第14話「異端者達の無力」
「下だ、"声"が聴こえるぞ...」
陽介が呟くと、ピンクの水が、わずかに膨らんだ。
ラフトの下で、硬いものが“触れた”。
「く、来るぞぉっ!!」
まるで陽介の声が合図であっかのように、水中からラフトを取り囲む様に何本のも太い触腕が飛沫を上げて一斉に上空へ伸びていく。
ラフトはゲージの中に放り込まれたように身動きが取れない。
「囲まれたぞ、何なんだよ、コイツは!」
翔太は四つん這いになって、くるくると体の向きを変える。
拓海の目が、触腕にある吸盤を捉えた。
「な、なんだ? 今度はタコの化け物か?」
触腕は伸びきったたまま動かない。
四人の視線も動かない、まるで触腕の吸盤に吸い寄せられたかの様だ。
静寂の中で膠着状態が続く。
——水面の歪み方が、脈動している。
ピンクの水を内側から押し上げる周期。
ただの波ではない。肺が膨らむような、生き物のリズム。
ラフトはその波に揺れるだけで、触腕のゲージから抜け出す事ができない。
「また…来るぞ」
陽介は姿勢を低くすると、縁のロープを握りしめた。
——ラフトの四メートル前方で、ピンクの水がゆっくりと盛り上がる。
音は殆どない。
濡れた闇から、巨大なタコの様なイカの様な頭部がぬるりと顔を出す。
口であろう器官の周辺に、肉食獣のような歯列が並んでいる。
拓海の唇が震えた。
「ク……クラーケン……!?」
「拓海、何だそりゃ!」陽介が更に姿勢を低くする。
「ノルウェーに伝わる伝説の海の怪物」
「古代の凶暴な肉食獣に翼竜、そして今度は伝説の怪物かよ! どうなってんだ、この世界は...」
陽介の言葉と同時、触腕が水を弾き飛ばして天を裂いた。
襲撃
「来るぞ!!」陽介が叫ぶより早く——
ドガァン!
触腕がラフトの右舷を叩く。
陽介と拓海のパドルが弾かれ、刃が水面にはじき飛ばされる。
翔太の目線が水面に釘付けになった。
水中の“眼”と視線がぶつかる。
透明な瞳孔。意思がある。
ズバッ
触腕が二本目、三本目とムチの様に撓る。
それは“捕える”のではなく、“選んでいる”動きだった。
> 「……狙われてる……俺たちの“弱いほう”から順番に……!」
拓海の声をかき消すように、水中で何かが爆ぜたような波紋が走る。
クラーケンの触腕が一気に甲板へ飛び込む——狙いは、翔太。
「翔太!!」
陽介がパドルを逆手に構えて叩きつける。
ガギンッ!
骨のような感触と、吸い込まれそうな粘ついた肉の感覚。
それでも触腕は止まらない。
吸盤の歯がパドルをかじり取るように食い込む。
陽介の目が見開かれる。
(……噓だろ……効かねぇ……)
牙付き吸盤が陽介の腕を狙う。
翔太の動きが止まる。
(ヤバイ、今度こそ...ダメだ、一度死んでここへ来て、ここでもまた死ぬのかよ。 冗談じゃねぇぞ!)
翔太の胸に、灼けるような脈打ちが走った。
(……なんだ、この熱……)
掌が、白く明滅する。
「陽介!!! 伏せろっ!!!!!」翔太が叫ぶ。
陽介が反射で身を引く。
次の瞬間——
ブォオオオオッ!!!
翔太の手のひらから、爆風みたいな炎柱が噴き出した。
火ではない。熱そのものが、形を持って吐き出された。
クラーケンの触腕が炎に触れた瞬間、肉が焼け裂け、水が蒸発して白煙になる。
ギチチチチィィィィ!!!
水面が爆ぜ、クラーケンは触腕を引き抜き、潜航——姿を消した。
静寂。
誰もすぐには言葉を出せない。
翔太は、自分の手を見た。 炎はもう出ていない。
それなのに、掌はまだ脈打つように赤い熱を保っている。
(……今、俺……何で?)
その瞬間。
ギィィィ!!
上空から、ニつの影が落ちてきた。
陽介が顔を上げる。
「翼竜……しつけぇな、戻って来やがった」
悠真が叫ぶ。
> 「ダック!!! 全員伏せろ!!!」
陽介は叫びながら、翔太の頭を押さえ込んだ。
しかし——一拍だけ遅かった。
翼竜の鉤爪が、陽介のライフジャケットを貫いた。
「——は?」
陽介の言葉は、呼吸になる前に空へさらわれた。
悠真が咄嗟に飛び上がると、陽介の両足首に両手でしがみつく。
翼竜は真上に跳ね上がるように飛び、陽介を肩から引きちぎるように連れ去る。
「陽介!!!!!!」
振り落とされた悠真の叫びで、空が震えた。
翼竜の爪が陽介の身体を持ち上げる。
陽介はパドルを掴んだまま、空で暴れる。
「放せぇ!! クソが!! 俺はまだ——!!!!」
「やめろ!やめてくれ!」
二頭の翼竜が、陽介の体を獲物のようにぶら下げ、空を裂いて飛び去っていく。
その足から滴る血が、ピンクの川に小さな円を描いた。
「悠真!キャプテン! 助けてくれぇ〜!!」
陽介の声が遠ざかっていく。
「...なんで俺だよ...」
「まだ...死にたくねぇよ...」
その子供の泣き声の様な声は、空気に引き裂かれ、風と混ざってかき消され、翼竜と陽介の姿もセピア色の空に浮かぶ小さな黒点になり、そして見えなくなった。
静寂
……風が。
風が、なかったはずの空間に、初めて風が吹いた。
ラフトの上。
彩花の席と、陽介の席が空いたまま。
二つ、空席がある。
拓海の喉が鳴る。
悠真が、無言で空を睨む。
翔太は——その場に座り込んだまま、手のひらを見ていた。
掌には、まだ赤い熱が脈打っていた。




