第一話 最推しの悪役令嬢に転生したので、断罪の逆転劇を始めます
全11話、3日で投稿します。
「きゃあ!」
小柄な身体が足元に倒れ込むのを、為す術もなく見ていることしかできませんでした。わたくしが持っていた華奢なグラスはいつの間にか絨毯に落ちています。
どうしたことか、グラスの葡萄水は目の前のブルネットに全てかかり、ポタポタと雫になっていました。
「キャシー男爵令嬢に何があったんだ?」
「まあ怖い、セラフィナ様の逆鱗に触れたのかしら?」
ざわざわとこちらを観察する野次馬の声が耳につきます。被害妄想でしょうか、くすくすと嘲笑されている気さえします。身体は痺れたように固まるしかできないけれど、目や耳だけは妙に鮮明でした。
「セラフィナ! お前、キャシーに一体何をしている!」
「え……?」
鋭い声が会場を一閃しました。鍛え上げられた身体が威風堂々と目の前に現れ、震える華奢な肩を強く抱き、寄り添うように立ち上がります。
「これまで上手くやってきたつもりかもしれないが、もう言い逃れはできないぞ。この会場の全員が証人だ」
(一体なんのことでしょう……)
気づけばこの状況ができあがっていました。
「はんっ! この状況でも顔色一つ変えないとは血も涙もない女だ。白い髪は老婆のようだし、感情のない水色の瞳も気色悪い。こんな女が未来の国母とは本当に嘆かわしい」
六つのときにレオンハルト王太子殿下と婚約して十年。国母となるために努力……努力をしたつもりです。同じ年頃の子供と遊ぶこともなく、体調が悪くとも休まず寝る間を惜しんで。ただひたすらに知識を叩き込み、礼節を磨き上げることが唯一の正解だと信じていました。
「自分の能力をひけらかすことに固執し、他人の手柄を横取りする無能め!」
おっしゃられていることが分かりません。わたくしはわたくしに与えられた執務をこなしただけ。あなたが武に生きると決められたから、あなたの執務をわたくしが代わりにこなしていたのですよ。
パキリ、身体のどこかからかガラスにヒビが割れるような音が聞こえました。
「その上、この愛らしいキャシーを酷くなじり、階下に落とそうとしたそうじゃないか。これは殺人未遂だ! お前は公爵令嬢などではなく凶悪な犯罪者でしかない!」
空気を震わせる怒鳴り声にとうとう肩がビクリと震えました。それでもなお、口は固まったように動きません。だってわたくしは、お父様にそのように厳しく躾けられました。
わたくしは、決して口答えせず、王太子殿下のために生きるのです。
パキリパキリ、音が繰り返されます。
「はあ、お前にはほとほと愛想が尽きた。キャシーの愛嬌を見ろ。まるで花の精のようだ。お前にキャシーの優しさの一欠片でもあればよかったものを」
あなたが昔、おっしゃったのですよ。わたくしの笑顔は気味が悪いと。
「俺は、キャシーを真に愛してしまった」
愛……。愛とはなんなのでしょう。殿下が今、彼女の肩を抱くように、誰かを守り、触れ合うことを言うのでしょうか。
だとしたら、わたくしの知らないものです。
「今この時をもって、お前との婚約を解消する! お前は独房行きだ!」
パリン……ッ!
粉々に霧散する高い音が耳を突きました。
何重にも重ねた仮面がぽろぽろと剥がれて、心の奥底隠して押し込めてきた弱い自分が泣いている。
もう嫌……。もう頑張れない。
ぐらぐらと揺れる視界。目頭がつんと熱いのに、その感覚さえ遠くなっていく。絶望感に身体が支配される。
誰か、誰か……。誰か助けて……。
目を閉じたのはこの瞼か、それとも心の奥底の弱い自分だったのでしょうか。
ふつり、まるで本を閉じたように何も、本当になにもわからなくなりました。
「安心して、私が一緒にいるわ」
――あれ? 声に出ちゃってた。
うわー、恥ずかし。病室に一人だからって独り言はないわ。
だってだって、私のだあいすきな、セラフィナが助けを求めていたんだもの!
乙女ゲームの悪役令嬢なのに誕生日にはつい祭壇をつくり、公式非公式問わずグッズを集めるだけでは足らず、磨いた絵師としての技量で自家生産していた、あのセラフィナが!
でもやっぱり独り言は駄目よ、なんか目線を感じるし。
「――――――――――――――え?」
なに、この綺羅びやかな空間は!?
このきらきらしいのはまさかシャンデリア? は、初めて見た。
待って、目の前にいる金髪の武骨な男前を私、知っている気がする。……でも、知り合いなわけなくない? だって私日本人だし……。
馬鹿げたこと言うと、ゲーム『騎士と浄化の乙女』のレオンハルトにそっくりなような……?
ふと考え込むように俯くと、これはまた上質な絹の長いスカート。濃いグレーのつやつやな、これはドレス? これも既視感。そしてこの爪の先まで磨かれた白魚の手。
「あー」
この天使のような美声! まさか、本当に、セ、セラフィナ!?
「おい! セラフィナ! 聞いているのか、性格破綻の醜女が!」
「――――――はあ?」
今、言ってはいけない言葉が聞こえました。
はい、あなたは敵。状況把握終了。
私だって初めてプレイしたときは、ヒロインの気持ちになってセラフィナを断罪してせいせいしたものだ。
ほんっとうに浅はかだったわ。
何十回とプレイするうちに、セラフィナの心の内を思ってついには涙するほどになった。彼女は、誰よりも真面目で不器用なだけなのよ。
私は、生来病弱で病院で過ごした時間のほうが長いくらい。家族に迷惑をかけている劣等感に苛まれていたけれど、セラフィナが役立たずと罵られながら凛と頑張っているところに強く共感し、いつしかとても憧れていた。
胸に手を当てる。鼓動がする。傷ついたセラフィナがこの胸の奥、深く深くに眠りについているのが感覚でわかった。
(安心して、セラフィナ。今度は私があなたを、元気づけるわ。私があなたを、最高に素敵な未来で目覚めさせてあげる!)
「何があっても、私が絶対に味方よ」
セラフィナ、あなたにしか聞こえない声で囁いた。
「おい!」
なんでここにいるかとか細かいことはよくわからないけど、つまり断罪中ってやつよね。ということは、このキラキラしいのは学年末パーティーで、キャシーがレオンハルト攻略済みと。
まあ何にせよ、セラフィナに向かって無駄に威圧感を出してくるこの男に物申さねば気が済まない。
断罪からの逆転劇、やってやろうじゃないの!




