3-(25) ストライダー・アバノア
「早急に離脱! 最大戦速。機関の限界まで速力をあげて!」
という部隊司令花ノ美・タイガーベルの声が戦艦リシュリューのブリッジに響いた。花ノ美が叫ぶと同時に、彼女がつけているヘッドセットのスピーカーからは、
『あらー。三度目のターンはなしですの?』
という戦艦フロンサックからのアバノアの声。
「バカいわなでアバノアあんたも状況わかってんでしょ!」
『はい。わかっていますとも。8隻で190隻へのまさかの二度目の攻撃。敵も味方もアッと驚く予想外。そして、いまは、その驚きが終わって現実の世界ですのー』
そう、たったいま、二度目のターン砲撃を終えた花ノ美たちのストライダー部隊は全力の逃走を開始していた。
「こうなったら奥の手よ。後尾の護衛艦2隻を陣形から切り離す!」
『あら、やりますのね秘策を。あの、つかうかわからなかった秘策を!』
「アバノア、2隻の操作はあんたがやりなさい。あんたの部隊の機動の指揮はもう終わりよ。今後は部隊の行動は私が指揮するわ」
『ガッテンですの。ということは、わたくしのフロンサックが殿(最後尾)でよろしいのですのね?』
「ええ、本当は私のリシュリューでやりたいけど、あんたのいうとおり命令だす頭脳、つまりは司令官が死んじゃったらどうしようもないからね」
『冷静なご判断と思います。わたくしだけでなく、もうクルーの皆さんにとって花ノ美お姉さまあってのストライダー部隊。花ノ美なくしてどうするストライダー部隊というものですの』
「いいすぎよ。それより隊列変更入るわよ。まごつくと速力が落ちて、敵との距離が縮まっちゃう」
『はい。お姉さまのリシュリューを先頭に繰り上げ、わたくしのフロンサックが最後尾へ。それでは与えてくださった護衛艦2隻は自由につかわせていただきますの』
「ええ、精々やんなさい。多分、いえ、間違いなく敵はあんたの名前まだ覚えてないから」
『あら、花ノ美お姉さまったら、あの啖呵覚えていらしたのですね』
「この戦いで敵はあんたを知るんでしょ? あんだけ大見栄切ってこのまま終わると大恥よ。アヘッドセブン序列4位が伊達じゃないって敵へ教えてやんなさい。舐められた承知しないわよ。3位の私まで軽く見られかねないんだから」
『あら手厳しい。星系軍士官学校の黄金の二期生。そのなかでも成績優秀なものに与えられたアヘッドセブンという称号。その3位と4位がここにいたことを、嫌というほど敵さんへ教えて差し上げますの』
そしてストライダー部隊を追ってくるのは敵戦艦16隻。紅飛竜は、
「一時間以内だ! 一時間以内に! あの8隻を体当たりでもなんでもして轢き潰してこい!」
と16隻への指示に怒りを込めて解き放った。
なお、紅飛竜の座する軍団旗艦の鉄扇羅刹は予定進路に戻るために回頭中だ。16隻のなかに紅飛竜の鉄扇羅刹はいない。
いま、紅飛竜は指揮座で敵殲滅の一報を待っていた。そんな紅飛竜が見つめるモニターに映るのは、放った戦艦16隻と追われる花ノ美のストライダー部隊。
「これはさながらショーだな」
と紅飛竜は横にいる幕僚へいった。
「はい。鬼級戦艦が16隻。鬼がウサギを追い立てて、最後には掴んで引きちぎって跡形も残らないところでしょう」
「しかし、ヌナニア軍は戦意が低く勇敢さに欠けると思っていたが、なかなか勇猛なやつがいたものだな」
「トランスポンダーの発信情報と情報解析班の報告から敵の戦艦2隻は、リシュリュー型で間違いありません。リシュリュー型はヌナニアの一級の戦艦ですので優秀な司令官が配置されているのでしょう」
「ま、蛮勇と紙一重ではあったがな。だが、戦場なんてものは、どんな剛勇すら勇気を誇示する暇すらなく死ぬのがあたりまえだ。そう思えば敵は運がいい。少なくとも私の印象には残った」
「降伏勧告をいたしますか?」
「……いや。だが、もし降伏してきたら丁重に迎えてやるか」
そういうと紅飛竜が通信を命じて16隻へ、
「降伏してきたら容れてやれ。無体に扱うなよ」
と直接指示した。16隻は急遽本隊から切り離されたため統一された指揮系統なく、16隻を連携させる司令官もいない。しいていえば紅飛竜がその役割をはたす状況にあるが……。
