第29話 盆踊り【後編】
そうこうしているうちに、再び大きな太鼓の音が響き渡った。いよいよ祭りの本番のようだ。やぐらの上に数名の歌い手が上がり、朗らかな歌声が、夜風に乗って心地よく響き渡る。
大人たちが大きな輪を作り、やぐらの周りをゆっくりと踊りながら回り始めた。
「大人も踊るのか?」
「そうだよ。誰でも参加OKだからね。前の人について真似れば、踊れるような簡単な踊りだよ。」
シンは隣に立つ一華を見下ろした。
――《まさか、踊らないよな……?》
――《いや? 踊れば楽しくなるよ?》
――《……》
洗練された社交ダンスとはまるで異なる、目の前で繰り広げられる素朴な手踊り。自分がそれを踊る姿を頭の中でイメージし、シンは即座に首を振った。
(いやいやいやいや……ありえんだろ……これはさすがに無理だ。)
幸いなことに、周囲には踊りに加わらず見物している者や、屋台に夢中になっている者も多く、輪に入らなくても不自然ではなかった。
(社交ダンスはあんなに完璧で美しいのに、男の人にはこの手踊りは恥ずかしいのかな……。)
一華も一人で飛び込むのは気が引けたため、シンの隣でおとなしく眺めるにとどめた。
(子どもでもできれば、また変わるのかな?)
夜風に乗って甘いチョコの香りと香ばしい醤油の匂いが漂ってくる。
「チョコバナナ食べたい。」
一華は踊りへの未練を断ち切るように、気を紛らわせる言葉を口にした。シンもそれに乗っかる。
「俺もなにかもっと食べたいな。レオとアーリンはどうする? 盆踊りに参加してもいいぞ。」
「あ、いえ、遠慮いたします。」
「わたしも……。」
二人も照れくさそうに首を振り、一華たちに続いた。
人の波が踊りの輪へと流れたおかげで屋台の周りは空いており、待つこともなくチョコバナナとイカ焼きを買うことができた。一華とアーリンはチョコバナナで自身を甘やかし、シンとレオナルドは香ばしい醤油の匂いがするイカ焼きを頬張る。
四人は再びベンチへと移動し、疲れた足を休めるために腰を下ろした。
やぐらの周りでは、大人たちが何周も同じ踊りを繰り返したかと思うと、今度はポップな曲を盆踊り風にアレンジした音楽が流れ始めた。若い世代にも興味を持たせ、巻き込もうという自治会の工夫だろう。
一華は楽しそうだなと眺めていたが、やはり一人で参加する勇気はなく、何より下駄で歩き疲れた足を休めたかった。繰り返されるリズムに、いつしか初めて見るような人々も自然と体を揺らし、踊りの輪へと溶け込んでいく。
その時――
パン、パン、パン!
夜空を切り裂くような乾いた音が、踊りの終わりと花火の始まりを告げた。
踊りを楽しんでいた人々が一斉に動きを止め、仲間たちと寄り添いながら花火の上がる方角へと顔を向ける。今か今かと空を見上げる群衆のなか、ついにその瞬間が訪れた。
ヒューー、ドカーン……! パラパラパラ
シューー、バーン……! チリチリチリ
お腹にまで振動が伝わるほどの重低音とともに、大輪の花火が濃紺の夜空に色鮮やかに華開いた。咲き誇った光の粒がパラパラと頭上へ降り注ぎ、暗闇を赤や緑に染め上げる。
一華とシンは(今年も見られた)と安堵の息を漏らす。
一方で、魔界の銃とも大砲とも違う、一瞬で消え去る儚い光の芸術を目にしたレオナルドとアーリンは、あまりの美しさに見惚れ、ただ圧倒されるまま空を見上げていた。
誰かを傷つけるための攻撃魔力ではなく、ただただ人々を感動させるためだけに夜空を彩る光――その眩しさに、二人は胸を打たれていた。
ヒューー、ドカーン! シューー、バーン! ドン、ドン、ドン……!
