魔眼持ち
夜明けは、焼けた匂いと共に来た。
村のあちこちから、まだ白い煙が上がっていた。
焦げた木材、焼け落ちた屋根、血の混じった土。
昨日までの村は、もうそこにはなかった。
泣き声があった。
呻き声があった。
名を呼ぶ声が、あちこちで響いていた。
それでも、村は生きていた。
黒狼軍は退いた。
壊滅ではない。
略奪も焼き払いも途中だった。
領兵の到着が、ぎりぎり間に合ったのだ。
その事実だけが、村を全滅から救っていた。
レインは母に抱かれたまま、焼け跡を見ていた。
昨日まで知っていた景色が、形を失っている。
村の入口。
井戸の横。
納屋の前。
そこかしこに、人が倒れていた。
動かない者もいる。
生きている者もいる。
赤、灰、黒。
目に映る色が、昨日よりずっと濁って見えた。
「見るな」
父の声だった。
肩に布を巻き、血の滲むまま立っている。
顔色は悪い。
だが立っていた。
レインは小さく父を見る。
「……とーさま」
「大丈夫だ」
父は痛みに顔をしかめながら、それでも笑った。
「死んでねえよ」
母がその横で目を潤ませる。
昨夜、父が生き残っただけで十分奇跡だった。
だがレインは知っている。
奇跡ではない。
自分が線を見て、少しだけ未来をずらしたのだ。
その事実を、まだ誰も知らない。
「こっちの怪我人を先に運べ!」
「井戸水だ、早く!」
「子どもを中へ!」
夜が明けると同時に、領兵たちが村を動き回っていた。
傷の浅い者は消火を。
動ける者は手当てを。
死者には布を。
その中で、ひときわ重い空気を纏う男がいた。
領兵の中でも明らかに立場の違う男。
鉄の胸当てに深緑の外套。
腰には長剣。
鋭い目が、焼け跡を見渡している。
隊長格だ、とレインは直感した。
その男は、村人から話を聞いていた。
「……黒狼の魔導兵が一人、ここへ入ったのは確かだな」
「あ、ああ……見た」
「そして退いた」
「領兵が来たから……」
「違うな」
男の声は低かった。
「報告では、魔導兵は退く前に負傷している」
村人たちがざわつく。
隊長格の男は、静かに続けた。
「片目を潰され、脇腹を割られていた。あの黒狼の魔導兵が、だ」
空気が変わる。
村人たちの顔に、困惑が走った。
あの魔導兵を相手に、そんなことができる人間がこの村にいるはずがない。
隊長の視線が、ゆっくり村人たちをなぞる。
「誰がやった」
静かな声だった。
だが、重かった。
村人たちは顔を見合わせる。
父の肩が、わずかに強張るのをレインは見た。
「……俺だ」
父が前へ出た。
母が息を呑む。
父は痛む肩を押さえながら、隊長の前に立つ。
「斧でやった。運が良かっただけだ」
嘘だった。
隊長も、それを分かっている顔だった。
「片目は?」
父は一瞬だけ詰まる。
その一瞬を、隊長は見逃さなかった。
「……兵が言っていた」
隊長の目が細くなる。
「“この家の中にいた何か”を見て、魔導兵が退いた、と」
母の腕が強くなる。
レインを抱く手に、力が入った。
隊長の視線が、そこで初めてレインに落ちる。
三歳の子ども。
母の腕の中で、静かに隊長を見返す小さな男児。
隊長の目が、わずかに止まった。
「その子か」
母がレインを抱き寄せる。
「……ただの子どもです」
「ただの子どもが、黒狼の魔導兵を怯ませるか?」
静かな問いだった。
母は言葉を失う。
父が一歩、前へ出る。
「関係ねえ」
隊長の目が父へ戻る。
「そいつは俺の息子だ」
「なら尚更だ」
隊長の声に、感情はなかった。
「王国は、“使えるもの”を見逃さない」
その言葉に、父の顔が歪む。
母の指先が震える。
レインは黙ってその男を見る。
この男は敵ではない。
だが味方でもない。
国の人間だ。
そして国は、村よりずっと大きい。
家族よりずっと重いものを持っている。
隊長はレインを見下ろしたまま、静かに言った。
「名は?」
母が答えるより先に、レインが口を開く。
「……れいん」
幼い声だった。
だが、隊長の目がわずかに変わる。
「話せるのか」
「すこし」
隊長は数秒、レインを見つめた。
その目の奥で、何かを測るように。
やがて小さく息を吐く。
「報告する」
その一言で、父の顔色が変わった。
「待て」
「待てない」
隊長は冷たく返す。
「黒狼の魔導兵が退いた。理由は不明。だが、この子どもを見て退いた可能性がある」
そこで一度言葉を切り、はっきりと言った。
「そんなものを、王都が放っておくと思うか」
沈黙が落ちる。
誰も何も言えなかった。
朝の焼け跡の中、村の空気だけが重く沈む。
そしてレインは、理解した。
黒狼軍は去った。
だが本当の厄介事は、今ここから始まるのだと。