「戦艦16隻だぞ。乗員も戦歴10年以上。新兵じゃないんだ。殺せの一言で事たる」
紅飛竜に、とくにその気はなかった。無造作に戦力を放てば叩き潰してくる程度の想像だったといえる。つまり花ノ美のストライダー部隊を追う戦艦の群れは連携機能がない16隻でもあった。
そのころリシュリューのブリッジでは花ノ美が首を傾げていた。
「追いかけてきた16隻だけだけど……」
「なにか気になることでもありますかタイガー・マム?」
「いえね艦長。これを見てなんか違和感ない? 統一感ないっていうか、バラバラとしてるようなー……」
リシュリュー艦長は部隊司令花ノ美の指すモニターを見た。そこにはいまいるエリアのマップに逃げるストライダー部隊の8つの点と、追ってくる敵戦艦16個の点。2つの集団はいまのところ距離をたもてており問題があるようには見えない。
「そうでしょうか?」
リシュリュー艦長が見るに追ってくる敵の戦艦16隻は一つのかたまり。特に乱れたようすは見えない。
そこに花ノ美のつけているヘッドセットに、
『花ノ美お姉さま!』
という声が響いた。思わず花ノ美が顔をしかめ。リシュリュー艦長といえば、ヘッドセットのスピーカーから漏れるほどの声量に驚き顔だ。
「アバノアあんたね。自動音量調節機能があるのに私の隣りにいる艦長まで聞こえる大声ってどだんけよ」
『そんなことより大変です。敵はおマヌケです!』
「おマヌケって……あんたね。でもアバノアあんたも気づいたわけね」
『いいえ、お姉さまこれをおマヌケといわずなんというのです。わたくしたちを追ってくる16隻は、それぞれ個別にわたくしたちを追ってきているだけで連携は皆無。これは逃げ切れる見込みがでてきたと思います。見てくださいましこの画像。いま、そちらへ転送いたしますの』
「あら、あんたさっそく任せた護衛艦を有効活用したってわけね。手際がいいわねー」
『ええ、予想には根拠が必要。根拠がなければたんなる憶測ですので。任せてくださった護衛艦は偵察に特化したもので、バッチリ鮮明な写真がナイスアングルで撮れましたの。どうぞご確認くださいまし』
アバノアの戦艦フロンサックからすぐに画像が送られてきた。私は、横にいるリシュリューの艦長さんにも写真の表示されたモニターを見るようにうながした。艦長はアバノアが送ってきた画像を見るなり、アッ! と声をあげた。
「バラバラと横並び。どれが先頭なんだか最後尾なんだかまったく不明。ぜーんぜん隊形の定まらないだらしない隊列ね。敵を攻撃するのにこんなのってある?」
「……ないことは、ないでしょうが」
「あらそうなの? さすがは歴戦ね。どんな場面かしら。教えてほしいわ」
「勝利のあとの残敵の掃討ですな。つまりは敗残兵の追撃。戦闘に勝利した直後の追撃では、こんな形になった事例はいくつか見たことがあります」
「へー。勝ったからってこんな追撃したら危なくない?」
「まあ、逃げるだけの敵は切り取り放題なので、ただ逆襲をうけるリスクはあります。だから心得のある司令官ならこんなことはしないでしょう。敵はよほど我々ストライダー部隊を呑んでいる」
「なるほどね。追ってくる16隻は、私たちが逃げるばかりで反撃を考える余裕もないって思ってるわね」
「そうでしょうな」
あいづちしたリシュリューの艦長の顔は苦い。それもそのはずだ。たしかにストライダー部隊は不利は決定的だが、少なくともいまのところ損害を与えたのはストライダー部隊で、しかもストライダー部隊側に損害なし。スコアーボードの得点はこちらが完全に上。それなのに敵は自分たちが勝っているかのような傲慢な振る舞いを見せている。
そしてこの感情はリシュリューの艦長だけのものではない。花ノ美が素早くこの空気を察して、ブリッジ内によく聞こえるように、
「へー! 敵は私たちを戦闘に敗北して逃げてるって思ってるのね! でも私たちっていつ負けたかしら!」
と艦長へいうと、ブリッジ内は温度が少しあがったような雰囲気となった。ブリッジ内の面々は誰もが、敵の振る舞いをしってムッとしたのだ。
――これが士気があがるってことなのかしら?
