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過去作品(更新停止)   作者: 遊観吟詠
第三章 泊地パラス・アテネ
94/105

4-(24) 天括球4

 結局、風紀紊乱ふうきびんらんの現行犯アキノック将軍は解任されなかった。

 

 よくよく状況を考えてみれば、アキノック将軍の解任なんて空気はなかったのだが、俺が早とちりしてしまったのにはわけがある。宇宙で最も倫理を重んじるのが星系軍、といわれるほどで星系軍においての軍規違反は些細なことでも厳罰なのだが……。俺が星系軍士官学校で叩き込まれたことと実際の現場は大きく違った。いや、戦場での出来事は俺の想像をこえることが多い。


「これは天儀てんぎ総司令のせいなのか……」

「どうした義成?」

 

 俺の独り言に、反応したのは問題のアキノック将軍。いま、彼は三十六時間の社会奉仕活動の真っ最中。とはいっても戦場しかないこの場所で、まともな社会奉仕などあるわけもなくアキノック将軍は、いま、エプロン姿で便所掃除の真っ最中。なお、俺も同行してゴム手袋に、手には雑巾と便座ブラシといういでたちだ。

 

「自分たちは当たり前ように宇宙にいますが、人類はいまでも宇宙空間にいるだけで多大な努力を必要としています。ここでは些細なことが破滅に繋がりかねない」

「……ま、そうだが、そんな宇宙で戦争やってんだ。これぞ倫理破りの最たる。宇宙だって、いや、宇宙だからこそなにが起きても不思議じゃないんだよ」

「それにしても、ここだけでなく戦場全体の空気がだらけていると感じます。天儀総司令の着任で、軍内の規律がゆるんだと自分は思うんです」

 

 俺は忌憚なく、率直に意見をいった。だが、アキノック将軍は答えてはくれなかった。俺に背を向け黙って便座を雑巾でみがいている。身長190センチ以上。軍内で、エレナ副総監いわく、一二を争うキックボクシングの使い手。そんな男が縮こまって便座を磨いているさまは、滑稽とはいわないが、おかしみがある。

 

 アキノック将軍の大きな背中を見つめながら、

 ――だんまりか。

 と、俺は思った。そうだろう。微罪とはいえ規律違反の常習者なのがアキノック将軍だ。それに天儀総司令の無二の親友というのがアキノック将軍だ。天儀総司令にヌナニア軍を督率とくそつする力がなく、軍の空気が緩んでいる、などととてもいえないだろう。


「よし今日のぶんは終わりだ。毎日、三十分。二ヶ月以上便所掃ってわけだ。軍で最速。一番偉い戦線総監。最も輝かしい軍歴を持つ俺に、まったくお似合いの仕事だ」


 アキノック将軍が皮肉を口にして立ちあがった。ヌナニア軍において、旧軍で功績をあげたアキノック将軍の立場は微妙だ。とくに若い軍人達の間では、ネームバリューだけで高いポストにあると思われている。

 

 開戦当初こそアキノック将軍の戦線総監への着任は期待されたものの、その宇宙最速は発揮されなかった。まずは最重要の第一戦線総監に配置され、早々にフライヤ・フリューゲの攻略に着手したが失敗。これで第七戦という僻地の総監に配置換えだ。誰がどう見ても完全な降格だった。しかも最速での。


 第一戦線から最も遠く、ゆえに重要性も低いのが天括宙域だ。前の戦争の英雄が、与えられたのは敵回り込みの抑止戦力の管理。激しい戦闘からは、程遠く散漫な日々に、アキノック将軍のやる気も失せたんだろう。

 

 現に、いま、ブリッジに立ちクルーたちを監督するアキノック将軍は、あくびを噛み殺し眠たげ。覇気なく完全にやる気なし、というのがつたわってくる。


「今日の勤務終了が楽しみといったところですか?」


 俺は、もう少しシャキっとするように、といった気持ちを込めて話しかけた。だが、俺の皮肉交じりの言葉に、アキノック将軍は気分を悪くしたふうでもなく、

「まぁー。ここは攻撃ねえしなぁ。ふぁああ」

 と、あくび混じりに応じてきた。

 

