お茶会の終わり
その日は日差しが暖かくて風の少ない、とても気分のいい日だった。外でのお茶会に最高の天気。
「ねぇ、ハンナ。今日は向こうの大きなテーブルでお茶をしましょう」
いつもの小さなスペースではなく、反対側の開いた場所に3人分の用意をしてもらったのは、なんとなくだった。
今日エルネストが来るのかは分からないのに。
どうしてか、絶対に彼はやって来ると、私の中に確信があった。
***
ハンナに案内されて私の前にやってきたエルネストは驚いた様子で立ち止まった。
「いらっしゃい、エルネスト」
「アリシア……?」
動揺したエルネストなんてなかなか貴重なものを見てしまったわ。
彼はいつだってどこまでだって騎士だったから。想定外の何かにも冷静な対応をしているところばかり見てきた。
他でもない私自身が彼を驚かせることが出来たなんて、なんだかいい気分ね。
「あら、もう私の顔なんて忘れてしまったの?」
もっと会えない期間が長いことだって、今までたくさんあったのに。
「そんなことは……っ」
「それならよかった。そこに座って」
私の正面の席を示せばエルネストは静かに腰を下ろして、私とハンナとテーブルに視線をうろうろとさ迷わせてから、ハンナに手土産だと思われる紙袋を差し出した。
「今日のは、気に入ってくれると思う」
ここからでは中身は見えないけれど、紙袋を覗き込んだハンナが意外そうな表情を浮かべているから、その言葉通り素敵なものが入っているんでしょうね。
エルネストの顔をこんなにもちゃんと見るのは久しぶり。だけど、思っていたはずの衝撃は無かった。
こうして会うまではあんなにも怖かったはずなのに。
今は随分と落ち着いていられる。
こちらに数歩歩いてきたハンナが紙袋の中身を見せてくれた。エルネストはそんな私たちをどこか緊張の面持ちで見つめている。
覗きこんでみれば、ナッツの焼き菓子だった。砕いたナッツを溶かしたキャラメルとチョコレートで固めてタルト生地の上に乗せた物みたい。この辺りではあまり見ない珍しいお菓子だけど、とても甘くて美味しそうで、エルネストは苦手そう。普段なら絶対に買うことなんて無いのでしょうね。
それをわざわざ買ってきてくれた事にふんわりと心が暖かくなる。
だって、これを選ぶその瞬間は私の事を考えてくれたってことでしょう。ほんの少しでも思い浮かべてくれたなら嬉しいの。
このお茶会の手土産に何度か持ってきて欲しいものを伝えていたけれど、何も言わずに私の好みを考えて買ってきてくれたんだもの。珍しくハンナもご機嫌だわ。
テーブルの横に置いたワゴンを向いて、ハンナが紙袋を開けて用意を始める。
それを横目で見ながら、私は一つ深呼吸をした。もちろんバレないように、静かに、小さく。
「アリシア」
「はい」
「俺は、王都に帰ろうと思う」
まっすぐにこちらを見つめる瞳。
それでこそエルネストよね、と思ってしまう自分がいる。こうなると思っていたわ。だってエルネストの行動なんて嫌という程見てきたんだもの。
「……そう。お茶を1杯飲んでいく時間くらいはあるのかしら」
「あぁ。出発は明日にする予定だし、支度もそう時間はかからないからな」
「それなら、最後にゆっくりしていって。ハンナ、エルネストにはビターチョコも出してあげて」
浮かべた微笑みはきっと上手に作れていたと思う。
広くはないけれど手を伸ばしても触れられないくらいのテーブルの距離が丁度いい。
伸ばした手が彼に届くことをあんなにも望んでいたはずなのに、なんだかおかしいわね。
甘いものが苦手なはずのエルネストは、それでも毎回、私と同じものを口にする。
王都に居た頃は私が合わせていたからそのお返しなのかもしれない。私はエルネストの好きなものも嫌いじゃなかったのだから、無理して私の好みに合わせた甘いものをここで食べる必要は無いのに。
エルネストが帰ると言ったからか、途端に不機嫌になってしまったハンナがテーブルの上にお茶とお菓子を並べ出す。
今日のお茶は香りが良くて渋味が強め。ストレートで飲むのが1番美味しいのよ。
それなのにエルネストのカップのすぐ近くに嫌がらせのように砂糖の入った小瓶をわざと置いたハンナは少しだけ満足気に自分の席に腰を下ろした。随分と可愛い悪戯ね。
エルネストの持ってきてくれたお菓子は予想通りの甘さが口いっぱいに広がった。渋めの紅茶との相性は最高で、幸せが染み込んでくるみたい。
エルネストのお皿には小さいものを少しだけしか置いていないのだけど、それでも眉間に皺を寄せて、すぐに紅茶とビターチョコで口直しをしていた。
人の好みはそれぞれだと分かってはいるけれど、それでも甘いものを食べる幸せを感じられないなんて勿体無いと思ってしまう。
偶然通りかかった行商人から買ったらしいのだけど、まだいるかしら。ハンナも気に入っているようだし買いに行きたいわ。
余韻だけで頬が緩んでしまいそうになる口内の甘さをお茶で流し込んで、作り慣れた微笑みを浮かべる。
「王女様、婚姻が決まったんでしょう?」
王族の婚姻だから、準備期間が長くて実際の輿入れまでは余裕があるはずだけど、きっともう王都はお祭り騒ぎね。この場所もすぐに騒がしくなるわ。
「あぁ、そのようだ」
優しげに笑うその顔は、心の中から喜んでいるのだと分かる。エルネストは王女様をとても慕っているけれど、そこに色恋の感情は含まれていないから。大好きな王女様の婚姻を、本当に嬉しく思っているのよね。
「隣国は少しだけ遠いから寂しくなってしまうわ」
隣国の王子と王女様が並んでいるところは公式の場で何度か見かけたことがある。正式な発表は何ひとつされていなかったし、あくまで友人のような距離感だったけれど、でもとても仲は良さそうに見えた。
それは貴族でも平民でも同じことで、だからこそ国民全員がこの発表を祝っているのだけれど。
社交界の華と呼ばれていた王女様の存在が遠くなってしまったら随分と静かになってしまいそう。
エルネストとの結婚は私にとって幸せだったけど、家族と離れるのは寂しかったもの。隣国ともなればさらに感傷に浸ってしまうでしょうから。
エルネストもきっと行ってしまうでしょうし、これが最後なのかもしれないわね。
そんなことを考えて首を軽く横に振る。
「アリシア。一緒に王都に戻らないか?出発なら少し遅くしてもいいから」
カップを掴む指先が少しだけ震えた。
「一緒に?」
「あぁ。皆待っているし、俺も戻ってきて欲しいと思っている。だから……」
「ごめんなさい。私はまだ、帰る気になれないの」
家のみんなには会いたい。エルネストがいない屋敷だって、幸せで楽しい空間だった。
けれど、帰って何をすればいい?
エルネストを支えることも、家を守ることも、今の私には自信が無い。王女様に全てを捧げる騎士であるエルネストを、素直に応援なんてできないのよ。
「そうか。わかった、また来る。何かあったらすぐに連絡してくれ」
「ええ。お菓子、美味しかったわ。ありがとう」
この家からエルネストを見送るなんて変な気分ね。
残ったのは部屋いっぱいの贈り物と、私の中に残る小さな思い出。
貴方が王女様の傍で幸せでありますように。