と花ノ美は思った。どんな反応があるか気になってわざと大きな声でいってみたけど、とたんにブリッジ内には結束感というか連帯感といか、とにかくこれまで以上の一体感がでた感じ? ふーん。なるほどね。悪い結果にはならないと思ってやってみたけど、こんなふうに部下を鼓舞するわけね。
花ノ美が、そんなことを思うなか護衛艦2隻を与えられたアバノアが動きだそうとしていた。敵は16隻。ストライダー部隊の2倍。だが連携を伴わない16隻なら状況によっては、その戦力は1隻の駆逐艦より劣る――。
そして45分後……。
フロンサックのブリッジでは――。
「あら思ったより早かった、というところですの」
とアバノア・S・ジャサクがポツリともらした。
いま、ストライダー部隊の陣形はリシュリューを先頭にした少し手の加えられた単縦陣。先頭のリシュリューから始まり6隻目にフロンサック。そしてフロンサックの後ろ、つまり最後尾は護衛艦2隻が並んで進む形となっている。手が加えられているのはもちろん最後尾だ。単縦陣とは文字通り一列のことをいうのだから。
アバノアがポツリといった直後にブリッジには、
「敵集団との距離が縮まりました。ストライダー部隊の最後尾の艦はあと5分で敵の射程内に入ります!」
という報告があがった。
直後にフロンサックの参謀が、アバノアへ向けて、
「十分に引き伸ばせたと考えますが?」
といった。フロンサックの参謀が思うに45分は時間稼ぎとしては上出来だった。なぜならストライダー部隊は数分で追いつかれていてもおかしくなかったのだ。それを部隊司令のタイガー・マムは、ほぼ障害物のない宇宙空間を最適なルートで疾駆し45分も引き伸ばした。
「わたくしは最低でも1時間を予定しておりましたので――」
「それは……。欲張り過ぎでは?」
やはり45分でも請雨分以上。規格外の先延ばしだ。しかも敵艦16隻は追撃重視で隊列を維持などかなぐり捨てて追いかけてきていたのだ。
「あら、どうでしょう。欲張りなのは敵のほう。見てくださいなこの見苦しい陣形。いえ、陣形なんてもともとなかったかのごとくですの。わたくしの予定より敵が早く追いついてきたといことは、敵はよほど移動に無理をしたということで、それが見苦しい敵の状態です」
参謀が直近の宙域図が表示されたモニター見た。そこにはストライダー部隊と、その最後尾に追いつきそうな敵艦3隻が描画されている。なかなか抜き差しならない状況のはずなのだが、不思議と上官のアバノア副司令は落ち着いていて、その落ち着きがフロンサックブリッジだけでなく艦内全体に伝播しているような印象があった。
――若い。が、司令官としての資質は十分か。
と参謀は思いつつモニターから読み取れる情報を口にした。
「我々に追いつきそうな敵艦3隻。しかし、そこからダラダラと13隻が続いていますな。まるで仲間同士で我先にと押しのけあってここまできたという感じです」
「そう。わたくしたちに追いつきそうなのは3隻だけ。つまりこの3隻孤立しているといえますの」
「やりますか?」
と参謀が生ツバを飲み込みこんだ。戦術的な助言は参謀の重要な役割の一つ。それだけに参謀は、このあとの敵の動きは手にとるようにわかるのだ。このままなにもせずにいると、5分後には敵は砲撃を開始してくるだろう。先頭の一隻が撃ち。若干速力が落ちたところを二隻目が追い抜いて撃ち。さらに三隻目が先頭に躍り出て撃つ。やったことはスタンドプレーだが、こちらからすれば時間差の連続攻撃。こちらの状況によってはかなり厄介だ。
「追ってくる敵は戦艦16隻。さながら知恵の少ない飢えたワニ。追われるわたくしどもは、けなげな白ウサギ。けれど、わたくし逃げるだけには少々飽きました」
――いやはやウサギではワニに勝ちようがないのでは?