 やはり最前線といっても重要性が低い第七戦線天括。これは敵にとっても同じで、彼我ともに積極性がなく戦闘は少ないのだろう。と俺は思ったが、近くにいたエレナ・カーゲン副総監が、コホン、と咳払いして一言。


「アキノック将軍。参月特命の前で、そういった発言はお控えください」

「ああ、すまねえ。ついな。気をつける」


 見るからに真面目そうなエレナ副総監は、その見た目の印象どおりといっては失礼か。アキノック将軍を規律正しく働くように管理する立ち位置なのだろう。だが、俺は何故かエレナ副総監のたしなめの言葉に違和感を覚えた。けれど違和感の理由を考えることはできなかった。アキノック将軍が、またも眠たそうに大あくびをしたからだ。これはまずい、と思った俺は、

「アキノック将軍は二足幾科のご出身なんですよね?」

 と話しかけた。ブリッジでクルーたちを監督する立場の人間が、あくび混じりは部下たちにいい影響は与えない。規律の乱れは、小さなことから。

 

『なんだ戦線総監も勤務に適当だな。じゃあ俺らも――』

 

 部下は、とくに不真面目なものは上の立場の人間の悪いところを見習うものだ。俺と会話していたほうがマジだろう。

 

「ああ、俺は旧グランダ軍の二足機科だ。実家の床屋をつぎたくなかったし、宇宙へのあこがれが強かったからな」

「で、軍に入ったわけですか?」

「まあな。当時のグランダは帝政絶頂。戦争をしたいみかどのご意向で、兵士の募集は多かった。当然俺がなりたいものは、二足機のパイロット。モテるからな」


 アキノック将軍らしい理由だ、と俺は思った。昔から変らないのだろう。


「で、やっぱり軍でも俺はモテた。成績もよかったし、格闘戦は滅法強かったからな。予科練を卒業すると、当たり前のようにエリート部隊に配置され、クイック・アキノックの異名は二足機乗りのころからだ。宇宙最速の二足機乗りってな」

 

「でもね参月特命。二足機部隊でもアキノック将軍を持て余してたの。なぜだかわかる?」

 とエレナ副総監が話に加わってきた。真面目なエレナ副総監としてもアキノック将軍にあくび混じりでブリッジに居られるより、俺と放してもらっていたほうがいいのだろう。これならアキノック将軍が、若い士官に訓示をさずけているという格好もつく。

 

 ――それにしてもアキノック将軍が持て余された理由か。

 当時のアキノック将軍の上司となった部隊長は困ったろう。腕はいいが、伊達男で自己主張が強い悪目立ちする新人パイロット。どう考えたって扱いは面倒くさい。だが、恐らく持て余された理由は違う。

 

「見た目どおりですね。体格です。アキノック将軍は、二足機パイロットしては大きすぎます」

「あら、正解。あなたすごいわね」

「おいおい簡単に当てるなよ。上司の女とデキて追い出されたとか。俺はそういう回答を期待してたんだぞ」


 つまらなそうにいうアキノック将軍の背中を、エレナ副総監がバンバンと叩きながら、

「こんなでかい図体で、二足機パイロットはめずらしいの。乗れる機体は限られるし、コクピット特注だったんですよ」

 と笑って教えてくれた。


「昔は無駄に平等主義だったからな。いまじゃ運用する機体によって体格制限が設けられた。俺が二足機乗りのままだったら、腕前じゃなく乗り込める機体を運用している部隊に配置されるハメになったろうな」

「それ以前にです。女性を巡ってのトラブルが多かったのは事実ですから。しかも上司とは喧嘩ばかり。女性なら誰とでも仲良くなるのに……。アキノック将軍は、あのまま二足機パイロットままなら軍を追い出されていた可能性が高かったと思いますよ」


