1-(4) みかづき
「さんげつさーん、さんげつさーん」
なにか呼ばれている気がするが、俺は聞こえないふりで国軍旗艦瑞鶴の通路を、背筋を伸ばし進んでいた。俺の名前は、参月義成。よく〝さんげつ〟と間違えて読まれることはあるが、この呼びかけはけして俺へ対してではない。断じてそうだ。
「ねえったら、さんげつさん! 私さっきから呼んでるんですけどぉ」
「ねぇさんげつ。いい加減なにかいいったらどうなのよ。この娘がさっきから私の横でキャンキャンうるさいったらしかたないんだけど」
あー本当に勘弁して欲しい。これが、かしましい、というやつだろなのだろう。俺は頭のなかで今後の行動計画を立てているのに、まったく集中できない。火水風も鬼美笑もどうしてこうなのか。が、放置しているとますますうるさそうなのも事実だ。こういうときは男としてきっぱりいってやる必要がある。
「鬼美笑姉、火水風。俺の名は〝みかづき〟だ。たしかに初見の相手には〝さんげつ〟と呼ばれてしまうこともあるが君たちは違うだろう。自分の名前を間違って連呼されるのはあまり気分の良いものではないんだぞ。やめてくれ」
「えー、私てっきり、〝さんげつ〟が正しい読みだったと思ったんですけどー」
「奇遇ね。私も火水風と同じで、その情報更新が脳内であったわよ。ついさっきね」
くそ、二人とも総司令官室での出来事をあてつけていっているな。俺もあれは恥ずかしかったんだ。くそ、こういった嫌がらせは、冗談の範疇をこえている。ハラスメントじゃないのか? 結局あれから天儀総司令は、俺を最後まで〝さんげつ〟と呼び続け、俺も訂正する間もなく、仕方なしに呼ばれるがまま返事をしていたんだ……。
「それはバグをふくんだ更新だったな。じゃあ、いまから新しい更新情報を与えるので、すぐに書き換えてくれ。俺の姓の読みは〝みかづき〟だ。これでいいな」
「義成ったらすっとぼけて。あんた笑えるわー。天儀に〝さんげつ〟と呼ばれても訂正せずに会話してたじゃない。キャインと応じるまるで子犬みたいにね」
「違うぞ鬼美笑。キャインではない。犬じゃないんだぞ。返事のときは、はい、と軍人らしい明朗な応答をしいた」
「それが犬だっていうんですよ義成さん。名前を間違えられたら誰が相手だろうと訂正しますよね普通」
「……今度は火水風か。どうしたんだ二人一緒になって、今日は二人ともおかしいぞ。こうして無事に三人一緒に退出を許された。いまの状況はパーフェクトだろ」
そう。俺たち三人は総司令官の暗殺失敗というという間違いなく人生一発BANクラスのやらかし、処刑間違いなしの過ちを犯したのに、あの部屋を無事でることができていた。忘れもしないつい先程だ。天儀総司令ときたらあっさりしたものだった。
「もういい。義成、お前の計画の機密性はSクラスで、目撃者がいないのが幸いだったな。お前たちの処分については後日通告する。出ていけ。俺は忙しいんだ。俺は着任したばかりだぞ。お前たちの相手ばかりはしていられない」
と俺たちを開放していた。要人の暗殺未遂は、普通なら即処刑ものとうのはいうまでもないのだが……。
不快な顔をする俺に、
「もう。怒らないでくださいよ義成さん。冗談ですって!」
と、口にして火水風が腕に絡みついてきた。
「おい火水風。まだ勤務中だぞ」
「いいから、いいから。せっかく無罪放免されたんだから喜びましょうよ。いまは義成さんのいうパーフェクトな状況なんですから」
「ちょっと火水風あんたね。義成から放れなさいよ!」
眉を吊りあげる鬼美笑姉の言葉を火水風は無視して、
「そういえば天儀って経歴抹殺刑なんですよね?」
と俺に問いかけてきた。この火水風の問に、俺ではなく鬼美笑姉が反応した。
「あらー。火水風ちゃんしらないの? 天儀は、経歴抹殺刑で軍を強制引退させらた危険な男。経歴抹殺刑は、国家犯罪クラスの超重罪人に、くだされる重罰よ。これがくだされると酷いわよー。戸籍までは抹消されないけど、今の時代にグローバルアカウント削除されてどうやって生きていけっていうのよ。電子決算もできないんじゃ買い物だってままならないわよ」
