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金曜日の恋と罠  作者: 高槻 汐
本編
13/21

それでもあなたが

「じゃあ、操作の方は問題なさそうですね」

「はい、ありがとうございます」

開業を控える真新しい綺麗な病院。

今日は客先であるその病院へ出張しての作業だった。




「このあたりじゃ人気の小児科みたいですよ」

依頼を受けた時に営業さんから聞いていた情報。建物の老朽化に伴って近くに新しい病院を建てて移転する際に、時代の流れに乗って電子カルテを導入しようという話が出て、うちに依頼をくれたとのこと。


「昔は総合病院に勤めていた偉い先生らしいですよ」

チョイチョイ出てくる営業さんの情報から、大きな病院にいた偉い先生だからか……。

そう思っていたけど、その肩書きだけではなさそうで。移転先の病院を訪れて出迎えてくれたのは、それが頷けるくらい優しそうな医院長だった。一緒にいたスタッフさん方も優しそうで、弱っている時なら優しい先生たちがいる病院がいいよなぁなんて、納得してしまった。

何度かヒヤリングを重ね、ネット上から診療予約を出来るようにしたり、会計までの流れを円滑に行えるよう個人情報を管理したりして、医事業務と診療業務のプロセスを効率化するようなシステムを提案して。上司とここには何度も来てシステム導入を行なっていたので、実際に稼働する準備は完了済みだった。

今日は運用の最終確認と操作方法のレクチャーを兼ねての出張で、私一人でここに来ていた。




「これなら父も大丈夫だと思います。助かりました。他のスタッフの反応も大丈夫そうですので」


そして、この病院が人気と頷けるもう一つの理由。

それは医院長だけじゃなくて……まだ三十代の医院長の息子。

あぁ、これは。そういうことねと納得してしまった。

父親似と思われる目尻の下がった優しい顔。癒しのオーラが溢れるその先生は、きっと母親たちから人気があるんだろうなと思わせる容姿と雰囲気がある。背も高いし、眼鏡を掛けた顔からはそこはかとなく知性を感じる。

スタッフの女性陣からも大和やまと先生と名前で呼ばれていて、それは医院長と同じ苗字だからしょうがないって理由よりも、親しみを込めて呼ばれているんじゃないのかなと勝手に推測していた。





午後からの半日出張だったけど、滞りなく進んだお陰で、今日は久しぶりにすごく早く帰れそう。金曜にこんなに早く帰れることは久しぶり。一応「直帰します」と言ってから出てきたので、会社に寄る必要はないし。日が昇っているうちに帰路に着けるなんて、逆にいいのかななんて思ってしまった。

だから、あんなことが起こるとは全く予想してなくて、反応が遅れた。


医院長に会うのは数回だったけど、私が作業に訪れる度に「こんなに綺麗で優秀な人が来てくれるなんて嬉しいですね」みたいな、ベタ褒めのお言葉を何度か貰っていて。社交辞令だろうなと軽くお礼を言って流していたのに、終いには「息子の相手になったくれたら嬉しい」なんて反応に困ることを言われ、「いえいえ、私なんか滅相もないです」と恐縮する流れを何ターンかこなしていた。

こんな誠実で優しそうな息子さんがモテないわけないでしょう。たまに来る若手の作業者をリラックスさせたい医院長ギャグみたいなものかななんて捉えていたんだけど……。




「では、今日はこれで失礼します」

「待って下さい」

頭を下げて帰ろうとしたところだった。出口まで見送ってくれた大和先生から引き留めるような言葉が出た。


「あの、やっと稼働の目処が立ったのでお祝いというか、今度一緒に食事でもどうかと思ったんですけど」

「あぁ、はい。病院ももうすぐ開業ですしね」

「はい」

聞き忘れたことか、みんなの前では言いにくいけど実は何か不満があったんじゃ……なんて心配をしたけど、どうやら違うようでホッとする。

なるほど。新しい病院の完成を祝いたいのかな。その気持ちは存分に理解出来る。

だけど。


「お心遣いは大変ありがたいですが、費用を頂いている身分ですし、お気持ちだけ頂戴します」

「そうですか……でも、どうしてもダメですか?」

切なそうに目を細めて、年上なのに甘えるようなその台詞に、可愛いななんて不謹慎なことを思ってしまう。

賢いはずなのに少し気の弱そうな感じがして、そのギャップがいいなと思う人も絶対いる。


「スタッフの皆さんとの祝賀会ですよね? お客様の会に参加するのは……いいのかダメなのか私では判断しかねますので……上司と相談してみますね」

とりあえずわからないことは上司の判断を仰ぐ。私よりこのプロジェクトに貢献しているのはその上司達であるし……ということは、寧ろ誘われているのは私じゃなくて上司達だった?


