1-(8) 土下座の真の理由
痴漢の免罪で逮捕一直線の俺が打ちひしがれるなか、
「星守くんそれぐらいにしといてやるんだ」
という新たな男の声が給湯室に響いていた。
新たに現れたのは、メガネでボサボサの天パ。一見冴えない男だが、俺はこの人を知っていた。向こうは絶対に知らないだろうがな。
「お、六川軍官房長いいところにきたな。聞いてくれ星守副官房がいけずなんだ」
「あら、いってくれますね天儀総司令。でも、いけずじゃありませんよ六川さん。私は痴漢を現行犯で逮捕して、軍警に突き出そうとしているだけ。それを天儀総司令が邪魔してるだけですから」
六川公平。
なにをかくそうこの人こそが、ヌナニア軍の軍官房制度を作った偉い人。ネットワーク型の軍組織の指揮系統を一本化して効率化した縁の下の力持ち。影の実力者。俺からいわせれば偉大な軍人。軍隊は保守的で組織の改革は難しい。それを六川公平という男はあっさりやってのけた。世の中では彼を、
――勝利の組織者。
なんてよぶことも多い。ヌナニア軍を勝てる組織に作り変えたといったような称賛だ。軍の健全化にも熱心で、誰に対しても公平な態度。俺は、この点でとても尊敬している。そんな俺の尊敬してやまない人が冷静に口を開いた。
「……星守くんは痴漢といっていて、天儀総司令はそれを否定している。で、痴漢の容疑をかけられたきみは……?」
問いかけられた俺は、尊敬する相手に声をかけられ有頂天気味だ。
「参月義成です! 参るに月と書いてみかづきです」
「義成くんか」
「はい! 特任少尉です!」
「……ふむ。で、なんできみはここにいるんだい。僕の知るかぎりきみは総司令部の人員じゃないが、それとも僕の記憶違いかな」
喜び一転。一気に地獄へ叩き落とされた俺は絶望した。さすが几帳面な人だ。気になるのはそこからか。いや、そうですよね。この状況で冷静沈着。さすがは俺が尊敬する軍人……。だが、まずいぞ。俺はここへパスを偽造して入ったんだ。バレるとヤバい。
俺は、軍の各組織は人員も多く移動も頻繁なため見ない顔がいても、新任か、ぐらいにしか思われないとたかをくくって総司令部侵入していた。半ばそれは正解だったが、六川公平という男に対しては違ったようだ。この人ならすべての部下の顔と名前を把握していてもおかしくない。
そして状況はさらに悪い。
「六川さんこの小物は痴漢です。覗き魔です」
星守副官房の余計な補足。俺は、闇のゲームで魂を抜かれた状態よろしく完全に白目だ。
「となると痴漢目的での侵入か? 参月くんきみはどうやってここに入った。総司令部区画は、パスが発行されていなければ入れない場所だ。きみが僕の部下ではないとなるととても不思議な状況だね」
――ダメだ。答えられない。
六川軍官房長の視線は鋭く、生半可ないいわけは絶対に通用しない。俺は正座の状態から、がっくりと顔面を床に突っ伏した。終わった。そうとしかも思えなかったが――。
「いや、六川軍官房長。義成は俺の部下だ」
天儀総司令が、六川軍官房長にも力強くいってくれた。救世主か……! 軍人の望むものをなんでも与えてくれる男。
「……天儀総司令の部下ですか?」
「ああ、星守副官房にはつい先程つたえたのだが、着任当日に俺の直属にした〝ここ〟にも入ってこられる優秀な部下だ」
天儀総司令が意味深にいい。六川軍官房長が俺をチラリと見た。
「……そうですか。天儀総司令がそういうのなら彼の身分の保証は十分です。ですが、今後は僕か星守くんに通達をお願いします。不必要なトラブルになりかねませんので」
「ああ、わかってる。今回は、着任でゴタゴタしていたからな。今後はそうする」
「お願いします」
俺は、一安心。疲れた。とても疲れた。だが、それでも星守副官房は、納得してくれなかった。最悪だ。
「りょっと、なんか一件落着って感じの雰囲気ですが、よくありませんよ二人とも。この変態覗き魔参月特任少尉は、私の着替えを覗いたんですからね。たとえ天儀総司令の部下でも、それとこれとは話は別です。天儀総司令のお気に入りだからといって痴漢が許されるなんてことにはなりません」
ダメか。くそ、この前髪パッツンの無い胸。しつこい。さすがは元軍警。というか変態覗き魔参月特任少尉って、なんて長い肩書なんだ。よくかまずいうな。
そして、星守副官房の言葉に、
「うーむ……」
と難しそうな顔をする天儀装司令。性犯罪はあつかいに難しさがある。いかに総司令官といでも、事故なんだしいいだろ、ではすませないのだろう。
「わかった星守。より正確な被害状況を説明しろ。義成を軍警へさげわたすかはそれからだ」
「ム……。被害状況とは? 私がうけたのは痴漢の被害です。覗きのね。散々いってるじゃないですか」
「いやな。俺がいいたいのは、つまりなにを見られたんだってことだ」
「ああ、なるほど」
「具体的に、なにをどれくらい見られたか。言い難いかもしれんがいってくれ。状況によっては、この場で銃殺もやむなしだと約束する」
「……うへ。またまたご冗談を。相変わらず旧グランダ系軍人は物騒ですね」
「いいから、どこまで見られた?」
「…………」
「真っ赤になってうつむきやがって。だが、黙っていたらわからんぞ」
「……パ、パンツです。つまりお尻を……」