と参謀が思うなか副司令アバノアが行動を開始したのだった。
一方、アバノアのフロンサックと護衛艦2隻に追いつきそうな敵戦艦内では――。
「危なかった。紅将軍の命令は一時間以内の殲滅だ」
と虎ひげの大柄の男がいうと、それに応じるのは知的な副官だ。
「あと5分で敵の最後尾が射程圏内です。1射目で後尾のフロンサックを沈黙させ、さらに追撃してあわよくば先頭を行くリシュリューを叩く。敵の主戦力を潰せば殲滅したも同じでしょう」
虎ひげの大柄の男は、戦艦闘魂武鬼の艦長の陳。知的な副官は栗原という男だ。
「そうしよう。駆逐艦や護衛艦はこの際無視だ。俺が恐れるのは、敵戦艦が数隻を囮にして逃げ去ることだ」
「いえ、もう一つあるでしょう?」
陳艦長はなんだ? という疑問顔だ。
「ほら、紅将軍のお怒り」
「グハハ! いったなこのやろう。だが、確かにそうだ。それは敵よろ恐ろしい」
なお。太聖側では追跡中に、追っている敵の艦名や一部の船員の情報が続々と明らかになっていた。戦艦16隻から送られてくる情報を後方の艦隊が解析し、その解析結果を16隻へつたえる。これは電子戦科の役割だ。仮想空間で戦う電子戦科の仕事は、なにも敵艦のコントロールを乗っ取るだけじゃない。敵の暗号化された通信などの情報をキャッチし解析するのも重要な仕事だ。
軍用宇宙船は電子情報のかたまりで、完全に電源が落ちないかぎり、情報を発信しつづけるのが宿命だ。戦闘班と呼ばれる人員がそれをキャッチし、解析班がAIとともに奮闘して読み解く。情報であふれかえるが、その中から少しでも自分たちが有利となる情報を見つけだし報告するのだ。
そして闘魂武鬼の合楼に、
――敵の最後尾射程圏内に入りました!