「あ、いや、そうじゃなくて……」

答えた後にハッとしたもののなんだか先生は歯切れが悪い。そして困ったような笑顔を見せて「いや、こんな誘い方は男らしくなかったですね」と呟いた。


えっ。



「桜野さん」

「……はい」

「よかったら二人で食事に行きたいんですけど。桜野さんの仕事ぶりを見ていいなと思いました。プライベートでも交流を持ちたくて」

「…………」

え……それって、え?

こんなハイスペ男子の一例みたいな人が私に気がある?

モテ期? なんて言葉が一瞬頭をチラつくも驚きと緊張が溢れて、そして……。

支倉くんのことが頭をよぎった。












一昨日の飲み会。

支倉くんの顔は見えなかったけれど、聞こえてきたのは杉浦さんのことを拒否しているとは思えない声。

何故かよくわからないけれど、どうしようもなく悲しくなってしまった。

それが原因なのかな。金曜はいつも会う約束をしていたけど、今日は会う気になれなくて。

"出張で帰りが何時になるかわからないから明日は会えない"

直前にそんなこと言い出すのは言い訳として苦しいことはわかってる。それでも何故か会いたくなかった。








「すみません。私、お付き合いしている人がいて……」

「そうですか。いや、そうですね。桜野さんくらい魅力的なら恋人くらいいますよね。すみません。変なことを言い出して」

「いえ……」

そんな気持ちが滲み出てしまったのかな。彼との関係の自信の無さが露呈したような、小さな声しか出せなかった。













***


結局直帰するのはやめて、また会社に戻ってきた。一人でいたらいろんな事を悶々と考えて、不毛に時間を使ってしまいそうだったから。

ホワイトボードの行き先欄の"直帰"という文字を消して、自分のデスクに戻る。

どうせ出張の報告書とか書かなきゃいけないしね。旅費精算も忘れない内にやった方がいいし。自分に言い訳するようにPCを立ち上げた。


「あれ? なっちゃん今日直帰じゃなかったの?」

顔を上げると不思議そうな顔をした中島さんが歩いてきた。チームのメンバーと打ち合わせをしていたようで、手にはノートと小型のPCを持っている。


「ホントだ。え? もしかして向こうでなんか問題起きた?」

中島さんの後ろから歩いてきたチームリーダーが慌てたように大声を出す。


「いえ、問題なく終わりましたよ。ちょっと早く終わったので今日の内に報告書を書いてしまおうかと思って戻ってきました」

「なんだ、よかった。真面目だなぁ」

「偉いね〜、俺なら定時前に終わっても喜んで帰っちゃうよ」

褒められてるんだかよくわからない捨てゼリフを残して、おじさんたちは自分のデスクに戻っていった。


「報告書なんて明日でいいのに」

そう言いながら中島さんは隣の席に腰を下ろした。積み重なった資料の上に持っていた荷物を無造作に置く。


「打ち合わせで話が進んだんですか?」

「うん。やっと方針が決まったって」

医療機関向けに開発の受注をしたって話があったけど、滞っていたものがあって。今週には進展するだろうという話だったから案の定その件だった。


「早急に客先に見せる作業計画書を作らなきゃいけないんだって。あーあ、今日は早く帰ろうと思ってたのに」

「何か手伝えることがあれば言って下さい」

そう言うと、中島さんは手を止めて私の方に椅子を回して笑顔を見せた。


「なっちゃんだって今日は出張で疲れてるんだから、帰って大丈夫だよ」

「でも……」

「来週からまたコキ使わせて貰うから」

そんな風に笑顔で言われたら、大人しく「はい」というしかない。大人しく自分のPCに向き直った。

とりあえず報告書を書こう……その為に来たんだし。だけど、報告書のテンプレートを開いたところで、隣から「なっちゃんはさぁ」と声がした。


「はい?」

「なっちゃんはちょっと真面目過ぎるよね。もうちょっとどこかダメな所があったっていいんじゃないかななんて思うけど」

「そうですかね……」















***


外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、日はとっくに沈んだ後だった。せっかく早く帰れるチャンスだったのに、結局遅くなってしまって。

いやいや、まぁいいんだけど。不毛な時間をやらなくてはいけないことをやる時間に変えられたから。いつもと同じ時間だし。いつもと同じ……。

……いや、違うかな、同じじゃない。今日は待っていてくれる人はいないから。最近はいつも支倉くんが待っていてくれた。ここ一ヶ月程のことなのに、それに慣れてしまったような。

だから金曜に一人で帰るのは久々だなと思って歩いていたのに……。




あれ?