赤くなっていう星守副官房。なかなか可愛いが、その主張は俺を性犯罪者にしようという凶悪なものだ。星守副官房の告白に、天儀総司令の大なたが振るわれた。
「ああん!? それだけかよ。いいじゃねーかケツぐらい。パンツもはいてたんだろ?」
「なっ! よくありません! 私は被害者ですよ!!」
ちょっと! 明らかに逆効果じゃないですか。天儀総司令あなたって人は、あまりにざっくりすぎる。乙女心というものをまったく理解してないというか、説得ということをする気がないのかあなたは! デリカシーがなさすぎるぞ。
「いや、いいだろ。水着と露出はさして差がないんだし二度見、いや、三度見ぐらいまで許してやれよ。てっきり俺は、きみのあられもない姿を見た義成が、欲情して襲いかかって返り討ちにあって土下座ぐらいまで想像していたんだぞ」
……やめてください天儀総司令。これじゃあ完全に裏目だ。
もちろんこの天儀総司令の、
――もう、面倒くさいから許せよ星守。
という露骨な態度と強引な発言は、星守副官房の精神を逆なでしただけだった。お願いです天儀総司令。これ以上火に油を注がないでください。これは俺からのささやかな懇願です。あなたにとっては他人の人生でも、俺にとっては主役の人生なんです。それが不出来で無様な喜劇でもです。
だが、ここで入れ替わるように六川軍官房長が、星守副官房へ言葉を向けてくれた。
「星守くんそれぐらいにしてあげたらどうだ。彼は、正座までしている。恐らく土下座をしていたのだろう。真摯に謝罪をしていたと思うのだが違うのかい?」
「いいえ。この義成という男は、とんでもないスケベですから。女の敵。絶対に許しません。私のお尻をガン見したんです。視姦というやつで、私はこの男に目で汚されました」
「だが、きみも不注意だろ。コーヒーをこぼして着替えていた。そこに彼が現れた。違うかい?」
「そうですけど……。それを覗いて、この男はガン見してきたんです。これを痴漢といわずなんというんですかっ」
「そこは主観の問題だ。きみはここが何処だかわかっているのかい?」
「何処って国軍旗艦の瑞鶴の総司令区画の――。アッ!」
「そうだね。ここは女子更衣室じゃない。給湯室だね」
「ウッ……!」
「その顔。僕の主張を認めたということでいいね。星守くんの早合点と思い込みは相変わらずだ。きみは、すっかりここを更衣室と思い込んでいたようだが、きみは給湯室で着替えていた。それを偶然ととおりかかった義成くんに見られた。これは事故だ」
見事な論破だ。と俺は思ったが、それでもなんでこんな簡単な結論に時間がかかったのかと思いもした。だが、星守副官房ときたらこれだけ六川軍官房長にいわれても、
――でも給湯室でも更衣室と宣言すれば、そこは更衣室になりますけどぉ……。
などとブツブツいっていたが、結局は非を認めたのか、
「今回は大目に見ます。寛大にして特別な措置。いまはただでさえ人員不足。変態でも覗き魔でも役立つでしょう」
と嫌味たっぷりだが俺を許してくれた。
俺は、正座状態でそのまま前に突っ伏した。疲れた……。もう首を回すぐらいしか気力がない。そんななか天儀総司令ときたら、
――やったな義成お許しがでたぞ。
と気軽なものだ。完全に他人事だなこれは。この人絶対に、いまの俺の状況を面白がっているぞ。くそ。
一件落着に思えたこの状況で六川軍官房長が何気なく一言、
「――それより……」
といった。
「なんですか六川さん私をまじまじと見ちゃって、ちょっとやめてくださいよ恥ずかしいです」
「いや、星守くんは度胸があるなと思ってね」
「え、なんでですか?」
「きみは、いま、はいていたパンストを脱いでいるね。きみのマグカップは大サイズで、それに波々つがれたコーヒーを下半身にぶちまけていた。……僕が推測するには、いま、きみはパンストだけでなく下着をはいていない。それなのに、そんな足蹴にできる近距離で彼に土下座スタイルを許すだなんて、義成くんがきみのいうとおりスケベなら喜ぶべき事態のはずだ」
「え……」
「はっきりいうと彼が頭をちょっともたげれば、スカートの中身が見えないともかぎらないと僕は思うが」
「ちょッッ! 変態ッ!!!」
と星守副官房が鋭く叫んだと同時に俺の口からは、
――グッ! ブバッッフ!
というヒキガエルが五匹同時に潰れたような叫びが押しだされていた。
俺への変態! の罵詈とともに、お見舞いされたのは顔面へのトウシュート気味の蹴り。俺は、精魂付きて突っ伏していたため避けることなどかなわずもろに蹴りを受けて空中で半回転。床にドシャリと崩れ落ちた。
星守副官房のつま先は、俺の頬へ見事にクリティカルヒット。そのなかでも最大乱数の大ダメージを引いたと確信できる。なにせ目に蹴りあげられる俺の目にはチカチカと星が飛んだからな……。
「とんでもないスケベ! 最低!」
星守副官房が顔を真赤にして叫ぶなか俺は、安易に土下座はするんじゃなかったと猛烈に後悔した。土下座状態でなければ、ボールのように顔面を蹴りあげられることはなかったはずだ。
土下座は、じつは一度やってみたかった。映画で見たサムライの謝罪は勇ましい。ヒーローに憧れる幼いころの俺にとってサムライはかなりヒーロー度得点が高い存在だったのだ。
――痛い……。この頬の痛みは長引くだろう……。