賢い狼
賢い狼と言えば、「狼と香辛料」っていうライトノベルが大好きなんですよね。私事申し訳ない。
村の入口まで来ると、狼たちがすぐそこまで迫ってきているのが確認できた。
目に映る数だけでも優に10匹は超えているだろう。
風に体毛をなびかせ優美に、それでいて圧倒的な力強さで狼たちは歩を進めていく。
巨大すぎる狼たちの侵攻は人間に恐怖を覚えさせるのに十分な迫力を醸し出していた。
そんな迫力満点の光景にも関わらず、不思議と俺の心は落ち着いていた。
魔物にいうことを聞かせることができる能力があるからだろうか?
そもそも本当に俺の能力が魔物全般に通じるかすら定かではないというのに。
もともと、こんな落ち着きのある人間だっただろうか?
いや、むしろ器の小さい小心者であったと記憶する。
自問自答では答えは得られない。
理屈なんかはどうでも良い。
ただ、確信があったのだろう。
――俺ならこの状況を何とかできる。
前方に手をかざす。
呼吸は正常。心拍数も問題なし。
口を開く。
ただ一言。
「待てっっ!」
犬にそうするように狼たちに言い聞かせた。
途端、ピタ、と狼たちは動きを止めた。
「ふぅ……」
短く息を吐く。
とりあえずうまくいったみたいだけど、これからどうすればいいのだろうか?
目の前には、硬直したままの狼たち。
思案に暮れる俺の前で、突然狼たちの群れが左右に割れ始めた。
周囲の木々がざわめき、あたりの鳥たちは一斉に飛び立つ。
見やれば、群れの中でも一際大きい体を持った狼がその真ん中をこちらに向けて近づいてくるところだった。
巨大な狼たちの中でもさらに大きいその狼はゆっくりとした動きで俺に近づくと、目と鼻の先でその大きな口を縦に開いた。
咥内に見える鋭い牙に滴る涎を見つめた俺は、
あ、これ食われた……
そう思った。
「偉大なる人間よ」
予想に反してその狼は言葉を発した。
狼の口は俺を食べるためではなく、言葉を発するために開かれたのだった。
というか、喋れるの?
「話せるのか?」
現に言葉を話している狼がいる前では愚問だったかもしれない。
その大きな口の端を起器用に歪め、
カカッ、と愉快そうに笑うと狼は答えた。
「そうとも、話せるとも。しかし、言葉を話さぬお主に聞かれるとはこれまた奇妙」
話し終えると再びカカッと笑う狼。
言葉を話さない、俺が?
「そうとも、そうとも。まさか気づいておらぬのか?」
いったい何のことでしょう?
「お主は言葉を発しているつもりかもしれぬが、その口が発しているのは何の意味も持たぬ音の羅列。
意味を相手に伝えるは、お主の思念だろう。」
何の意味も持たぬ音の羅列、ていうのはもしかして日本語の事か?
そういえばそうだ。
本当にファンタジーのような世界に来てしまったのだとしたら、なぜ今まで何の違和感もなく日本語が通じていたのだろうか。
この狼の言うことが本当ならば、初めからこの世界では日本語など通じていなかったことになる。
だとしたら、俺は怪しい言葉を話す訳のわからない異邦人といった扱いでなければおかしいはずだ。
意味を思念で伝える……というとテレパシーのようなものだろうか。
いや、おかしい。
仮にテレパシーのようなもので意思を伝えることができたとして、
伝わってくる意思と話している言葉がちぐはぐな人間などどう考えても素直に受け入れられるはずがない。
では何故、俺は今のところ何の問題もなく生活ができているのか。
「こういった、コミュニケーション手段は、一般的なのか?」
狼は一度きょとんとした後、今までで一番の大きさで笑うと言葉を紡いだ。
「おかしなことを聞く、一般的な筈が無かろう。少なくとも儂は生まれてこの方そのように意思を伝える生き物等見たことがないわ。
それとも、人間の間ではこのような手段が流行っておるのか?」
どうやら俺はかなり奇異なことをしているようだ。
理屈のわからない現象――今更ではあるが――に頭を悩ませていると、狼が口を開いた。
「悩んでおるところ悪いのだが、本題に移らせてもらおうかの」
にたり、と口を歪めた狼の顔は不穏な気配を漂わせていた。