何でだろう?

何でなんだろう……?

数メートル先に見える背中。同じような背丈のスーツの男性なんて会社には大勢いるのに、その背中は私の目を引いた。

何も示し合わせていないのに、帰るタイミングが被る奇跡。

後ろ姿だけでわかってしまう自分にも驚くけど……。

信号待ちをするその背中に追いつくのはすぐだった。



「……支倉くん」

話し掛ける以外の選択肢が見つからなくて。渋々声を掛けると、振り返った彼は一瞬だけ驚いた顔をした。それでもすぐにいつもの笑顔になる。


「あれ? 今日は出張じゃなかったの?」

「意外と早く終わっちゃったから一旦戻ったの」

「そっか、今日は会えないかと思ってた」

「私も」

本当は会わないようにしようと思ってたんだけど。だから、声は掛けたもののなんとなく後ろめたくて、視線を合わせられずにいたんだけど。


「いや、違うかな。会ってもらえないのかと思った」

「えっ」

「機嫌を損ねてる気がして。違った?」

何でだろう?

何でこの人は私の心の揺らぎを見逃さないんだろう。鋭すぎる指摘に戸惑う。


「……なんでそんなこと思うの?」

「昨日突然会えないって言われたからかな。出張の予定なんて前もってわかってることだろうし」

「それは……その……」

やっぱり苦しい言い訳はバレバレだったんだ……それでもLINE一つで私の感情を推測出来ちゃうなんて、なんて勘がいいんだろう。その賢さに感心しそうになる。

だけど、そこまで勘が働くなら他の女に思わせぶりなこと言ってるかもとか、後ろでそれを聞いてた私がどう思うかとか推測出来ると思えてならない。

もしかしてわざと……?


信号が青になると同時に並んで歩き出す。



「私に嫌われないように努力するんじゃなかったの?」

「うん、尽くしてるつもりはあるけど」

「全然尽くされている気がしませんけど」

「そうかな。割と要望には応えてきてると思うけど」

「どのあたりが?」

「秘密主義の件とか」

「…………」

それを取り出されると確かにそうだから何も言い返せない。

勘のいい彼になら伝わる程度の嫌味を込めた攻めも結局余裕で躱されて、逆に緩いカウンターに崩れ落ちる。

最近思うけど、この人相当な負けず嫌いなんじゃないかな。動揺するまで追い詰める癖、そして動揺する私を見て嬉しそうに笑う癖、性格悪いでしょ。

話せばいつもいつの間にか支倉くんのペース。それが悔しいと思ってしまう私も結局負けず嫌いなんだけど。

どうにか彼を動揺させたいなんて、恋人に思うことは変なのかもしれない。それでも少しくらい私のペースになったっていいんじゃないかな……。





「!」

隣を歩く彼の左手を徐ろに握ると、流石にちょっと驚いたようで足が止まった。


「秘密主義の件は……もうなしにしようかなって……」


自分から手を繋いで驚かせたところまでは成功したと思う。だからもっと堂々と私のペースに持っていきたかったんだけど……慣れないことを試みたせいか声が震えてしまった。

だって外で手を繋いだことないし。いや、そもそも手を繋ぐこともないし。だから繋いだ手も触れる程度に軽くしか握れなくて。

それなのに。



「………っ!」

その手が一旦離れたと思ったら、指と指を絡めるように握り返された。

そして私の顔を見て優しく微笑んだと思ったら、何が可笑しいのか突然「ははっ」と声を出して笑い始めた。


「?」

「菜月って時々俺の想像を飛び越えてくるよね」

「……それって褒めてるの?」

「もちろん。面白い子は好きだから」



このフレーズを私が気にしていたことだってきっとお見通しなくせに。それをここで言い出すあたり、やっぱり意地悪な気がしてしまう。だけどそれを聞いてちょっと嬉しくなってしまう自分もやっぱりどうかしている。




中島さん。私はもう……十分ダメになっています。




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