高崎LOVERS 29 夕暮れの天狗
夏の日差しもすっかりと影をひそめ
鈴虫の鳴く季節になった9月のある日
田中は高崎駅東口へ向かった
10年前では想像もつかないほどに発展した東口
休日は芸術劇場やGメッセへ向かう人
林立するマンションに住む人で
もはや高崎の裏玄関とは言えない活況を呈している
夕暮れ時はペデストリアンデッキを歩く人も多い
ヤマ電本店の一階から県道354号に降りた田中はのんびりと北へ足をのばす
見えてきたのは田中が行きつけにしている焼き鳥屋
天狗だ
日の入りが早くなった初秋に赤提灯が映える
空調が無いため開け放たれた入口からは
焼き鳥のいい匂いと煙がただよっている
これをされたらオヤジは入らないわけには行かないんだよなぁ
つぶやきながら田中は暖簾をくぐった
店内はカウンターが5席と小さなテーブルが2席
入口左手に4人テーブルがあり
壁には焼酎の4合瓶が並んでいる
お母さんまた来たよ
と田中が声をかけると
やっと気づいた高齢の女将が
あら田中さんいらっしゃい
と焼き鳥から目をあげた
カウンターにはいつものメンバー
嘱託で仕事を続け、帰りに天狗に寄ることを生きがいにしている真庭のじいさんは
定位置のビールサーバー横に陣取り焼酎の水割りを手酌でやっている
転勤になったというのに何かと理由をつけては高崎に帰って来ては天狗を訪れる証券マンはカウンター右隅に腰掛けぼんやりとテレビを眺めている
田中さんはいつもの?
と聞きながら女将は突き出しのほうれん草のお浸しを出した
うん、炭酸割で
と答えながら田中は自分で焼酎のマイボトルを取りに行く
4人席には出張帰りに寄ったらしい一見のサラリーマンが元気よく飲んでいる
すみません奥のボトル取っていただけますか?
と田中が声をかけると
システムを理解したらしい気のいいサラリーマンは
どれですか~?と返しながら田中のボトルを探してくれた
数年前と比べればすっかり元気のなくなった女将を気遣って
常連客はほとんどセルフで酒を飲む
カウンター内の冷蔵庫に氷も自分で取りに行く
力のなくなった女将に生ビールのジョッキを頼むのは一見の客くらいだ
見かねた常連客が生ビールをついで持って行くのもこの店の風情になっている
女将の手が空いたところを見計らって
適当に何本か焼いてよ
と田中は声をかけた
カウンター越しに冷蔵庫の上に置かれたちいさなテレビを眺める田中
芋焼酎の炭酸割が喉に染みる
6時半が近くなると遠くに帰る真庭のじいさんはそわそわし始める
真庭さんそろそろ電車じゃないの?
と女将に促され
名残惜しそうに焼酎を飲みほした
んじゃお会計で
そう言えば日にちは決めたんかい?
真庭のじいさんの言葉に
常連たちの背中がぴくっと動いた
体力がついて行かなくなったお母さんが40年続く店を閉めることに決めたのはつい最近の事だ
直接聞かないまでもいつものメンバーはそれとなく空気を察していた
そうねぇ
今月いっぱいにはしようと思っているんだけど、踏ん切りがつかなくてねぇ
田中は誰もいない店内で立つことも出来ずテーブルに腰掛けてうつむいていた女将の姿を思い出した
まぁ体が一番だからさ
とつぶやいて真庭のじいさんはゆっくりと立ち上がった
田中さんも長い事通ってもらったよねぇ
もう20年になるかなぁ
あの若い連中みたいに仲間と大騒ぎしていたころが懐かしいよ
元気あったよねぇあの頃は
夏は焼き鳥、冬はおでんがあれば幸せなんだもんな
あの頃は私も体がきいたんだけど
若くはなれないんだよみんな
ビール4つお願いしまーす!!
事情を知らないテーブル席から注文が入る
あいよ~
と動こうとする女将を目で制して
田中はビールを継ぎに行った
小さなテーブルからカウンターに移動してきた
これまた常連のヤマ電の女子社員が手際よく田中からビールジョッキを受け取り運んでいく
この連係プレーも今月までかぁ
なんて田中のつぶやきに微笑で返す女子社員
焼き鳥5本を大事そうに食べた田中は
焼酎を流し込んでから席を立った
んじゃお母さんまた来るよ
あいよ~
田中が店を出ると
女将が追って出てきた
田中さんもお元気でね
お母さんも少し体を休めてまた何か始めてよ
お店の前で焼き鳥でも売ろうかしら
そりゃいいね
ご家族によろしくね
ありがとうお母さん
田中は家族で来ていたころの夕暮れを思い出しつつ
とぼとぼと県道沿いを帰って行った
高崎の名店がまた一つ灯を落とした




