カチカチ夏目の碧くん
野良猫にとって耐え難きもの。それが、飢えと冬。捨てられた身とはいえ、私には名前と高い教養がある。公園の水に映った姿を眺める。茶と黒の斑が鯉のようで美しい。
飼い主が高齢の婆さんで、息子がニートだったのが運の尽きだった。生活保護とやらを受けるのに私は邪魔だったらしい。いや、婆さんが認知症になって毎日面倒を見るのができなくなったからだ。あのクソ息子め。
「……ま。殺されなかっただけマシかにゃ」
野良猫とは、自由なものだ。好きな時に好きな場所に行き頭を撫でてもらい飯を貰う。しかし、冬は話が違う。
雪降る冬は越すもの。
命懸けで。
「みんな、生きるのに必死にゃね」
凍てつくアスファルトに白い絨毯。こんな季節では私のような野良猫にゃ、誰も構わない。ましてやこの口、嘘は言えぬもので。正直に育った教養猫だから、つい正論で相手を殴ってしまう。
それで、何軒も匿ってもらうのに失敗した。
「あぁ、寒い寒い!」
ふと目に入った『夏目』という表札の玄関が開いていた。不用心なことで。こんなだから日本のセキュリティは甘々だと言われるのだ。
(ニャンサムウェア、突入〜!)
ITには詳しくないが、テレビでめちゃくちゃ盛り上がっていたランサムウェア。きっとネット上の泥棒の話だろう。情報とかを盗んで食べる系のバケモノの話。
「ま。関係ないけど。えっと……誰かいませんかにゃ〜!」
──カチカチ、カチカチ。
ふすまの奥に誰かがいる。しかしこれは何の音だろう。大きく感じる負のオーラ。山姥とか殺人鬼とかだったらどうしよう。
(……カチカチ……? 包丁の音にしては軽い音がする……)
そっとふすまの隙間を覗いた。
パーカーを着た青年が腕に何かを当てている。
(あ、これ……)
まくられた青年のパーカーに黄色いカッター。間違いない、リストカットである。しかも、どことなく決心した顔をしている。
(止めないと、大変なことになるかも)
本来なら、人の生き死になど止める権利もないが、今は冬。冬越の場を提供してくれる人に出会わないと私が死んでしまう。
だから、止めてやろう。
「──やめるにゃん!」
青年の手が止まった。緊張だった面持ちは、ヒョっと、情けない顔に変わる。その視線の先を追えば一冊の本と手紙が置かれていた。
「親愛なる先生へ? 夏目碧より……にゃ!?」
私が手紙を読もうとすると、青年は青ざめた顔で私を払い除けた。まるで本を守るように。
「先生の本に触れるな、野良猫めが」
「おやま失礼。その先生について存じ上げなくて、ラノベか何かの作者かにゃ?」
青年は『ふざけるな畜生が!』と怒鳴った。どうやら私が先生をラノベ作者のように扱ったのが気に食わないらしい。
「先生は、美しい純文学の表現者だった。私も憧れていたのに、自殺なんて……自殺、なんて……!」
「にゃーん、それで後追い自殺しようとしてたのにゃね。止めてよかったにゃん」
「なんだと!」
私は正しいことを言った。
「死んだって、お前は先生のとこになんて逝けないから」
「……」
青年は握りこぶしを溜めている。私の額に差し掛かろうとした時に、インターホンの音がした。回覧板だそうだ。
成り行きはどうだとはいえ、私は青年の命を救った。それ相応の対価が欲しい。
「私はミケ。冬の間、休ませてほしいにゃん」
握りこぶしが解れて青年は私を掴んで、
──玄関前にポイした。
「ぷんすぷんす! なんでにゃあ!」
「邪魔すんな、畜生が」
私が玄関前で鳴くものだから、近所の噂好きの婆ちゃんが話に入ってきた。
「あらまぁ野良ちゃんかい? こんな雪の中、かわいそうに、碧くん、アンタこんな広い家に一人暮らしだろ。飼ってあげなよ〜!」
「ええ!?」
婆ちゃんにキュルンとした瞳をプレゼントした。追撃してもらえるなら有難い。
「で、でも……僕はこのあと……」
「このあと私からも、ミルクとか餌とか。色々と持ってくるから! 待っててね!」
婆ちゃんは、そう言って、テコテコとスーパーの方へ向かった。もしかしたら贅沢な暮らしができるかもしれない。
へへ、リッチな冬越。
出来るね、これ!
(コイツが自殺さえしなければ!)
「やぁ碧。よろしくにゃん!」
自殺防止のために、強引に手に巻き付いて、挨拶をした。
こうして、私と碧の冬越の間だけの付き合いが始まった。ま、冬の間だけね!