わかりやすくいうと戸籍以外のすべてが消される。ネット上からはもちろん。官民問わずあらゆるデーターベースから対象の人間の情報が抹消される。
国家犯罪クラスの重罪で、命も奪われないし、自由も奪われないのだから、たったそれだけ? と思うかもしれない。だが、これは実質死刑のようなものだ。なぜなら鬼美笑姉のいったグローバルアカウント。これが削除されるのは痛い。
グローバルアカウントは、国家が発行するDIとパスで、ネット上であらゆるサービスをうけるときに利用されるものだ。
たんにネットに繋ぐだけならグローバルアカウントは必要ないが、ちょっとしたネットを介したサービスをうけるには必須だ。なにをするにしてもログインしろとでるからな。
動画を楽しむこともできず、SNSでなにかつぶやくことすらできないのは序の口だ。いまの時代生活のあらゆるものがネットを介して成り立っている。例えば、通販するにも、デリバリー頼むにも、飛行機や電車のチケットを買うにも、店を予約するにグローバルアカウントが必要だ。
しかもきわめつけは、銀行口座が作れない。電子決算のサービスにもアカウントが作れないので、働いても給料も受け取れないとすら考えられる。まあ現金を手渡しすればいいのだが、いまどき現金って……。とにかく経歴抹殺刑の人間が、生きていくにはどうなっているんだ? と色々と疑問がつきない状況に陥るのだ。
「ムム。またバカにして。私だってそんなことは知ってますよ。私がわからないのは、なんで天儀が経歴抹殺刑になったかですよ。ヌナニア連合成立のきっかけを作った天儀って男の実態は、前の戦争の英雄らしいってことしかわかりません」
「そういえば……。天儀っていえばすごいってイメージばかりで中身はよくわからないだわね」
「ほら鬼美笑おばさんもわからない。人のことバカにして、情報部所属の諜報員がそれでいいんですかー?」
げ、まずいぞ。火水風が、鬼美笑姉をおばさんとよんだ。たしかに二人は、遠縁の親戚。火水風から見れば鬼美笑姉は、おばさん、と呼称して相応しい位置にいるのだが……。いうまでもなく鬼美笑姉は、おばさんとよばれるのをとても嫌っている。ほら見ろとたんに鬼美笑姉の眉がますます吊りあがったぞ。
「あんただって電子戦科じゃない。電子戦科は、サイバー空間の魔法使いなんていわれるぐらいで、ある意味諜報員より情報のプロ。それがターゲットの経歴に不明な点がありますーでいいわけ?」
「ふーんだ。電子戦科は、サイバー空間で戦うことがお仕事で、素性調査なんて専門じゃないですから、それは情報部さんのお仕事ですよーだ」
火水風は、勝ち誇ったようにいうと、
「で、義成さんどうなんですか?」
とあらためて俺に問いかけてきた。火水風だけでなく、不機嫌顔の鬼美笑姉も興味有りという感じだな。俺は、この問いに対する答えを持ち合わせていた。
「わからない」
「「はい?」」
数秒前まで険悪な感じだった火水風と鬼美笑姉の声が見事にハモった。いや、声だけじゃなく表情もだ。
「経歴抹殺刑だからな」
「だから。その経歴抹殺刑理由よ。経歴抹殺刑って刑事罰でしょ? なら罪状が必要じゃない」
「鬼美笑姉そんなものはないんだよ。経歴抹殺刑は、刑罰を食らった理由すら削除されるから恐ろしいんだ。当然、裁判の経過どころか罪状も残らない」
なお、戸籍以外が、削除されるといわれているが、正確には戸籍と人の記憶以外だ。人の脳内の情報までは消去できない。だからどうしても天儀の罪状をしりたければ、天儀を告発した人間とか裁判に関わった人間に直接聞けば可能だろうが……。
まずその人間を探すのが大変だろうな。経歴抹殺刑で全部情報がなくなっているからな。しかも見つけても話を聞くのも大変だ。経歴抹殺刑の対象となった人間の名前を口にするのは刑事罰の対象だからだ。
もちろん『以前に天儀といやつと知り合いで、こんなことがあった』と、家族や友人にぽろりともらすぐらいでは罰せられないが、マスコミの前でべらべらと喋ったり、研究対象としたり、天儀についての本を出版したりすれば即逮捕だ。
俺は、あわせてこれらのことを火水風と鬼美姉に説明し、二人は納得した。
「天儀について徹底的に調べた義成がいうんじゃそうなのね」
鬼美笑姉に続いて火水風も口を開いた。
