彼女の結婚観
「結婚式に行くの?」
コーヒーカップを二つ持ってリビングのテーブルに置くと、ソファに座る彼女からそんな疑問の声が掛かった。
「あぁ、山口が今度結婚するらしいよ。同期の山口」
「えっ、山口くん? へー、おめでたいね」
テーブルの隅に置いたままになっていた白い封筒を手にして、彼女の方に向けて山口の名前を見せた。
入社してすぐの研修期間、同じグループで過ごした山口とは今でもたまに飲みに行く仲で、だからか式に出てくれよと誘われて、先日招待状を貰っていた。
封を開けるとレースのような模様があしらわれた純白の招待状が出てきて、ゴツい顔の山口とは正反対とも思えるような可愛らしいデザインに、違和感というか何というか。招待状なんてこんなもんかもしれないけど、本人とのミスマッチ加減がなんだか少し可笑しかった。
「相手は同じ職場の後輩だって」
「あの山口くんがオフィスラブなんてしてたんだ。なんか意外だね」
その発言はやっぱり山口の外見からの意外性なのかな……? 確かに硬派そうなアイツがこんな近場で恋愛してたのかと思うと、それは意外だなとは俺も感じた。
「社内恋愛多いよね。うちの職場でも奥さんが総務にいるっていう人がいるし」
「そうかも。うちの職場にもいるよ」
「あっ! そういえば、同期の谷口くんと小林さんももうすぐ結婚するんだよね」
「あぁ、そろそろかなってみんな思ってた感はあるね」
「あの二人新入社員研修の頃から付き合ってるんだよね? なんか、すごいよね」
同期、結婚、社内恋愛……俺たちだって仮にも同期で付き合っているわけだから、多少は何かを意識してもおかしくはないとは思うんだけど。
「そう言えば今度そのお祝いの同期飲みあるよね? 行く? 私は久々だし行こうかと思ってるけど」
「うん、一応行く予定」
まぁ、まだ付き合って一月経つか経たないかだし、そんな考えに行き着かなくてもしょうがないとも思う。俺だって結婚なんて考えたことがないというのが本音だし。
だから、菜月もそうなんだろうなってことは簡単にわかった。
***
「谷口たちとうとう結婚するらしいよ」
コーヒーを買いに自販機を訪れた昼休み。偶然そこで話し込んでいた同期たちの輪に入ると、そんな話が飛び出した。
「長いよなー、付き合って四年? 五年?」
「まぁ、そろそろって感じなんだろうな」
「山口も今度結婚するんだって?」
「えっ? そうなの?」
「結婚かぁ。なんかもうそんな歳なのかー」
確かに同期が結婚するとなると、なんだかもうそんな年齢になってしまったのかなんて実感する気持ちはわかる。寧ろもう既に結婚している同期もいるし。
「俺ももしかしたらするかも、結婚」と輪の中にいた吉澤までそんなことを言い出すから、男同士にしてはらしくもなく、結婚の話題が広がった。
「最近彼女から結婚したい的な、なんか圧を感じて」
「圧って」
「なんか周りが最近結婚ラッシュみたいで。年上だからかな。年齢も気になるみたいな」
「あぁ、なるほど」
「今年で二十七だしなー。じゃあ俺も次付き合う子と結婚するかもしれないのかー。だけど出会いがなぁ。もうさっぱりなんだけど」
「合コンは? それか手近でオフィスラブを狙うとか?」
誰かがそんな冗談めいたことを言い出したのがきっかけだったのかな。
「同期だったら誰と結婚したいか」なんてくだらない話題に繋がったのは……。
「桜野さんかな」
「あぁ、わかる! 俺も 桜野さんかな」
まさかその名前が出るとは思わなくて、彼女の意外な人気に感心する一方、なんとなく複雑だった。それでもそんな胸の内は表に出せない。
「なんで? 桜野さんそんなに人気?」と軽い調子で聞いたものの、俺は人気者の桜野さんにフラれたことになっていて、俺の弁解の言葉を待つニヤついた目に囲まれた。
「ちょっと面白そうだなと思って揶揄ってみただけだよ」
ノリが悪いとか色気がないとか、少し言い過ぎなくらいに話せば、まさか俺が彼女を気に入っているとも、まさか俺たちが付き合っているとも誰も思わなかったようで、笑い混じりで俺を嗜める声が上がって徐々に違う話題に移った。
