高崎LOVERS⑨ とんかつ
田中が家に帰ると
玄関の鍵が開いていた
玄関には女性ものの靴がそろえて置いてある
あらお父さんお帰りなさい
娘の奏が久しぶりに訪ねてきた
お~、久しぶりじゃないか
なにかあったのか?
ん?ちょっと探し物があってね
奏は県外に就職し、滅多に帰ってくることもない
平日なのに大丈夫なのか?
今は有給ってものがあるのよ
年頃の娘とは仲が悪くないまでも
気が置けない仲とは言い難いものだ
お父さん、私お腹すいちゃったんだけど
ん?何か食べに行くか?
私、とんかつ食べたい
とんかつかぁ
懐かしいなぁ
娘は小さい時から、とんかつが好物だった
食事管理の厳しかった妻の目を盗んでは
子供たちを連れてとんかつ屋に行ったものだ
目を輝かせてとんかつを頬張る子供たちの笑顔は
妻は目にしていない自分だけの大切な記憶だと思っている
よし、久しぶりに網代でも行くか
高崎でも郊外にあるとんかつ網代は
知る人ぞ知るとんかつの名店だ
高齢の夫婦が作る心温まるとんかつのファンは多い
田中と奏がカウンターに座ると
何も聞かずに女将が冷酒を運んできた
田中さんずいぶんとご無沙汰だったじゃないの
今日は奏ちゃんまで連れてごきげんね
いや~、ごきげんってほどでもないけどね
暑くてなかなかとんかつの気分にならなくてさ
と返す田中に
こちとら毎日とんかつ三昧だよ
と大将が入ってくる
私ヒレカツ定食
じゃオレも
ご飯少な目でね
小さい時から通ってきた網代のカウンターに
今は一人前の女性になった娘と座って一杯やる
なかなか悪くないじゃないかオレの人生も
なんて田中がにやけていると
ピンク色に揚がったヒレカツが運ばれてきた
これこれ、この色がなかなか出ないのよね。他の店では
言うようになったなぁ奏も
そりゃ社会人ですからね
奏は飲まないのか?
ん~、運転があるからやめとく
とんかつに集中したいし
田中は最初のヒレカツにちょっとだけソースをかけ
和からしをたっぷりとつけて口に放り込んだ
鼻の奥がツーンとしたのは
からしの辛さがしみただけでは無かったようだ