という報告が。待ちに待ったこの瞬間。陳艦長は手を打って喜び砲撃命令に入ろうとしたが、
「最後尾の護衛艦2隻が回頭! 同時に砲撃大勢に入ろうとしています!」
この報告で気勢をそがれたうえに陳艦長は血相を変えた。
「おいまさか!」
「……そのまさかでしょう。映像には回頭する敵護衛艦2隻の間からフロンサックの噴射口と思しき大発光が見えます。敵は護衛艦2隻を盾に逃げる気です」
応じた栗原参謀がじっと見つめていたのは偵察ドローン機からの映像だ。敵の状態を映像から判断するのも重要だ。
「やはりか! 敵の最後尾2隻は囮だった!」
「……ですが無視もできません。護衛艦といえども好き放題撃たせれば厄介です」
「くそ……。まどろっこしいが護衛艦2隻を速攻で蹴散らすしかないな。だが、その間に闘魂武鬼は後続の2隻に追い抜かれ、戦艦フロンサックは間違いなくこの2隻に持っていかれてしまう。くそ……」
「最大戦速で前進しつつ砲撃を加えましょう」
「衝突事故にならんか。護衛艦2隻は足を止めたんだろう? しかも2隻は我らの進路に横たわるように封鎖しておる」
「こちらの質量は10倍以上。我々は最悪でも大事故ですみますが、敵は間違いなく粉々です」
「なるほど栗原参謀は、このまま直進すれば敵のほうが避けてくれると?」
「ええ、足止めが役割とはいえ十中八九進路を譲るはずです」
すばやく陳艦長が方針を決定した。
「闘魂武鬼は現進路と戦速を維持! 加えて護衛艦2隻へ向けて砲撃準備!」
すぐに敵の護衛艦2隻が迫ってきた。向こうは停止状態。闘魂武鬼は最大戦速なのだ。距離はあっという間に縮まり、護衛艦2隻が砲撃。すぐさま陳艦長は応戦した。
「全砲門一斉射ー! これは前菜だ。フロンサックは後続の2艦に譲っても、リシュリューは必ず我らが仕留めるぞ!」
護衛艦からの砲撃は至近弾。一発だけ闘魂武鬼の船外皮膜をかすめていった。船外被膜とは、宇宙線や小さなデブリなどから船体を守るために宇宙船全体をすっぽり覆っている大気に近い膜で、例えるなら地球でいうオゾン層のようなものだ。重力砲に対しても一定防御能力がある。
「2発命中したようです。状況確認させています」
この栗原参謀の報告に陳艦長は、それより、というように懸念を口にした。陳は見た目こそ毛深く豪傑のような男だが肝はあまり太くない。
「栗原参謀、敵は本当に闘魂武鬼を避けてくれるだろうな?」
「ええ、そのはずですが……。約束したわけではないので」
「歯切れが悪い。衝突なんてことになればリシュリューに追いつけないどころか、このあとの本隊戦も参加できない可能性がでてくる。くそ、たのむから避けてくれよ。お前たちだって死にたくないだろう。俺たちは死ぬまではいなないが、お前たちは確実に死ぬんだぞ!」
「あ、陳艦長。敵の護衛艦が左右に分かれていきます!」
――避けてくれたか!
と陳艦長がホッとしたのもつかの間だった。
「護衛艦の奥に新たな熱源! 敵の大口径重力砲です! きます――!」
この報告とモニターに写った映像だけで陳艦長だけでなく合楼のいたもの達は瞬時に状況を理解していた。2隻の護衛艦の後ろには逃げたとばかり思っていたフロンサックが待ち構えていたのだ。完璧な砲撃体勢で――!
「回避運動―!!」
と陳艦長が叫ぶと同時に激しい衝撃が闘魂武鬼を襲った。合楼の体を固定してないクルーが座席から跳ね飛ばされた。
闘魂武鬼は護衛艦を轢き潰さばかりに肉薄していたのだ。当然そのうしろに控えるフロンサックとの距離も近い。近ければ発射された重力砲弾が着弾するのも早いのは自明の理。
砲撃をうけた闘魂武鬼のブリッジが暗転した。電源が落ちたのだ。緊急事態を知らせるブザーも鳴り響いている。危険な状態といっていい。砲撃のダメージで動力源が失われたとなれば戦えない。しかも距離が距離だ。砲撃してきたフロンサックとの距離が近すぎる。独立した堅牢な区画にある生命維持装置も故障した可能性は拭えない。
――まずい!
