老剣 木枯らし 4
「たのもーう! 」
欠けた湯呑みで茶を啜る、ちゃぶ台老人に、サクラは元気よく声をかけた。ぴっ、と指先まで伸ばした手を挙げ、少し踵が浮くほどの勢いである。
ちらりと横目でそれをみた老人であったが、少女から目を背けるように後ろを向くと、一呼吸置いてから立ち上がり、ちゃぶ台を食器ごと結界の外に出す。
「おお、おぉ、これは可愛らしい挑戦者じゃのぅ、おじょうちゃん、歳はいくつかの?」
しかし、振り返った老人は、相好を崩してサクラを迎え入れる。伸びた白髪をつむじの辺りで手早く纏め、小さな丁髷を作りながら、何処までが皺で何処からが眼なのか分からぬ程に、それを細め、優しげな声音で語りかけるのだ。
「子供扱いは心外です、私は来年で十四になるのです、もう大人と言っても構わぬ年頃でしょう、いささか、身長が足りぬのは自覚していますが、相手を見た目で侮ると、痛い目に合いますよ……それで、一手御指南いただけますか? 」
相手を見た目で侮っているのは、サクラこそが、そうであろう。などと、リチャードは考えながら、小さな老人の立ち姿を観察するのだが。
(おかしい……さっきまで、胃の腑に感じていた違和感が消えている……これは偽装?……つまりは、侮られて、いや、僕たち程度の相手には、興味が無いということか)
しかし、少年は安堵する。この老人が強者を求めていたのならば、その眼鏡に叶わなかったというのは、むしろ、僥倖であろうから。
「ふふ、よいぞよいぞ、しかしなんと、可愛い子じゃのぅ、稽古代は半額に負けてあげようか」
綿で包んだ竹刀をサクラに渡すと、老人は足元の長い棒を、結界の縄に立てかける。長さは老人の身長以上、少し曲がったそれは、弓にしては曲がりが少なく、槍にしては歪んでいた。
「その必要はありません、勝利すれば、二万も頂けるのですからね……田ノ上念流、サクラ マイヨハルト、参ります! 」
ふんこふんこ、と鼻息も荒く、得意げな表情で、サクラは竹刀を構える。
「ふほほ、なんとも礼儀正しいことじゃ、儂は斉天剣流、丹下甚助じゃよ」
老人が名乗りを終えた直後、サクラは打ち掛かった、それも真っ直ぐに正面からである。とはいえ、サクラの剣速は中々のものであり、素人ならば受けることも儘ならぬであろうか。
「おほぃっとと」
紙一重ではあったものの、それを避けた老人は、しかし、足元をもつれさせ、たたらを踏む。
振り向いたサクラは、打ち下ろした竹刀を、そのまま掬い上げる形で振り上げた。ぱしん、と軽い手応えで、老人の竹刀が宙に舞う。
「あわわ、これは堪らぬ」
悲鳴をあげた甚助老に、勝利を確信し、サクラは竹刀を突きつけるのだが、腕を伸ばした瞬間に、その竹刀を掴まれ、ぐい、と引かれる。
「あっ」
先程、容易く竹刀を手放した、非力な老人とは思えぬ引力に、サクラは体勢を崩し。
その後頭部に、打ち上げた老人の竹刀が落下した。
「あはーはは、これは運が良かった、儂の勝ちじゃな」
「ま、待ってください、今のは、そんな……ぐぅ、いえ、何でもありません、参りました」
きゅっ、と固く目を閉じ、姿勢を正すと、サクラは頭をさげた。いつの間にか集まっていた見物客から、まばらな拍手が起こる、どうやら、期待していた画は見られなかったようだ。
見て分かる程に、しょんぼり、と肩を落とし、結界の縄を潜るサクラを、ゆっこが何事か慰さめている。
見ものの終わった見物人達は、直ぐさま興味を失い散って行ったのだが、リチャード少年は、身動ぎもせずに、今の戦いに感嘆の溜息を漏らすばかりなのである。
(すごい……あの動き、全て計算されていたのか、サクラの動きから位置取りを決め、わざと握りを緩めて、竹刀を打ち上げさせたのも、全部、最初から)
リチャード少年は頭の中で戦いを再生し、分析する。恐るべき遣い手といえるだろう、田ノ上老やアドルパスとも違う、この強さは、どちらかと言えば、少年の敬愛してやまぬ、彼に似ているだろうか。
「……わたくしにも、一手、ご教授くださいますか」
優雅な動作で結界を潜ったのは、フィオーレであった、しかし、その目は華麗な所作に反して、怒りに燃えている。
「なんと、今日は可愛らしいお客さんばかりじゃのぅ……ううむ、あと十年したら、お相手願いたいところじゃったが」
にこやかに笑う老人の、言外の意味に気付き、フィオーレが真っ赤になって拳を握る。
「ふむ、そっちの少年は、あと二十年程か……惜しいのう、その頃、もぅ、儂は生きておらぬか……」
一瞬だけ、老人の瞳に、鋭くも暗い光が見えたようで、リチャード少年は背筋を凍らせる。
(いけない、これは、この方は……誰にも会わせてはいけない……大先生にも、若先生にも、きっと、きっと血を見ることになる)
最悪の予想にリチャード少年が慄く中で、フィオーレと甚助老の勝負は行われた。
偶然を装い、執拗に尻を触られ続けたフィオーレが、恥じらいながらも戦う姿に、大勢の観客が集まり。
それは、大喝采の中で幕を閉じたのだった。