 マルチロール戦闘機タイプの二足機は、ほとんどの場合単座だ。コックピット内は狭く、パイロットは部品の一部のような状態。ものによってはケツをかくのにも難儀するのが、軍の花形で、子どもたちの憧れ二足機パイロットの搭乗中の状況だ。


 アニメなどの人形戦闘機は、全展開モニターばかりだが、現実の人形戦闘機コックピットはぴっちりと狭く、視界も良好とはいえない。二足機パイロットは、知覚モニターというヘルメット内に映像が展開される装備をつけて外部の状況を知るのだが、これでも万全とはいえない。引力のない宇宙では、地上と違いはるかに障害物が多い。大気圏内ではあらゆるものが地表に落下するが、宇宙ではそのまま漂っているのだ。機体を俯瞰し、驚異をしらせる存在が必要だった。

 

 そこでサポーターとかスポッターとか呼ばれるオペレーターが、母艦からパイロットに周囲の状況を逐次教えるのだ。パイロットは、ロックターゲットした標的。目の前の戦闘だけに集中する。もちろんこのスポッターが、優秀か否か、相性がいいか悪いかで戦果大きく変わる。


 なお、エレナ副総監が教えてくれたが、アキノック将軍とエレナ副総監は、お互いがパイロットとサポーターの関係だったとのことだ。アキノック将軍が出撃するときは、エレナ副総監がサポーター。エレナ副総監が二足機に乗り込むときは、アキノック将軍がサポーター。二人の付き合いは随分と古いようだ。


「それで二足機科のパイロットだったアキノック将軍が、なぜ艦隊の司令官に?」


 そう。二足機科出身の艦隊の司令官とてもめずらしい。星系軍には、軍幹部候補を輩出する兵科が八つあるが、その中で艦長や艦隊の指揮官を輩出する役割を担う科が、

 ――宇宙火力科うちゅうかりょくか

 

 地球時代の海軍でいえば砲雷科ほうらいかといやつだ。主砲やミサイルなどの艦艇の主武装メインウェポン運用のエクキスパートを育成する科だが、艦艇の主兵装を完璧に理解してこそ艦長足り得るのは当たり前。なお、この科の生徒はとくに統率学を学ばされ戦術や戦略の知識と上司としての立ち振舞を身につける。


「あら、やっぱり参月特命にもそこは気になるのね」

「そりゃあそうだろエレナ。義成は、ヌナニア星系軍士官学校の黄金の二期生だぞ。二足機科の戦線総監なんて変な奴だと思うだろうよ。俺の戦線総監部の要職も、ほとんどが宇宙火力科ばかりだぜ」


 なお、戦線総監になるのに、いや、艦長になるのですら宇宙火力科である必要はまったくないのだが、先述のとおり艦長と艦隊指揮官として『統率学』という専門教育を重点的にやるのが宇宙火力科なので、おのずと軍の重要ポストは、宇宙火力科出身者が多数でしめられるのだ。


「参月特命も二足機科出身の戦線総監に偏見が?」

 とエレナ副総監が俺をうかがうように問いかけてきた。


「いえ、偏見というよりむしろ感心とか尊敬の念です。いまの星系軍は早い段階で完全に専業化していて、艦隊指揮官としての専門教育をうけていない場合は、相当な努力が必要だったろうと推察しました」

 

 本心だ。不断の努力からの抜擢は軍でもある。そんな幸運に恵まれた軍人達が、決まって口にするのが、艦隊統率としての苦労だ。艦長や艦隊の指揮官という立場は、軍の一般的な管理職とは少し違うらしい。


