老剣 木枯らし 7
テンプル騎士団の任務は、本来聖域たるシャイニングロードの守護である。国中から選りすぐられた三百人の精兵は、剣力人品、思想出自に至るまで厳しく調査され、栄光の白服を与えられるのだ。
とはいえ、彼らは決して、城に籠るだけの騎士ではない、王族の警護や蒼天号の周囲に上町の警ら、そして、こういった祭りの時期には、四大騎士団や一般騎士の警備状況の監督も行なっている。
なので、濃緑の古ぼけたローブに身を包んだ、この女性騎士が、南町を歩いていたからとて、別段に不思議な事では無いのだ。
無いのだが。
(あぁ……結局、こんな所まで足を運んでしまった……ニムエとラースの事を言えた義理では無いな……あのひとに、偶然に出逢う事を期待して……なんて、はしたない」
仲睦まじく腕を組んで歩く、初々しい恋人達を横目に、リリィアドーネは自己嫌悪に陥るのだ。目深に被ったフードの為に、彼女に気付く者は無い。
先程、仕事中に逢い引きしていた同僚を見つけ、厳しく叱責していたのだが、なんの事は無い、いつの間にか南町に足を向けていた自分も、彼らと同類であるのだ。
一度、足を止め、大きく息を吐き出す。去年まで、この様な催事に興味も無かった彼女であるが、今は何か、世界にひとり、取り残されたような寂しささえ覚えている。
その時、不意に、ぐぅ、と腹が鳴り、彼女は苦笑するのだ、こんな感傷に浸っていても、腹は減るものかと。
(……そういえば、今朝から何も食べていない……このまま、マルティエに行けば……いや、私は、何を考えている、今は勤務中なのだぞ! )
大きく被りを振り、彼女は雑念を振り払うと、とりあえず何か腹に収めようと、適当な屋台を探すのだが、その、彼女の目と耳が、気になる情報を同時に仕入れてきたのだ。
「貴様、なんだその態度は! 俺を誰だと思っている! 」
何やら、聞き覚えのあるような怒声の方には「天下無双」の幟が見えていた。
腰の細剣を、一度揺らして確認すると、リリィアドーネは駆け出したのだった。
人混みをするりと掻き分け、彼女が見たものは、粗末な幟の結界の真ん中で、背中を向けて茶を啜る小さな老人と、くすんだ金髪の貴族らしき男である。
(うっ、ダラーン バラーン伯爵……なぜ、このような所に)
皮肉な事に、出会ってしまったのは待ち人ではなく、おそらく、今の彼女が、最も会いたくないであろう人物だったのだ。蒼い制服を着た水神騎士を二人連れている。
「くっ、この爺い……タッパー! ドゥーサン! 此奴を立たせろ、耳が遠いのなら、身体で分からせてやる! 」
ダラーンの取り巻き二人が、地べたに座る小柄な老人の腕を取ろうとした瞬間、立ち上がった老爺の伸ばした細い腕が、二人の顎に命中する。
「ふわぁぁ、なんと退屈なことよ、眠くなってしもうたわい……おや、お前さん達もそうかな? 」
意識を断ち切られ、顔面から崩れ落ちた二人の騎士は、尻を突き出し、ぴくり、とも動かない。
(む、これは……あの老人、なんたる手前か)
周囲に湧き上がる歓声の中、リリィアドーネは剣の柄から手を離す。彼女が止める間も無かったのだ、見事な腕前だと褒める他はない。
「ぐっう、おのれ、くそ爺い! 」
ダラーンは腰の長剣に手をかけるのだが、どうした事か、そこから動こうとしない。ただ、彼のこめかみの辺りに、大粒の汗が浮かび始めた。
「おい見ろよ! あれは、ダラーン バラーン伯爵だぜ! 」
「ええ! なんだって、あれが噂の「土下座」のダラーンか! 」
「今度は爺さんに土下座する気かよ! ひゃあ、こいつは見ものだぜ! 」
リリィアドーネの背後から、そのような声があがる。いったい何事かと、一層に観客が増え始め、ざわつき始めるのだ。
「おのれ、おのれ、許さぬぞ、許さぬからな! 」
歪みきった顔を隠して、乱暴に手を振り観客を退けると、そのままダラーンは走り去っていった。
「おおい! 手下を置いて行くのか! ひどいやつだなダラーンは! わはは! 」
「土下座のダラーン! 夜逃げのダラーン! ダラーン バラーン伯爵をよろしく皆の衆! わはは! 」
「よせよ! ダラーンが可哀想だろう! 元気出せよダラーン! 応援してるからな! わはは! 」
何やら煽り立てる者の声につられたのか、皆が口々に囃し立て、笑い始める。老人に活を入れられた手下二人も、今の状況を把握したのか、尻に帆をかけて逃げ去ってゆくのだ。
この異常な騒ぎに、どうにもついて行けぬリリィアドーネは、きょろきょろ、と周囲を見渡すのだが、その肩を、とんとん、と叩かれる。
「おや、こんな所に可愛らしいお嬢さんが、ううん、これは運命かな、どうですか? 一緒に祭り見物など」
しかし、傷顔の男の軽口に、彼女は反応を返す事もなく、ぽっかりと、その可憐な唇で輪を作り、固まってしまうのだ。
「ん、どうしたリリィ? まさか良く似た別人か? おーい、可愛いリリィー」
御用猫が、ぺしぺし、と頬を叩くと、彼女はしかし、目尻から、ぽろり、と涙を零した。
「え、なんで、まじで」
「あぁー、泣かしたー! 猫のセンセが泣かしたー! 」
「言ってやろー、言ってやろー、だんちょーに言ってやろー! 」
御用猫の服の裾を掴んで、リリィアドーネは震えるばかりである。仕方なく頭を撫でてやると、彼女はついに、もたれかかって泣き始めたのだ。
観客からは、何故か拍手が送られ。
周りで踊る二人は、サクラとフィオーレに叩きのめされた。




