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続・御用猫  作者: 露瀬
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老剣 木枯らし 10

「儂はの、とおの頃から五十年、剣術ばかりやっておった、分かるか? 五十年じゃぞ、ごじゅうねん」


 甚助老は、清酒を呷りながら、饒舌に語り続けている。しかし、すでに聞いているのは御用猫達のみであり、ウォルレンとケインはおろか、その二人についていた嬢と、甚助老に付けていた三十路の嬢まで、箱席の隅に移動して、楽しげに歓談しているのだ。


「じゃあ、まだ六十なんですか? なんだ、お若いんですね」


 何がどう「なんだ」なのかは分からないが、スイレンの中では、彼女なりに、何かの基準があるのだろう。


「いんや、儂はの、もう七十よ、この十年ほどはの、もう修行をしておらんのよ……何故だか、分かるか? 」


「腰が痛くなっちゃったんですか? 」


 先程から、スイレンの受け応えは、微妙に失礼というか、客の期待したものとは、ずれているのだ。この辺りが、見た目は美しい彼女に、常連がつかない理由であろうか。


 しかし、長話を嫌って、さり気なく離れていった他の嬢達とは違い、スイレンは、この老人の相手も、なんとも真面目にこなしているのだ。なればこそであろうか、甚助老は腹を立てることもなく、上機嫌で喋り続けていたのだが。


「違う違う、儂はの、気付いてしもうたのよ……この人生に、なんの意味もなかったと、な」


 少しだけ、声の調子を落とし、小さく溜息をつくと、小さな老人は、御用猫の方に視線を送る。


「なのでな、遊んでみたのよ、今更ながらにのう……まぁまぁ、楽しかったと、いえるじゃろう」


「ふぅん? それが何でまた、殴られ屋を始めたんだ? 」


 それよ、と、老人は身を乗り出す。突き付けられた人差し指を、掌で押し退けながら、御用猫はビールのジョッキを傾ける。


「遊んでみて、分かったのよ、やはり儂には剣術しか無いのだとな、それもそうであろ、人生のほとんどを、これ、に費やしたのだ、他にやる事も思いつかぬ」


 御用猫は、少しばかり同情した。ガンタカもそうであったが、この老人も、自らに迫る死に直面し、つい、後ろを振り返ってしまったのだ。


 そして気付けば、何も無い。


「まぁ、何となく分かるよ……俺も、一度死んだ時には、えもいわれぬ寂しさを覚えたもんだ」


 だからと言って、別の生き方も見つからぬ、これは、御用猫も抱える心痛不安である、全くに、同類であるのだ。


「ほうほう、分かるかよ、ならば結構、勝負はいつにするかの? 」


「それはちょっと分かんないなぁ」


 何やら太腿の辺りを掴んでくるスイレンの手をはたき、御用猫は炒り豆を口に放り込んだ。


「得る物が何も無い人生ならば、作れば良いじゃろう? 儂はの、今までの自分の、集大成としての手合いがしたいのじゃ……満足、と言えば良いかのぅ、この身体が朽ちる前に、全てを出し切ってみたい……ただ、それだけなのじゃ」


 御用猫は、違和感を覚えた。


 この老人が、嘘をついているとは、思えない、しかし、この、水気の無い炒り豆を飲み込むような、喉のつかえが、御用猫の眉間に皺を寄せるのだ。


「……なんで、俺なんだ? さっきも言ったが、強い奴なら、他にいくらでも……」


 喉に残る炒り豆をビールで流し、御用猫は老人の眼を見据える。


「おう、そら、その眼よ……儂はの、お座敷剣術と遣り合うつもりはなくての、実戦慣れした、そして、少々小賢しそうな相手が好みよ、頭と身体を全て絞り込むような、知恵比べ、腕比べよ……そして、それには相手が強過ぎてもいかん、弱過ぎてもいかん……儂の見たところ、おぬしは、まこと、具合が良さそうなのじゃ」


「ふうん……まぁ、竹刀なら……良いかな……サクラもうるさいし」


「おぉ、そうか! そうか! ありがたい事よ、最近の若いもんも、捨てたものではないのぅ」


 甚助老は大きく笑うと立ち上がり、隅に逃げた三十路女を、誅する為に飛びかかった。




「あの……猫の先生? 」


「んー? 」


 いつもの地味な個室に入り、酒精を飛ばす為、冷たい水をひと息に飲み干すと、スイレンが尋ねてきた。彼女は、御用猫の服を衣紋掛けに下げながら、なにやら浮かぬ顔なのだ。


「あの……さっき、一度死んだとか、どうとか……その」


「あぁ」


 それは言葉の綾、というものだよ、と御用猫は誤魔化し、ベッドに転がる。まさか、事実を説明する訳にもいかぬし、なにより、そんな事は面倒なのだ。


「そ、そうですか、わたし、そういうの苦手だから」


 まだ信用していないのか、彼女は御用猫の足を揉み始める。


(あ、これは、良いかも知れぬ)


 少しばかり続けてくれ、と頼み、御用猫がうつ伏せになると、スイレンは袖を捲り上げ、慣れた手つきで猫の足を揉みほぐす。


「昔、よく、お父さんに、やってましたから」


 ぐいぐい、と足から腰まで、スイレンは徐々に登ってくる。心地よい指圧に、御用猫は夢心地なのだ。


「先生……あんまり、危ない事は、しないでくださいね? 」


「んむぅ……」


(そうだな……わざわざ危険に飛び込む事もないだろう……そうだ、その通りなのだ、お前が言ったのだからな、今日は寝よう、このまま寝てしまおう……)


 御用猫は眼を閉じる。彼女は指圧師として大成するかもしれぬだろう、その時は、贔屓にしようと心に決めた。


「よいしょ」


「おわっ」


 眠りに落ちる瞬間、スイレンは御用猫の身体を、ごろり、と裏返す。


「先生、わたし、覚えてきたんです」


「な……何を? 」


 御用猫が眠りにつく気配を、敏感に察したのだ。満面の笑みのスイレンは、獲物を逃さぬ肉食獣か。


「本当は、お化粧の呪いなんですけど、先生の、お顔の傷を隠せるかなって」


「な……何のために? 」


 少しづつ、にじり寄ってくる彼女に、漠然とした恐怖を覚える。そういえば、いつぞや、傷を消して相手をした事があっただろうか。


「え? うぅん、何ていいますか……」


 唇に人差し指を当て、首を傾げて考える姿は、年相応の可愛らしさがあるだろう。


 反対の手で、御用猫の手首を掴んでさえ、いなければ、であるが。


「ご飯は、美味しい方が、いいですよね? 」


「どうしよう、否定できない」



 結局、御用猫は朝まで弄ばれた。


 所詮この世は弱肉強食、猫では、虎に、敵うはずもないのだった。



本年もありがとうございました。


来年もよろしくお願い申し上げますりまするん。


かしこ

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