やがて最後の大きな一発が夜空を焦がして弾けると、パラパラと光の屑が消え去り、あとにはほんのりと硝煙の匂いと、耳を刺すような静けさだけが取り残された。
静けさが戻った会場で、やぐらの上に立った自治会長の竹田のおじちゃんが、マイク越しに閉会を宣言した。
余韻に浸りながら早々に家路につく者、名残惜しそうに最後の屋台に並ぶ者、人々はパラパラと会場を後にし始める。
一華たちも重い腰を上げようとした、その時だった。
「最後に、たこ焼き買って帰っていいか?」
シンがぽつりと切り出す。
「私も食べたい。今度は青のりあってもいいよ。」
一華が笑顔で答え、シンは青のりがたっぷりとかかったたこ焼きを四パック買った。手に伝わるパックの温もりと、ソースの甘酸っぱい香り。
祭りの熱気を背に受けながら、四人は『シン華の家』へと向かって歩き出した。
遠ざかるやぐらの灯りを背に、アスファルトを踏む下駄の音が静かな夜道に規則的に重なる。
◇◆◇
『シン華の家』のリビングに戻ると、四人は一華の魔力で浴衣姿からいつもの服装へと一瞬で戻った。
シンはテーブルの上にたこ焼きのパックを広げ、冷蔵庫から冷えたノンアルコールビールを取り出して並べた。
「やっぱり、たこ焼きにはビールだな。」
高揚した気持ちを鎮めるように、四人はあつあつのたこ焼きを頬張り、ノンアルコールビールで胃へと流し込む。
「青のりが乗っていると香りが違うな。」
「どっちが好き?」
「どっちもいい。見た目は異なるが……。」
そう言いながら、シンは再びたこ焼きを口に運んだ。
「人間界の花火というものは、実に素晴らしいですね……。」
しみじみと呟いたのはレオナルドだった。
「小さな花火大会だったけど、綺麗なのは一緒だからね。街の花火大会に行けばもっと玉数も多くて時間も長いし、仕掛け花火なんかもあってもっと凄いよ。」
「こうも魔界と人間界は異なるのでしょうか……。」
「そうだな……。人間界は魔力がない分、自ら生み出すことができないものを、知恵と協力を使って形にするのが当たり前になっている。」
シンの言葉に、レオナルドは思考の海に沈むような目を向けた。
「魔界人は個人の力で何でもこなせてしまう分、誰かのために便利なものを作ったり、大勢で何かを成し遂げようという発想に至りにくいのかもしれませんね……。」
「あぁ。だが人間界の便利さや華やかさも、良いことばかりじゃない。過剰な競争のせいで、低賃金で酷使され、その便利さの恩恵すら受けられない者たちの上に成り立っている側面もある。」
シンは缶を置き、静かに続けた。
「今日の盆踊りみたいに、地元の人間が少しずつお金を出し合って、ささやかな花火でみんなで満足して帰る……本来はこういう助け合いこそが人間界の良いところなんだろう。だが、規模が大きくなるにつれて資本の競争になり、誰かが踏み台にされていく。」
「……光の陰には、競争に敗れた者がいるということですか?」
「そうだ。だから俺たちは、人間界の便利な技術や美味しいものを学びつつも、あの行き過ぎた競争まで真似る必要はない。魔界人が持つ個の力と、人間界の『誰かのために作る知恵』を掛け合わせればいい。他者を踏みにじるのではなく、お互いを高め合うような競争こそが、魔界に必要なんだ。」
その言葉を聞いて、一華は笑みをこぼす。
「ふふっ、結局そこにいきつくんだね。理想を語りつつ、しっかり人間界の美味しいものや便利なものを持って帰る気満々なんだから。」
愛おしそうにシンの横顔を見つめる一華。ふと時計に目をやると、いつの間にか良い時間になっていた。レオナルドとアーリンの帰りがすっかり遅くなっていることに気づき、提案する。
「もう、二人とも遅いから泊まっていけば?」
「えっ?」
予期せぬ提案に、レオナルドとアーリンは顔を見合わせた。
「……ですが、お邪魔では……。」
「別に一日くらい、いいよね、シン?」
「ん? あぁ……泊っていくといい。」
「ほら、パジャマは用意するし、部屋だってあるんだから。明日だって朝から片付けに行かなくちゃいけないしね。」
二人は視線を交わし、嬉しそうに頷いた。
「それでは、お言葉に甘えます。」
「よし! じゃあ、アーリン、先にお風呂に入ろう!」
「えっ? 一華様と一緒にですか?」
「そうだよ。一人ひとり入ると時間かかるし、二人で入っても十分大きいから大丈夫。ここは男女で分かれて入った方が早く済むしね。」
「……はい!」
「お風呂の準備してくるね。」
一華は二階へと上がり、お風呂のスイッチを入れる。二人のパジャマとアーリン用に新しい下着を用意し、レオナルド用にはシンのパジャマと予備の下着を揃えた。
一華とアーリンが温まったあと、続いてシンとレオナルドも一緒にお風呂へ入った。
心地よい疲労感が体を包み込み、ベッドに入ると四人はすぐに深い睡魔へと引き込まれていった。
◇◆◇
翌朝。片付けの日がやってきた。
四人はいつも通りに目を覚ますと朝食を済ませ、昨夜の盆踊り会場へと出かけて行った。
ぼんぼりをひとつずつ外し、組み立てられたやぐらを解体していく。資材をすべて保管場所へと運び終えると、昨夜の喧騒が嘘だったかのように、広場はいつもの静けさを取り戻していた。
作業を終えた四人は会場を後にし、自宅へと戻る。
今日から『合同会社SINQ』は夏休みに入った。泊まっていた二人も魔界の衣装へと着替えると、感謝を述べて従者専用の寮へと戻っていった。
四人で賑やかに参加した盆踊りは、これが最初で、そして最後の夏の思い出となった。




