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戦火の魔眼  作者: 宗
2/21

辺境の火

レインが生まれてから、三年が経った。


 辺境の小さな村に、季節は等しく巡る。


 春は土を起こし、夏は汗を流し、秋は実りを抱え、冬は飢えを耐える。


 貧しい村だった。


 だが、生きていくには十分だった。


 少なくとも、戦火が届かなければ。


「レイン、そっちは持てるか?」


 畑の端で父が振り返る。鍬を肩に担ぎ、日に焼けた顔で笑っていた。


 レインは小さな両手で籠を抱え、こくりと頷く。


 三歳になった彼は、村の子どもにしては妙に手がかからなかった。


 泣き喚くことも少なく、無駄に走り回ることもない。言葉を覚えるのも早く、妙に周りをよく見ていた。


 村の大人たちは皆、口を揃えて言う。


「賢い子だ」


 父はそれを聞くたび、嬉しそうに鼻を鳴らした。


「俺の息子だからな」


「あなたは三歳の頃、泥食べて熱出してたでしょう」


 母にそう言われると、父は気まずそうに咳払いをする。


 そんな他愛ないやり取りを、レインは静かに見ていた。


 悪くない、と思った。


 この村は狭い。貧しい。何もない。


 だが、穏やかだった。


 朝が来て、土を耕し、日が沈めば家に帰る。


 それだけの毎日。


 それだけの毎日が、ひどく愛おしいものだと、レインはもう知っていた。


 だからこそ、気づいてしまう。


 この平穏が、あまりにも脆いことに。


 レインには、生まれた時から見えているものがあった。


 人から滲む色。


 空気を流れる線。


 熱の揺らぎ、命の濃淡、感情のざらつき。


 父が怒れば赤が濃くなる。


 母が笑えば金が柔らかく揺れる。


 鳥が飛べば空に軌跡が残り、落ちる葉には風の流れがまとわりつく。


 最初はただ“不思議なもの”だった。


 だが三年も見続ければ、それがただの幻ではないことくらい分かる。


 この世界には、目に見えない力が流れている。


 そして自分の目は、それを見ている。


 父が振るう鍬の先。

 土を割る軌道が、振り下ろされる前に見える。


 落ちかけた木の実。

 どこへ落ちるか、手を伸ばす前に分かる。


 母が包丁を滑らせそうになる瞬間も、刃の線が先に見える。


 レインはそれを当たり前のように避け、拾い、掴み、時にさりげなく防いだ。


 まだ誰も気づいていない。


 この子が、見えていることに。


 ただ少し、勘のいい子だと思われているだけだ。


 それでよかった。


 知られない方がいい。


 レインは本能で理解していた。


 この目は、隠しておくべきものだと。


 その日の夕暮れだった。


 村の入り口が、妙に騒がしい。


 大人たちのざわめきに混じって、荒い息遣いが聞こえた。


 土煙を上げて、ひとりの男が村へ倒れ込む。


 兵士だった。


 鎧は砕け、肩口は深く裂け、血で半身を濡らしている。


「せ、西が……落ちた……」


 村の空気が凍る。


 誰も、すぐには言葉を返せなかった。


 男は地面に膝をつき、息を吐くたび血を零した。


「砦が破られた……黒旗だ……黒狼の軍が、こっちへ来る……」


 黒狼。


 その名を聞いた瞬間、村人たちの顔色が変わった。


 レインにも分かった。


 それは、この辺境で知らぬ者のいない名だった。


 奪う。焼く。殺す。


 降伏も慈悲もなく、通った土地を更地に変える戦狂いの軍。


 父の顔から笑みが消える。


「……どこまで来てる」


「三日……いや、二日だ……」


 村がざわついた。


 二日。


 それは、逃げるには短すぎる時間だった。


「領兵は!?」


「南で足止め中だ……間に合うかは……」


 兵士の言葉は最後まで続かなかった。


 そのまま地面へ崩れ落ちる。


 村人たちの顔に、恐怖が広がっていく。


 二日前まで、ここにはいつも通りの夕暮れがあった。


 明日も同じように朝が来ると思っていた。


 だが違う。


 戦は、もうすぐそこまで来ていた。


 父がレインを見る。


 その目にあるのは、怯えと、覚悟だった。


 母がレインを抱き寄せる。


 細い腕が、少し震えていた。


 レインは黙って村の空を見上げる。


 夕焼けの向こう。


 ずっと遠く、地平の先。


 見えないはずの場所に、黒い揺らぎが見えた。


 煙のように。


 濁った魔力の群れのように。


 まるで、巨大な獣がこちらへ歩いてくるみたいだった。


 レインは小さく目を細める。


 あれが、戦だ。


 まだ姿も見えないのに、目だけが理解していた。


 この平穏は、終わる。


 静かな村に、夜が落ちる。


 そしてその夜は、もう昨日までの夜ではなかった。

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