「あら、よかったですねアキノック戦線総監。参月特命は、尊敬してくれているそうですよ」

「ホントかよ義成。おべっかだったらあとで張っ倒すからな。天儀とも俺の科のことで殴り合いだ」

「え、そうだったんですか。二人は無二の親友なんですよね?」

「親友だって出会いがバイオレンスだってありうるだろ。そもそも友達だからって喧嘩しないってわけでもない」

「まあ、たしかにそうですが……」

「天儀も俺と同じみかど抜擢の編入組でな。司令官候補がうける統率教育実習の同期だったんだよ」

「あ、なるほど。そうだったんですか。二人の特別の関係が納得いきました」


 軍での教育は、兵学校や士官学校を卒業したらそれでお終いということはない。いまの星系軍士官学校、軍務に特化した職業適性検査を活用し、ほぼ最初から各分野の専門科としての教育をうけるが、卒業後や部隊に配置されたあとに、キャリアアップのために軍の学校に再入学するということは多いとまではいえないがめずらしくもない。

 

 例えば、新しく巨大艦を作りすぎたら、兵器運用の人員が足りなくなりそうだ。しかも、いま、学んでいる学生達の卒業後の配置はほぼ決まっていて動かせない。

 ――では、どうするか?

 まっさらな新人を待つより、すでに軍務の経験のあるものに必要な教育を施して配置しよう。こういった具合だ。それまでの実績と優秀さから四十代で軍大学へ入学なんてこともある。

 

「ま、俺と天儀とあと数名以外は、宇宙火力科ばっかだったからな。肩身狭い俺達は寄り集まって仲良く……。いや、そうでもなかったな」

「そうでもなかった?」

「仲悪かったわ! 部外者組は部外者組でライバル意識が強くて、あんまりいい空気じゃなかった」

 

 部外者組とは、様々な理由で宇宙火力科以外から宇宙火力科以外から、統率教育をうけるために実習に参加したものたちのことだと、すぐに俺にはわかった。この部外者組は、宇宙火力科出身者からは、鼻つまみ者というか、見下されていたんだろう。


「天儀総司令とアキノック将軍の出会いは、出会い頭の意気投合ではなく険悪なライバル関係だったんですか?」

「ちょっと違うが、たしかにひと目見ての意気投合ではなかったな。俺が周囲360度敵って態度だったからもある。天儀のやつは、宇宙火力科のエリートどもとも上手くやってたし、それにむかっ腹立ったのもあったな。おべっか使いやがってこの野郎って感じだよ」

「そうなんですか。自分にはむしろアキノック将軍が、周囲と上手く付き合って、天儀総司令が孤立しそうなイメージがありますが……」

「はは、いうな」

「すみません」

「いや、いいんだぜ。天儀のやつは、昔は雰囲気こそ暗殺者みたいなやつだったが、言動は丁寧で、顔はにこやか。お行儀よかったんだよ」

「雰囲気が暗殺者で、言動が丁寧でにこやかでは逆に不気味では?」

「いや違うんだ。出会った瞬間人殺しに出くわしたような恐怖かんかくがあるが、あいつの方から物腰低く話しかけてきて、なんだ意外に話のわかるやつだなって感じさ。天儀も実習生全員と仲良くなんて状況でもなかったろうが、とにかくあいつだけはエリートの坊っちゃん達とも上手くやってた」

「そんな二人が出会ったと?」


「まあな――」

 と、いったアキノック将軍が、天儀総司令との出会いのことを話し始めた。エレナ副総監も興味津々だ。アキノック将軍と付き合いの長いエレナ副総監でも聞いたことのないエピソードなのだろう。


 ――クイック・アキノック。二足機科だろ! 


「宿泊施設の通路だ。天儀は、そう俺に大きな声で話しかけてきやがった――」


――――――

――――

――


 このチビしってるぞ。天儀とかいうムカつく野郎だ。同じ部外者組で、宇宙火力科のエリートどもと仲良くやってやがる。

 

「なんだチビ」

「違う。アキノック。きみがでかいだけだ。私の身長は平均的だ」

「なにいってやがる。160センチそこそこは、チビってんだよ。それに、いまの平均は170だぞ」


 このとき俺は、天儀のやつをかなり険悪に睨みつつけたはずだが、あっさり流された。まったくあのときのあいつは、俺の邪気など物ともせず爽やかな雰囲気は一切崩さなかった。

