合わせる。
神が遊んだあとの汁を樽に分けていくのだ。
(まさか、最後までいるつもりなのだろうか?)
ひやり、とした瞬間、ルーファスは自分の頬を殴った。
(まただ!思い直したそばからこれだ!)
神事に向き合える精神状態にない己を恥じてのことであった。
そこへ、ザリ……と音を立てて人影が近づいてきた。
「君は自分の頬を殴る趣味があるのかい?」
「アンリ殿下……」
キリアンとの話を終えたアンリは、ルーファスの作業の状態を確認するために戻ってきたのだった。
すっかり運び終えたんだね、と樽のなくなった室内を見渡している。
「キリアン兄上とのお話は」
「ああ、今日の分は済んだよ。いいお兄さんだね、気軽に接してくれるからありがたいよ」
「アンリ殿下のことは、ふたりには……?」
「うん?私のことは簡単に話してあるよ。隣の領地でワイン栽培をしたいから学ばせてくれってね」
(やっぱり隣だった!)
「それは簡単すぎやしませんか?それに、隣と言っても、隣国ですし……」
「堅いことを言ってくれるなよ、隣国だが隣に変わりはないじゃないか。それに私は臣籍降下した身だからね、今は王子ではなく公爵さ」
「ーー!!これは失礼を。……ええと、アンリ公爵閣下?」
「そういうのは面倒だから、アンリ君でいいと二人に言ったのさ」
(なんということだ。ということは、兄上たちは隣国の公爵閣下と知りながら君付けで呼んでいたというのか?)
「君にもアンリ君と呼んでもらいたいのだけど……」
「む、無理です!!」
「だろうね。無理強いはしないさ。好きに呼んでくれていいよ」
「はあ……」
相手のペースに飲まれながら、ルーファスはもう悩むだけ無駄だなと諦めの心地になる。
「それでね、ルーファス。あの樽の洗いとか、匂い?について説明してもらうようにとキリアンに言われてきたってわけだ。説明を頼めるかな?」
どうやらこの公爵閣下は本当にぶどう栽培に乗り出すらしい。
ひとこと「やれ」と言いつけて終えればいいところを、自分の身で確かめようというのだ。
ルーファスはあれこれと悩んでいたことがバカらしくなり、小さく息を吐くように笑うと、仕方ないと言った風の顔で「ではこちらへ」とアンリを誘った。
(うまいワインが増えるかもしれない。それだけのことだ。いいじゃないか)
ワイン作りは簡単ではないだろう。
それでも、この人物の領地で新たにうまいワインが生まれることを期待して、ルーファスは自分の知る限りのことを伝えてあげようと心に誓った。




