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○小魔王キョウカの本陣 サイファ 下
もしサイファとベッカが別々にネヒョルと戦ったら、勝負にならなかっただろう。
魔素量でも戦闘経験でも及ばない二人に勝機はない。
今回、ネヒョルが舐めてかかったことで、サイファとベッカは調子に乗っていた。
脳筋オーガ族を調子に乗らせてはいけない。
単純ゆえに、彼らを調子に乗らせてはいけないのだ。
それをネヒョルは身をもって知ることになった。
「うわっ!?」
速度で二人を圧倒したネヒョルは、攻撃を避けつつ反撃を加えた。
サイファはネヒョルの攻撃を受けるが、もちまえのタフさで反撃する。
ベッカは死角に回り込んで、そっと近寄るという攻め方をする。
ともにネヒョルが苦手とする戦い方だった。
「なんだよこれ、ゴーランと戦っているみたいじゃんか」
進化したサイファ――益荒男の防御力は、素のゴーランにも匹敵する。
鬼種ゆえ、相変わらず魔法には弱いが、有り余る魔素で身体を強化できるのだ。
サイファは、ネヒョルの攻撃を受けてすら反撃する余裕があった。
「もう、しょうがないな。本気でやるよ」
ネヒョルは思い通りにならない展開にかなり苛立っていた。
怒っていたとも言える。
北に野心高い者がいると知らせを受けて、秘かにネヒョルは部下を接触させていた。
ネヒョルがまだ西で活動していた頃である。
ゴーランによって西での活動が不可能になったネヒョルは、東の布石が順調に成長していることを知った。
すぐさま東へ向かった。内心「しめしめ」と思っていたのである。
キョウカの野心を煽り、うまく周辺の小魔王国を併呑させている。
連戦連勝したキョウカは、あと一歩で魔王に昇格するところまできていた。
そろそろ狩り時だと考えたネヒョルは、タイミングを逃さないために、今回、直接赴いてきたのだ。
魔王に成り上がるには、大物を倒さねばならない。
大物を倒した直後の疲弊した状態を襲えば、労せず倒すことができる。そう考えていた。
ネヒョルが必要としているのは、魔王級にまで成長した支配のオーブである。
魔界の住人が死ぬと、支配のオーブから魂と魔素が抜け出てしまい、抜けた魔素は周囲に拡散することが分かっている。
そのため、より多くの魔素を取り出すには、死ぬ直前くらいが一番よい。
今回の誤算は、キョウカが魔王になる前に死んでしまったこと。
取り出した支配のオーブはまだ成長しきっておらず、しかも魔素が抜け出している途中のものだった。
これでは使いものにならない。
大いに落胆すると同時に怒りがこみ上げてきた。
そんなとき襲撃を受けて、ヘタを打ったのである。
相手を殺すくらいでは飽き足らない。そうネヒョルは考えていた。
「陛下が倒されている!」
「胸が切り裂かれておられるぞ!」
ここまでサイファが天幕や陣幕を蹴倒してきたことで、周囲が広く見渡せるようになっていた。
キョウカの死体が多くの兵に目撃されてしまったのだ。
陣内は騒がしくなり、多くの兵が右往左往しはじめた。
「だれが陛下を倒したのだ!!」
「あそこで戦っている奴らじゃないか?」
サイファやベッカだけでなくネヒョルも目立ってしまった。
しかもネヒョルはまだ未練がましく、支配のオーブを握りしめている。
このまま本気を出せば目の前の二人くらい、余裕で倒せる。
少し戦ってみて、それは分かった。
だがこの混乱した状況で、そんなことをして何の意味があるのか。
ここでの計画は潰えてしまい、もはや自分がいる意味も無い。
「――はぁ、もういいや」
キョウカ軍はこのあと、新しい小魔王のもとに建て直しがはかられるだろう。
ここで変な噂が立つ方が嫌だと考えたネヒョルは、その場を離脱した。
「……チィ、逃げたか」
「というより、見逃してもらった感じ?」
「そうかもな」
初撃以外は、ほとんど有効打を与えられなかった。
たしかに逃げたというより、相手が引いてくれた感じだろう。
「しかし、あのゴーランを斃す奴がいるとはな」
「そうだね~。それでゴーランの死体、どうするの?」
「一応、持って帰るか」
この時すでに、キョウカが死んだことが本陣全体に伝わっている。
それを収拾させるべき副官や将軍たちがファルネーゼに斃されたため、押さえる者がいない。
混乱は最高潮に達していた。
逃げる者がいれば何をおいても追いかけるのがオーガ族である。
もはやサイファとベッカの周囲には、だれもいない。
倒れ伏しているゴーランに、二人はゆっくりと近づいた。
「こんなとき、よくゴーランが言っていた言葉があったな、なんだっけか」
「あったね~。たしか、『死して屍拾う者なし』だったよ」
「おう、そうだった、そうだった」
「思い出してよかったね~」
サイファとベッカはともに笑った。




