012
俺がオーガ族に転生したときは驚いた。
目の前に鬼の顔が近づいてきて、思わず殴ったほどだ。
殴られた相手は笑っていた。
来年の話をしたわけではないのにだ。
それが俺の親父だと分かったのはしばらく経ってから。
同じ頃、俺も自分自身について理解した。
オーガ族に生まれたのだから、さぞや屈強な身体だろうと思ったら、違った。
物心ついた頃から、俺は身体が弱く、病弱だった。
原因はすぐに分かった。
魔素をうまく体内に取り込めないのだ。
あまりにひ弱だったため、家族もさじを投げたように思う。
家の中でも放っておかれ、顧みられることはなかった。
このままじゃ死ぬな。
前世での三十数年と転生してから数年分の知識を持っていた俺は、自分の身体はそう長くもたないと冷静に判断を下した。
人間でいえば、慢性的な栄養失調状態なのだ。
でも死にたくはない。生き残るためには、自分でなんとかしなければならない。
魔素をしっかりと取り込めばいいのだが、そこで俺はとある勘違いしをしてしまった。
魔界には、魔素濃度の濃い地帯が随所にある。
その話を聞いて俺は、瘴気地帯に足を踏み入れてしまったのだ。
瘴気地帯というのは、魔素が凝り固まって変質し、澱のように沈殿してしまった場所のことである。
魔界の住人といえども、高濃度の魔素は身体に毒となる。
瘴気地帯はだれもが避けて通る場所だが、その部分は聞き逃していた。
そんな危険な場所に、俺は四歳か五歳で入ってしまった。
結果は明白。
さほど奥まで進まないうちに『瘴気酔い』を起こし、視界がぐらんぐらん揺れる中で気を失った。そのまま半日もすれば死んでいただろう。
偶然とは恐ろしいものである。
気を失っている俺を見つけて外へ連れ出してくれた者がいた。
目を覚ましたとき、俺の顔をのぞき込んでいる者がいて思わず殴った。
避けられたけど。
そのとき俺がなぜそう言ったのか分からない。
「なんで人間がここに?」
そう呟いた。
俺の顔を覗き込んでいたのは、オーガ族のように角もなければ、ヴァンパイア族のように牙もない。
ごく普通の人間の顔がそこにあった。
「なんできみが人間を知っているんだろうね」
たしかにそうだ。
魔界に人間はいない。ただのひとりも。
人界、もしくは人間界と呼ばれる世界があることは知られているが、行ってきたとか、向こうからやってきたという話は聞かない。
ここ数百年遡っても、直接人間を見た者は皆無のはずだ。
「えっと……」
俺が返答に困っていると、その人は少しだけ笑って、「別にいいよ」と言ってくれた。
年の頃は、人間でいうと二十代後半くらい。
凜々しい顔立ちは役者になればさぞ人気が出るだろうと思わせるものだった。
「キミは……珍しいね。ふたつ持っているのか」
「何が……ですか? いえ、それよりあなたが助けてくれたのですか?」
瘴気地帯で前後不覚になったところまでは覚えていた。
それからどうなったのか分からないが、ここは普通の場所だ。
「そうだよ。倒れていたからね、ここまで連れてきた」
「ありがとうございます。あのままだったら、たぶん死んでいました」
「ふうん。やはりオーガ族にしては珍しいしゃべりだね。これもふたつある影響かな」
「あの……ふたつって、何ですか?」
「二種類の支配のオーブが見えるね」
そう言われたが、体内に支配のオーブがふたつある訳ではないらしい。ふたつではなく2種類。うーん。
ひとつは表で、もうひとつは裏というように、同じようにみえて実は違うものが俺の体内の中に存在しているらしい。
そう言われてもよく分からない。
「ぼくは溜められる魔素量が少ないんですけど、それが関係していますか?」
「どうだろうね。魔素を溜めるのは器で、その大小が関係しているんだ。器は広げることもできるけど、成長とともに自然と大きくなる。焦ることはないさ」
キミはまだ若いのだから……その人はそう言った。
だが、他のオーガに比べると、この先生きていけるのか分からないほどに少ない。
ぼくの真摯な顔に、その人は困った表情を浮かべた。
そして意を決したように、小声で「裏技だけどね」と、器を広げる方法を教えてくれた。
二種類あるからこそできる技として。
○
(あれ、表面張力の原理だよな)
二種類の器には、満杯まで魔素が入っている。
それなのに、魔素を少しだけ片方に移動してみろと言われた。
満杯まで入っていて、なぜ移せるのか。
ほんの少しでも魔素を移せば、その分だけ減る。だがそれは食事をすれば元に戻る。
その程度の量。
移された方は?
溢れんばかりに入った魔素を受け入れようと少しだけ器が成長する。
俺はそれを続け、十年掛けて少しずつ器を大きくしていった。
「いいかい。もう瘴気地帯には入らないようにね。変異した魔素は取り込めないし、身体にも毒だから」
「はい。ありがとうございます……俺はゴーラン。あなたのお名前は?」
立ち去り際、俺はその人の名前を尋ねた。
その人は苦笑して、これまた小さな声で「ヤマトだよ」と教えてくれた。
(……小覇王の名前じゃねーか)
数千年前に姿を消した、魔界で唯一の小覇王ヤマト。
支配の石版にまだ名前が残っていることから、どこかで生きていると思われている。
それと同じ名前だった。
(……って、感傷に浸るのは後にするとして、そろそろいいか?)
俺は身体の中に聞いた。
どくんと何かが脈打った。
身体の中に二種類の器があるとヤマトに言われた。
俺はそれを表面張力の要領で毎日少しずつ大きくしていった。
やり方を教えてもらってからは、二種類の器を意識することができたからだ。
同時に違和感を抱いた。裏の器って何なのだと。
それは仮説。
表の器は俺……日本で生きてきた記憶を持った俺の分じゃなかろうか。
もとは人間だったから器が小さい。
つまり人間の器だったために、オーガ族として生きていけるか分からないほど少ない魔素しか取り込めなかったのではなかろうか。
だったら、裏の器は?
そう、もともとこの身体が持つ、本来の器ではなかろうか。
二種類の器を意識するようになってからずっと考えていた疑問。
そこから考え出した仮説。
俺はそれが正解ではないかと思えるようになった。
「たのむぜ、相棒」
応えはない。その代わり、身体の中から何かがせり上がってきた。