 ――暖簾のれんに腕押しってやつか。

 と俺は感じた。天儀に気迫を向けても、垂らしたタオルや、なにか実態のないものを殴っている感覚だった。

 

「てめえも宇宙火力科のボンボン共と一緒で、二足機科がそんなにめずらしいか? だが、教えてやる。グランダ星系軍でのパイロットの割合は二割だ。しかも主戦力を担う。てめえも艦艇様だけで戦争がやれると思ってるおめでたい類か?」


 俺が吐き捨てるようにいうと、天儀は問いかけてきた。


「アキノック。きみは宇宙火力科の連中に出会うたびに難癖をつけて殴り倒しているそうだな」

「……ちげえよ」

「違うのか?」


「ああ……殴り倒してんじゃないッ」

 と俺は、天儀の鼻先スレスレにブンッと抜刀のようにハイキックを一振り。当てはしなかったが、天儀の顔面に気迫と風圧を飛ばしてやった。大抵のやつはこれで縮みあがって退散するが……。

 ――お、動じないか。

 天儀のやつは、とくに様態に変化を見せなかった。このとき俺は、平然としている天儀を見て、こいつがたんなる鈍いウスノロなのか、当たらないとわかっていたうえでの余裕なのか、判然としなかったが、とにかく面白いやつだと感じた。


「プロからスカウトがくるほどのハイキックなんだぜ?」

「なるほど。相当な腕前だな」

「それに部外者組も金玉も蹴り上げてるぜ」

「はは、面白なきみは。だが、そんな誰彼構わず殴りつけていては、品位に関わるぞ。私達は司令官という立場になるのに、それはよくない。それにグランダ星系軍は、皇帝の軍隊でもあるんだぞ。アキノック。君は陛下の抜擢で、この統率教育実習に参加したんだろ。その陛下の顔に泥を塗る気か」

「はぁ? なにいってやがる。というかお前も部外者組だろ。俺が二足機科なら、お前はどこ出身だよ。ああん?」


 俺は、天儀の胸の階級章を見てやった。そこには階級以外に、出身兵科をしめすマークがある。この実習が終わるとなくなってしまう識別マークだ。例えば俺なら三角がモチーフにされた二足機科のマークだ。で、こいつは……。しってはいたが、やっぱり宇宙火力科のマークじゃない。


「ふ、俺は、お前が宇宙火力科と仲良くしているから、てっきり実は隠れ宇宙火力科なのかと疑ってたぜ」


 だが、天儀は俺の言葉の邪険さなど介さずに、

「アキノック。きみはでかいな。よくこんな体が、二足機の狭いコックピットに入るものだ」

 といって俺の二の腕をバンバン叩きやがった。一瞬で間合いを詰められ、嫌がって振り払うまもなく二の腕に触れられていた。俺は驚いた。


「おいよせ。男にベタベタ触れわられる趣味はないんだよ」


 が、天儀はやっぱり俺の不快感をあらわにした言葉など意に介さない。


「そうなのか。いい体格だ。プロからスカウトがくるほどといっていたが、なんの格闘技をやっていたんだ」


 ――この野郎!

 とカッとなった俺は、言葉でなく行動で応じた。ハイキックだ。俺は、瞬時にバックステップで天儀と距離を取り、ブンッ、と足を振るった。一応、顔面すれすれで寸止めしてやるつもりだったが、当てて吹き飛んでもそれまだ。こんなチビ相手に不意打ちだ。下手すると大怪我だろう。


 が、俺の視界から天儀が消えていた。俺はバックステップで距離を取るときに、天儀から一瞬目を離していた。不意打ちだ。どうせ絶対に当たる。それに目の前にいるんだ。ターゲットの位置なんて感覚で覚えている。が、そのコンマ何秒かのあいだに天儀は、消えた。

 

 繰り出したハイキックが、天儀のいた場所を通過する瞬間に俺の天地は逆転。体が、ふわっと浮いた。宇宙で漂うというより、溺れたような感覚だ。上下がわからなくなって心は完全に動転した。そして、

 ――足を払われた!?