付き合っていることは内緒にしてほしいという彼女の希望があったから、これでいいんだけど。
彼女の株を下げたかもな……。
もっとスマートに躱せたような気もするし。
なんだろう。嫉妬かな。らしくなかったかな。
テーブルに置いたままだった招待状のせいで、先日のそんなやり取りを思い出してしまった。
ふと隣に目をやればコーヒーカップを手にテレビを見ながらクスっと笑う姿が見える。
"次に付き合う子は結婚する相手かもしれない"
年齢的に考えればその理屈はわからないでもないんだけど、どうやら人気者の桜野さんにはそんな気持ちはなかったみたいで。
すごいねなんて他人事としか思えないような感想で。寧ろもう気にも留めていない様子で。
いや、別にそれでいいんだけど、なんだろうな……。
今日は土曜。二人で映画を見に行ったものの、外を歩く間、彼女はずっとソワソワしていて。
休みの日に誰かに見られたら言い訳出来ないとか思ってるんだろうけど……。
家に着いてやっと息がつけたような姿を見て、いや、不倫カップルじゃないんだからさとツッコミを入れたくなった。
祝福される二人とは縁遠いこの関係。
意地の悪いことを言いたくなってもしょうがなくないかな。
「結婚願望ってある方?」
「え」
この質問で何か動揺するかななんて。軽く期待を込めて口にすると、リラックスしていた彼女の表情が固まった。
彼女を困らせたいなんて思うのは変なのかな? だけど菜月はたまに俺の想像を超える反応をくれるから。だから何か期待してしまう。
驚いたような目から徐々に視線が下がり、何か考え込むような間があった。
「どうかな。元々結婚出来なかったとしたら一生働かなきゃいけないんだよなとか思って会社に入ったし」
最近揶揄いが過ぎると呆れたような冷たい視線を浴びせられることがある。実はその反応も好きなんだけど、それとはまた違う感じで、落ち着いて話されるのは珍しい。
気づいたのかな? 俺に試されていること。
ここで動揺したら負けだとでも思っているのかもしれない。
「そうなんだ。なんで?」
「生涯独り身だったら手に職ついてた方がいいかなって。今はもうどう考えたって情報化社会だし、その辺の知識働いて身に付けるのが一番手っ取り早いし。それに大手だから福利厚生もしっかりしてるし、世間体も悪くないし……」
「いや、そういう……うん、何でもない」
なんでうちの会社を選んだかを聞きたかったんじゃなくて、なんで結婚出来ないと思ったかを聞きたかったんだけど……まぁ、彼女は恋愛に消極的なタイプかなとはなんとなく感じていたから。そんな風に考えたのもわからなくはない気がした。
だけど……。
「それで、結局今はどう? 結婚願望」
もう一度聞くのはやっぱり意地悪かなとは思うけど、そんな風に思っていた彼女が今どう思うのかが気になった。
だけどさっき全然動じなかったし、俺たちは恋人だけど他人のようなところがあるから、流すような冷めた返事が来るパターンかな……なんて思っていたのに。
「葉くんと別れたら生涯独り身かもね」
「…………!」
穏やかな表情でさらりとそんな返しをされて、一瞬反応に困った。
その笑顔は何なんだろう。
ただの冗談なのか、俺を動揺させたいのか、逆に試されているような。なんだか返り討ちに遭った気分だった。
「……じゃあその時は、出世出来るようにって陰ながら祈ってるよ」
「何それ……ふーん」
さらりと大胆なことを言ってのけたくせに、今度は拗ねたような反応。眉間に皺が寄せられた。
「何? 怒ってるの?」
「別に」
「大丈夫だよ。今は別れる気ないから」
「私にフラれることは考えてないの?」
「大丈夫だよ。捨てられないよう努力する気持ちもあるから」
「意地悪ばっかり言うくせに」
「反応が可愛いからね」
「!」
ここまで言ってようやく照れたような顔をして言葉が出ない彼女を見られた。こうでもしないと満足出来ないなんて性格悪いかもなと自分でも思ってしまう。
負けず嫌いなのかな。きっと彼女もそうなんだと思うけど。
言い負けたとでも思っているのかな?
悔しそうな顔をして俺を睨むその顔が可笑しくて、怒られるかなとは思ったけど、笑わずにはいられなかった。