「天儀って名前は、私だって聞いたことがあるぐらい有名ですけど、前の戦争で勝った側の旧グランダ軍のトップだってことぐらいで、なにをした人かわからないんですよね。私も電子戦科のスキル使って色々調べたんですけど、恐るべき経歴抹殺刑ですよ。ネット上にはほぼ情報なし、わかったのは経歴抹殺刑があったってことぐらい。誰がそれをうけたかすらわからない。綺麗サッパリ消えてましたよ」
「なにいってんの火水風。その綺麗サッパリ消したのってあんたの電子戦科でしょ……」
「そうなんですよ。私達って優秀すぎてヤバいですね」
「あんたじゃなくて、あんたの先輩方だけどね」
「ま、そうですけどー」
「というか電子戦科が、抹消作業したならなにか覚えてる先輩とかいなかったわけ?」
「はぁー。鬼美笑さんはわかってません。電子戦科なら脳内の情報まで操作しかねませんよ。うちの局長は、作業にあたった人たちの記憶を〝ご苦労さま。単調で退屈。かつ苦痛な作業だったでしょう。ご褒美に忘れさせてあげます〟なんていってポチッと記憶消去なんてことやりかねない人なんですから」
「うへ……。口封じの暗殺とどっちがいいかわからないだわねそれ」
「うちって結構ブラックなんですよー。任務じゃ脳をサイバー空間に直接つなぎますからねぇ。任務で脳をやられちゃうことも多いんですから」
二人の話は脱線気味だが、いまは、ネット上のほうが情報は消えやすい。いや、正確には埋もれやすいのか? とにかく更新されなくなった情報はあっというネットの海の底に沈んでいくし、特定のワードを削除し続けるAIなども充実しているからな。
「結局、兄さんの死についても詳細はわからなかった。だが、これで逆に天儀が、兄さんの死に主犯として関わっているという裏付けが取れたようなものだ」
「経歴抹殺刑の天儀が、義潔を殺したことで、義潔の死も封印された……」
そういうことだった。
「鬼美笑姉すまない」
俺の兄義潔と鬼美笑姉は、将来を約束した仲だった。入籍の前日。式の二ヶ月前に、兄さんは死んだ……。
「いいのよ義成。だけど悪いと思うなら、その腕に絡みついてる抱っこ人形みたいなのひっぺがしたらどうなの。火水風あんたもベタついてないで離れなさいよ」
「いいんです。ここは私の特等席。あ、鬼美笑おばさんったら妬いてるんですね。でも、おばさんは若いカップルの行く末を、指をくわえて血の涙でも流して見守っていてくださいね」
鬼美笑姉が、ムッと黙り込んだかと思ったら、
「いったわね火水風。いいわよ。ならこうよ」
と俺の空いている方の腕を引っ張って横に並んできた。左手には火水風。右手には鬼美笑姉。鬼美笑姉のほうが俺より少し背が高く、火水風は俺より少し小さい。しかも二人共少しでも自分の方に俺をひ引っ張り用寄せようとしてくる。俺は、左右からグイグイと引っ張られ歩きにくくて仕方なく、迷惑のきわみなのだが……。
「あ、ちょっと! ダメですよ。義成さんと腕組でいいのは私だけなんですから」
だが、鬼美笑姉は、誰が決めたのよそんなこと、とばかりに言い返した。
「ちょっと義成が歩きにくそうじゃない。火水風あんたいい加減に離れなさいよ」
「鬼美笑さんが、離れればいいと思いますー」
俺の意志は、まったく尊重されない状況だ。だいたいこんなところを誰かに見られたら困る。勤務中だし、いや、オフタイムでも女子二人からサンドイッチされていたなんて風紀委員会ものだ。いかつい軍高官に呼び出されて、たるんどる! と怒鳴りつけられ小一時間は厳重注意だ。
だが、無理に二人の腕を振りほどけば、二人の怒りは俺へ向かってくる。俺は、左右から引っ張られつつ為されるがまま通路を進むハメに……。だが、さすがになるがままだとまずい。曲がり角が見えていた。いままで、誰とも遭わなかったが、あの角まがったとたんに誰かがいるということも十分想像できた。いや、むしろその確率のほうが高い。徐々に俺達は、幹部しか入れないエリアから誰でも行き来できるエリアへと向かっているのだ。進めば進むほど誰かとでくわす可能性のほうが高い。
――あの曲がり角までに二人を離さないと。
そう俺が思ったとき曲がり角から人影が――!