 と気づいたときには、俺の体は地面に墜落。どんな投げ技をくらったのかもわからなかった。

 

 すぐさま俺は起き上がろうとしたが、どこかから四肢を払われた。

 ――背後だ。

 天儀は、俺の背中にピッタリついていた。気づけば俺は、天儀に背中からおぶさるように抱きつかれていた。腰には天儀の足がガッチリ絡みついている。

 

 そんな状態で俺は、四つん這いになって立とうとしたときに、一番体重のかかっていた右足を払われた。慌てた俺は、意識せずに残った二本の手と一本の足を支えたはずが、天儀のやつは俺の左手を払った。おそらく俺は、左手で一番踏ん張っていたのだろう。

 途端に、俺の体はまた地面にベシャリ。

 

 ――チクショウメ!

 という俺の熱い感情は、次の瞬間に一瞬で冷え上がった。いつの間にか俺の首に天儀の腕が回っていた。

 

 ――しまった! 完全に絞め技をキメられた!

 このままだと数十秒で、酸欠で意識が飛ぶ。軍の訓練では、CQC(軍用近接格闘術)やるまえに柔道から入る。俺が得意なのは、昔からやっているキックボクシング。まったく組合ってのは、まどろっこくさいし、寝技グラウンドってはまったく俺の早さが生きない。

 

 とにかく俺は、敗北を悟ってゾッとした。グラウンドは苦手だ。このまま首を絞められる。無様に気を失って終わりだ。それ以前に、首を絞められるというのは本能的な恐怖がある。論理など飛び越え有史以前のはるか昔にDNAに刻み込まれた恐怖だ。

 

 が、次の瞬間に俺の首から天儀腕が消えていた。いや、俺の背中から天儀が消えていた。天儀は、いつの間にか俺の前に立って、

「クイック・アキノックの異名は伊達じゃないな。こんな巨体が風ように動き、繰り出される攻撃は林のように静かだった」

 といって四つん這いで息を切らす俺に手を差し伸べてきた。が、俺はその手を払って吠えた。

 

「不意打ちじゃなかったら勝てた――!」

 

 そうだ。こんなチビ助。リンクでまともに対峙すれば、なにもさせずにボコれる。いまのは、イレギュラーだ。不意打ちしたから、不意打ちを食らった。そういう理論だ。


 途端に天儀が哄笑こうしょうした。


「不意打ちなら勝てたとか、まともにやれば勝てたなら聞いたことがあるが、君は面白いな」


 ただ、天儀は、アキノックの言葉の意味を理解していた。つまり、不意打ちをしたから、絶対に蹴りが決まると油断した。その油断が隙きを生み無様に床にもんどり打つハメになった。天儀はアキノックの思いが、わかっていた。事実、感情が先走ったアキノックの言葉足らずの遠吠えは、ほぼこのとおりだ。


「おい! 勝ち逃げなんて許さんぞ。体育館だ。そこでもう一度勝負だ!」

「……勝負してもいいが、アキノック。その前に俺の質問に答えろ」

 

 この瞬間、問われた俺は天儀との距離がぐっと近づいたように感じた。ムカつくのに何故か親近感を覚え、

 ――こいつは、いいやつだ。

 と体中の細胞が鳴った。だが、やっぱり俺の感情のほうは、すぐには素直になれない。


「ああん!? 質問だとコラ!」

「きみは、なぜ兵士になった? なぜこの統率教育実習に参加した?」

「なぜって、帝に戦艦の艦長に任命されちまったからだ。俺の撤退作戦があまりに見事だったんでな。俺は女にモテるし、しかも帝の大抜擢。宇宙火力科のやつらは、俺に嫉妬してんだよ。あ、もしかしてお前もそのクチか?」

 

 大惨事といわれのたが、セレニス星間連合相手に行われた四回目の戦争。第四次星間戦争。攻め手にかけた。というか、攻める方法なんて最初かならなかった。

 

