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54. 春の香は爽やかに鼓舞すもののふを

全国中学剣道大会に連なる公式の地区予選が始まるシーズンになった。この大会は学校所属の剣道部がないと出場できないので、俺は参加したことがない。その代わり、地方自治体や有志の道場が主催する一般参加が可能な大会も多く行われる時期でもある。要は本番前に試合経験を積むための場ということだ。


こうした地方の大会には、流石にトップレベルの選手は滅多に参加してこないのだが、たまに所属を隠して個人で参加してくる実力者がいたりして玉石混交の状態になる。だからこそ何が起こるか分からない面白さがある。


ちなみに、剣道部がなくても地区予選に参加する方法がないわけではない。今は剣道部がない学校も珍しくないので、同地区の学校の合同支部という形で他校の選手と一緒に出場する場合だ。以前に師範代に勧められたのはこの方法である。まあ、結局、断ったわけだが。


さて、今日は市主催の大会会場に来ている。出場するのは主に小学生の子供達だが、俺、詩音、そして漣も参加する。漣はわざわざ合唱のレッスンを休んでの参加だ。そんなことして大丈夫なのかと心配になるのだが、本人は問題ないと言う。


「それに、この機会を逃したら中学の間に試合に出ることが出来ないかもしれないしね。」


漣は今ではすっかり剣士だ。最初に会った頃の少しおどおどした感じはなく、実に堂々とした態度で剣道が楽しくて仕方がないといった様子だ。まあ、あれだけ詩音にしごかれたらなあ。否が応でも実力は上るというものだ。


「じゃあ、そろそろ行こうか。」


格好つけて言ったが、俺の役目は相変わらず子供達の引率である。はぐれないように、道路に飛び出さないように、人にぶつからないように、目を走らせながら会場に向かう。


親御さん達がスペースの確保に奔走している間に、俺はスケジュールと試合内容を確認する。当然だが、俺と漣は同じトーナメント内で戦うことになる。初戦から同じ団体で戦うことはないように振り分けられているはずだが、中学の参加者は少ないからなあ。


今回は9人の出場で、俺は2回戦でシード選手と当たる形になっていた。漣と当たるとすれば決勝戦ということになる。胸熱な展開ではあるが、あくまで予選を勝ち抜けたらの話だ。詩音を含めた女子は8人だから、3回勝てば優勝か。しかし、前回のことがあるからな、油断は大敵だ。


「そう言えば、詩音は地区大会には出場しないのか?」


俺に声かけるくらいだから、師範代は当然、詩音にも同じことを言ってるのかと思ったのだが。


「中学の間は出場しない。高校はどうするか考え中。」


チラッと漣の方を見た。なるほどな、剣道以外にも大切なものができたということか。勿体ないかもしれないが、以前の近寄りがたい雰囲気だった詩音より、今の詩音の方が俺にはよっぽど強そうに見える。愛の力、なんて歯の浮いたものではなく、肩の力が抜けた自然体が身についている感じがするのだ。


「詩音はね、高校受験で僕のいる学校に編入しようか真剣に考えてくれているんだよ。」


にこやかな顔で漣が言った。


「ちょっと、それはまだ黙っていてと言ったでしょ!」


今から高校受験に備えようということか。あの学校に高校から入るのはかなり大変だと思うが、努力家の詩音ならきっと上手くいくだろう。つか、学費とか高そうなのに大丈夫なのだろうか?師範代も俺と一緒に砂漠に石油を掘りに行くことになるのか。


「ところで、気づいてるか?」


「ええ、さっきからずっと私の方を睨んでるわね。あの人も来てたのね。」


「ああ、去年の試合でお前に怪我を負わせた選手だ。今回は初戦に当たることになるぞ。」


俺はトーナメント表を見て言った。


「大丈夫なのかい、詩音?」


漣が心配そうに言う。それ対し、詩音は穏やかな笑顔で答えた。


「問題ない。もう、油断も慢心もしないから。」




子供達の着替えを手伝っていると、透子がやってきた。


「ごめん、遅くなって。」


「試合までまだ時間あるから大丈夫だ。それより、随分荷物が多いな?」


「えへへ、みんなの分のお昼ご飯作ってたら遅くなっちゃったの。後で一緒に食べようね。」


「いつも済まんな。着替の場所分かるか?」


「詩音ちゃんに聞いてくる。直ぐに戻るね。」


透子は試合でも子供達の世話役を買って出た。今回はウチの道場も出場者が多いので助かる。会場には関係者しか入れないので、胴着袴に着替える必要があった。


俺は子供達を連れて準備運動のために会場内に入った。前回よりも大勢の選手が声を上げて竹刀を振っている。本稽古さながらに全力で打ち込み稽古を行っている団体もいる。本番前に疲れてしまわないのだろうか?


周りからの圧力に屈してしまわないように、俺達も気合いを入れなくてはならない。俺は腹に力を込めて号令をかけた。漣も呼応するように腹の底から気合いを発した。俺達2人の声に会場全体の注意が向いたほどだ。子供達もそれに引っ張られて精一杯の声を上げた。雰囲気に飲まれたら終わりだ。いつも通りに動けば、結果はついてくる。勝敗ではなく、全力を出し切れるかどうかだ。一本一本気合いを込めて、俺達は竹刀を振った。



流石に出場者が多いとあって、中学の部は男子も女子も午後からだった。午前中は子供達に付きっきりになった。ほとんどの子は予選で敗退となった。まあ、これは仕方がない。俺達と違って、決勝まで数多くの試合をしなければならないのだ。低学年では運の要素も強い。


3年、4年くらいになると実力の差がハッキリしてくる。中には、俺も感心してしまうような技を決める子もいる。ああいう子がやがて全国の舞台へ行くんだろうな。そして、そんな才能ある子でも更に上の存在を知ることになるのだ。勝負の世界は厳しい。だからこそ、勝敗にこだわるよりも自分の目標に向けて頑張ってほしいと思う。



短い昼休憩の時間。今回は人が多いので狭い場所に密集して食べることになった。透子は食べやすいようにサンドイッチを作ってきてくれた。その代わり、中の具材の種類が豊富だ。俺はハムと卵とレタスのサンドイッチを食べた。


「うん、シンプルだけど美味いな。これ、もしかして自家製のマヨネーズか?」


「うん、サンドする前に作ったから新鮮だよ。」


「まろやかで優しい味だね。三木谷はいい奥さんになれるよ。」


漣が透子を褒めると、詩音がジト目で睨んだ。


「今度、作り方教えてほしい。」


「うん、じゃあ、次に泊まりに行くときに一緒に料理もしよ。」


「えーと、それ俺達も食べられるのかな?」


「詩音の手料理かあ。それはぜひとも参加したいね。」


「!!!」


「うふふ、頑張らなくちゃね、詩音ちゃん!」


試合前にこんな会話できるなんてな。以前なら考えられないことだった。全ては漣がウチの道場の門を叩いてから始まった変化だ。あの日、あの時、俺が漣に声をかけてなかったら、今のこの光景はなかったのかもしれない。本当に世の中、何が起こるか分からない。


さあ、食べ終わったら、今度は俺達の試合だ。



剣道の大会については詳しくないので、あくまでフィクションということで、お願いします···

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