と陳艦長の肝は冷えあがった。陳艦長の脳裏に浮かんだのは怒れる紅将軍と、皇帝の冷ややかな視線。この失態は譴責などではすまされない。軍法会議ものだ。絶対に勝ってこいといわれて、瀕死の状態に追い込まれ、本隊戦にも参加できなかったとなればお先真っ暗だ。死の恐怖より恐ろしいのが、太聖星系軍の鉄の規律だ。
「被害報告! 被害を報告せよ!」
陳艦長は自分の未来は真っ暗だが、暗転したブリッジのなかはよく見えた。陳艦長はしばらくして足元に白目をむいき血を流している栗原参謀が横たわっているのに気づき、
――生命維持装置は稼働しているのか。
と気づいた。生命維持装置が停止すると重力も失われ気を失ったものが床に横たわっていることはない。宙を漂うのだ。
「被害は……?」
再度、陳艦長が力なくいうと主計長が、倒れてしまった栗原参謀に変わり、
「一番、二番砲塔が壊滅的被害です。艦首部分の装甲が破られ、ダメージ・コントロール班が総出で修復中です!」
と応じた。
「砲術長と艦載機指揮官の意見を聞きたい」
「三番、四番砲塔は稼働しますが、エネルギーチャージ機構に深刻なダメージが有り砲戦は不能です。砲術長からは以上です」
「被弾の衝撃により格納庫内で死傷者多数。攻撃機の出撃はしばらく無理です。艦載機指揮官からは以上です」
「了解した――」
と陳艦長が静かにいった。近くにいた主計長や砲術長だけでなく、合楼内の誰もが降伏を予感し沈痛な想いに駆られたが――。
「敵からの、いえ、フロンサックからの通信です!」
通信兵の報告に合楼内が色めき立ち陳艦長も驚き、
「なにい!?」
と思わず口走っていた。
「通信開かれます。くそ! 出力が落ちたから通信ネットワークを乗っ取られたんだ!」
通信兵が悲痛すると同時に合楼の中央のモニターには腕組したいかにも育ちの良さそうなツインテール。およそ軍人には見えないような若い女子。その軍服を着ていなければどこぞの良家の子弟のような女子が慇懃無礼にお辞儀し口を開いた。
『ストライダー部隊副司令のアバノア・S・ジャサクでございますの。闘魂武鬼の艦長の陳氏とお話したくこうして通信をって、そちらは真っ暗? え、なんです艦長さん? はあ、闘魂武鬼には回路異常の警告でてるからブリッジの照明が落ちているのだろう。なるほど砲撃の衝撃でそこまでぶっ壊れたと。近距離砲撃恐るべしですのー』
挨拶が始まったとおもったら、いきなり仲間内での私語を見せつけられる展開。陳艦長の眉間には苛立ちのしわをよせてから、咳払い一つしマイクへ言葉を発した。
「闘魂武鬼の艦長の陳公任である。俺をしこたま殴った敵がどんなやつかとおもったらたんなる小娘だと? なんの冗談かしらんが、とても軍人には見えん。どこぞの女学生だろ。とっとうせろ」
だが、陳艦長がどんなに厳しさたっぷりでいってみても、その威厳ある虎ヒゲの容姿は肝心の小娘アバノアにはつたわらず。アバノアが見るモニターは荒い映像だけで、さながらホラー映像のよう。画面には人形のかろうじて男とわかるものだけが映っているだけだ。闘魂武鬼の映像通信機能が故障してるのは明らかだった。
『あーら、その状態でよくもまあそんな虚勢が張れますこと、そちらの艦の状況はこちらにはよくわかっているのですけれど……。そちらの艦のコントロール6割ほどこちらにありますのよ』
「砲塔のコントロールさえ残っていれば戦える。海上の船は浮いていれさえいれ戦力で、宇宙戦艦は砲塔の射撃機能さえ保持していればりっぱな戦力だ!」
『大の男が口を開けば虚勢だけ、みっともないとはこのことですの』
「小娘は戦場をしらんようだな。ここから死線なんたるかを内戦時代からの歴戦の俺が教えてやってもかまわんぞ。とっととうせろ。いまなら許してやる!」