 宣戦布告ほどなくで、俺達グランダ軍は、あえなく撤退。またも星間戦争は、国民議会派がいう莫大な予算をかけたパレードとなって終わるはずだったのだが、俺のいた艦隊の司令長官が急死。悪いことは重なるもので、艦から艦へ移動するために艦隊幹部達が乗った接続艇ランチが事故り、艦隊は一時的に指揮能力を喪失。

 

 とくに撤退ルートを選んで撤退作戦を計画した主計官と次官が、揃って意識不明の重体になったのが痛かった。どうやって撤退したらいいかわからないとまではいわないが、とにかく撤退計画は大幅に遅れ、俺達の艦隊はこのままだと追撃してくるセレニス軍相手に、あえなく降伏するしかない。艦隊まるごとの降伏となれば、前代未聞だ。グランダ皇帝の怒りは必至。

 当時のグランダ皇帝は、朝臣を議員に仕立て送り込み議会を牛耳っていた。

 ――罪を詮議せよ。

 と議会にくだせば有罪必至だ。

 

 艦隊司令部は縮み上がって、艦隊内に広く撤退計画を募った。そこで俺は、撤退の手法を具申。採用された。俺の艦隊は、司令長官不在で見事に撤退。奇跡的だ。

 

 この顛末が、帝のお耳に入り、

 ――このものを主力級の戦艦の艦長にせよ。

 とのお一言で、俺の二足機乗りとしてのキャリアは終了した。どう見ても栄転だが、俺にとっては降って湧いたような幸運は、さほどいいものではなかった。

 

 つまり長くなったが、俺は家業をつぐのが嫌で軍に入り、モテたくて二足機科を希望したわけで、別に出世コースの艦長や艦隊指揮官になろうだなんて考えはまったくなかった。それを天儀お前は――。

 

 ――なぜ統率教育実習に参加しただと?

 

 答えがない俺は、

「てめえこそ! なんで参加した!」

 と質問に質問で返す逆ギレ。だが、天儀は――。


「星間戦争を終わらすためだ。グランダとセレニスの間で、行われているこの戦争は不毛だ。誰もが終わらせられないらしいが、俺は勝ち方をしっている。だから俺は、グランダ星系軍に入った」


 ――バカだこいつは。

 俺は初めて、星間戦争を勝てると心から、現実的に断言したやつを目の当たりにして一気飲まれていた。


「アキノック。きみの第四次星間戦争の撤退計画を見た。君はあれを撤退より、攻撃にいかすべきだ。協力して欲しい」

 といって天儀が、俺にまた手を差し伸べてきた。俺はその手をうけて立ちあがった。


「私は、天儀という。惑星アキツの出身だ。よろしく頼む」

「知ってるよ。一緒に実習うけてんだろ。俺は、同期の名前も覚えられないウドの大木かよ」

「少なくとも知的には見えない。女性を口説くのは好きでも読書は嫌いだろ」

 

 天儀が笑って冗談をいったのはわかるが、

「おい、お前――」

 と俺はムッとした声で応じた。なぜかた天儀には、とても大きい好感を覚えるが、それ以上にこいつは俺より格上だ、という印象が強い。だが、とにかく俺達は対等なんだ。


「ああ、それだ」

「はあ? それだってなんだ。納得げにしやがってわけがわからん」

「私が、どんなに偉くなっても、君とはいつまでも〝お前ときみ〟の仲だ。約束だ」

 

 俺は、思わず爆笑していた。俺達は、まだ戦艦の艦長に配置されると決まっただけ。これは下から見れば偉大なことだが、上から見れば小さな存在。しかも俺達は、繰り返すが宇宙火力科じゃない。これ以上の出世は難しいだろう。

 

 だが、俺は何故かこのとき、

 ――こいつは近いうちにグランダ軍のトップになる。

 と確信していた。

 事実、数年後に天儀は、グランダ軍の大将軍グランジェネラルとなった。帝の抜擢だ。俺と実習をともにした非エリートが、本当に全軍を統率していた。

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