『ほう。なるほど、あと一発お見舞いして欲しいと?』
挑発たっぷりにいうアバノアとかいう小娘に陳艦長の顔は真っ赤だ。これを見た闘魂武鬼側の高官が素早く動き、
「無理です。耐えられません。ダメージ・コントロールの責任者として安全上の懸念から具申します。これは露骨な挑発です。乗ってはいけません。彼らは捕虜を取る余裕がないので、私たちに交戦を選択させ殺したいのです」
と陳艦長に耳打ちした。だが、陳艦長にだってそんなことはよくわかっている。そもそも、
――降伏する
と口に仕掛けていたのだ。そこに、この小娘の邪魔が入ったというだけで、だが、とても降伏しにくい、というかたくない状況になってしまったのも事実だ。
『はい。いま、こちらの電子戦班から入った報告によると、そちらの艦のコントロールを7割奪取。ま、回避なんてさせませんので実弾訓練の標的艦よろしく粉々になってくださいですのー』
ジト目の呆れ顔でいうアバノアに対して、陳艦長のほうは顔真っ赤だ。
「小娘! 調子に乗るなよ!!! 俺の戦歴をしらないくせいに!」
『どうせしょうもない戦歴なんて、しりたくもありませんの』
「なんだと小娘!」
『はあ、あきれた。もう時間もありませんし仕方ございませんわね』
「勝手に話を進めるな! 降伏はせんぞ。交渉ならするがな。そうだ。ここは一つお互い条件を提示しあおう」
『バカをおいいなすって、そんなことをしている間に、そちらの後続の艦が追いついて、わたくしはお姉さまとの距離が開いてしまいます。そんなイージーな時間稼ぎに乗るバカはいませのよ』
「チッ、意外に頭の回る小娘だ!」
『でーは、死にたいということで処理しますの。どうか恨まないでくださいましね。それでは、いーち……』
「なんだそれは!」
『にーい』
「だから黙れ! だから、なんだそれは!」
『さーん。あ、十まで数えたら砲撃しますので、どうぞお祈りの時間にでもおつかいくださいまし。しーい』
「おい! 数えるな! 数えるな!! 認めんぞ!」
が、陳艦長が真っ赤になっても、
『ごーお』
とアバノアのカウントは止まらない。合楼のモニターに映るアバノアの顔は下目遣いのジト目。傲慢そのものだが、いまは死のカウントに一切動じない小娘が逆に恐ろしい。
陳艦長も青くなったが、もはや冷静さは皆無。いっそこのまま死んでやる! どうせこんな無様な降伏などしては、どんな処分がくだるかわからん。いや、間違いなく太聖へ戻れば軍法会議なしの銃殺刑。それでも部下たちを救いたくて、降伏をしようとしていたが、もう腹立たしい。どうにでもなれというものだ。が、そんなときに陳艦長の袖を引っ張るものが。主計長だ。アバノアのカウントは〝はーち〟まで進んでいる。
「主計長こんなときになんだ!!」
「……死んでます」
陳艦長は、何がだ!? とはいわなかった。主計長が言葉ともに指したさきには床にだらりと転がる栗原参謀。栗原参謀は砲撃をうけた直後から床に転がっていたが、陳艦長は気を失っている程度だと思っていた。
戦っても、たんに降伏しても、
――これより惨めだ。
と陳艦長が自分の未来を予感した。
『きゅーう……』
「降伏! 降伏だ!! やめろ! 数えるのをやめろ!! 戦いはやめだ! 亡命を希望する! 降伏の条件は一つ! 俺をはじめとする亡命を希望するクルーを受け容れてくれ。頼む……!」
闘魂武鬼は降伏した。後続の2艦もこれで戦意を喪失し失速。後続の13隻を待つ形となった。敗北や降伏ならまだしも、亡命は大事件だ。太聖側の厳しすぎる軍規が生んだ珍事といえた。ストライダー部隊は、アバノアの恫喝でいっときの安寧を得た。




