神頼み 10
昼食は、塩茹でした甘イモと、その茹で汁に野菜を入れただけの、スープとも呼べぬ、粗末なものであった。
未だ震えの残る子もいたが、大方のところは、落ち着いてきただろうか。食前に祈りを捧げ、文句も言わずに食べる様は、この風景が、日常である事を物語っているのだ。
「……なんか、懐かしい味だな」
「そうなのか? いや、そうか、猫も、ロンダヌスの生まれだと言っていたか」
クロスロードでも、裕福な方である家庭環境で育ったリリィアドーネは、外国の食事事情も、貧しい民の暮らしも知らなかった。何やら、思うところでもあるのだろう。神妙な面持ちで、味の少ない食事を、無理やり喉に通していたのだが。
御用猫が思い出していたのは、リリィアドーネが、最初の頃に作った、手料理と呼ぶのも憚られる、恐ろしげな物体の事である。
「まぁな、俺も餓鬼の頃は、バッタだの、蛇だの、何でも食ってたさ」
らしいと言えばらしい、野良猫の発言に、彼女は、その細い眉根を寄せ、子供達から悲鳴と、バッタって美味しいの、などと、興味津々な様子の疑問が巻き起こった。
「はは、そうだな、旨くは無いが、仕方が無いさ……あの頃は、何しろ、腹が減ってた」
だから、飯は感謝して食えよ、と、御用猫が締めると、年少の子供達は、元気よく返事を返すのだ。
先ほど、メルクリィには、ああ言ったのだが、子供達は、きちんと教育されているようだ。
やはり問題は、彼女の負担が大き過ぎる事と、年長組の、どこか、影のある表情。
(しばらくは、イモと暮らす他は無いか)
仕事であるならば、この粗食にも、耐えねばなるまい。御用猫は、教会の食料を守る為、大雀に小遣いを握らせて追い払っていたのだが、今となっては。
「奴に食わせて、それを言い訳に、飯を買ってきた方が、良かったかなぁ……なぁ、どう思うよ? 」
「先生ぇ、たまにはイモも、うめーでごぜーますよ」
御用猫の膝に座るチャムパグンは、いいからもっとくれ、と口を開ける。この卑しいエルフも不思議なもので、味付けの不味い飯からは逃げる癖に、こういった粗食に不満はないようなのだ、ひょっとすると、素材の味でも楽しんでいるのだろうか。
隣に座る少女が、おそるおそる、イモの欠片を乗せたスプーンを差し出すと、卑しいエルフは、それに、ぱくり、と食いつき、もっちゃもっちゃ、と咀嚼する。
何が楽しかったのか、子供達が集まり、代わる代わる、チャムパグンの口に、イモや野菜を投入し始めると、ついにメルクリィのお叱りを受けたのだ。
御用猫が。
食事が終われば、皆で食事の片付けを行う、最初は戸惑い、慣れぬ手付きで皿を拭う子供達であったが、やはり、年長の子らは、自分達に出来ることは、手伝いたいとの想いを抱いていた様子で、メルクリィからの提案には、一も二もなく同意した。
そのまま、これからの共同生活についての話し合いが始まり、炊事洗濯掃除から、庭の手入れまでの分担を決め、手の空いた者は、早速に片付けに取り掛かっている。
何もかもが、初めての事であり、メルクリィを始め、御用猫やリリィアドーネも、慌ただしく働く事になり、これは堪らぬと、ついに御用猫は逃亡し、チャムパグンと二人、幼児の遊び相手という名目で、ごろごろ、と講堂に転がっていたのだが。
「辛島さん! 外の方達に、食事と手当を忘れていました! 」
ばん、とドアを開け、珍しく狼狽えるメルクリィに、男児を肩車した御用猫は、表情だけで厳かな雰囲気を演出し、諭すように、ゆっくりと告げる。
「メルクリィよ、信賞必罰、愛を与えるだけが神の教えではあるまい、悪い事をしたなら、それ相応の報いがあるのだ、今回、俺は奴らを見逃す事にした、ならば、これは罰である……今も寒空の下で、空腹と痛みに耐える彼らは、自らの悪行を悔い、必ずや、生き方を改めるであろう……我々は、その一助となろうではないか」
御用猫自身も、単に忘れていただけなのだが、まるで、最初からそう考えていたかの様な態度にて、ぽん、と、肩に手を乗せると、メルクリィはしばし、ぱっくり口を開けたまま、身動ぎひとつしなかったのだが。
「……ええ、そうですね……そうかも知れません」
下を向き、そして、再び顔を上げた彼女の瞳は、煌々たる輝きを見せており、御用猫は、何やら背筋に悪寒を覚え、チャムパグンの背中に子供を落とすと、足早に中庭を目指すのだ。
「ようし、皆、きちんと反省したか? もう二度と、人様に迷惑をかけぬ、と言うならば、おうちに返してやろう」
祭壇前に転がされたやくざ達は、腕を組んで、嫌らしい笑みを浮かべる黒髪の騎士に、しかし、涙ながらに、謝罪と、反省の言葉を述べるのだ。
その、あまりの変わり身に、呆れた様子のリリィアドーネと、一人一人に、短く説教をするメルクリィを眺めた後、御用猫は、茶髪の前にしゃがみ込み、もう一度、言い聞かせる。
「帰ったら、三代目だったか?クレオ君に言っておけ、文句があるなら、名誉騎士、辛島ジュートが相手になるとな……だが、その時は、覚えておけよ、お前ら全員に、賞金をかけて、恐ろしい首取り屋を仕向ける事も、俺にはな、出来るのだからな」
拘束を解いてやると、ちんぴら達は、まさに脱兎の如く逃げ出した。ひとり残されたガマ剣士を、振り返る者さえ無いのだ。
「なんと、薄情な奴らだ」
「……まぁな、やくざってのは、そういうもんさ」
リリィアドーネの呟きに、しゃがれ声で笑うゲコニスは、御用猫に目を向ける。
「何で、俺らを、見逃した? 」
「取り引きさ、お前は、恩義を感じたら、必ず、それを返すと聞いたからな……若い衆が四人も命を拾ったんだ、今までの、諸々を差し引いても、これで、クレオ君には、返せただろう」
あのまま、騎士団に突き出せば、良くて北流し、悪ければ死罪も有り得たのだ。
「まぁなぁ、串刺し王女は、モンテルローザ侯爵の姪っ子だしなぁ、全員、吊るされてたろうなぁ」
「ん? 知ってたのか? なんだ、人には馬鹿だ馬鹿だと言う割に、お前も無茶するな」
御用猫は、ゲコニスの拘束を解くと、差し向かいに胡座をかく。
「馬鹿いえ、馬鹿をいうなや、今朝に知って、おったまげたところだ……まぁ、ああなっちまったら、仕方ないべ、諦めも肝心だろ」
ほう、と、御用猫は感心する。ならば、真っ先に、このガマ剣士が、リリィアドーネに向かって行ったのは、彼女の口を封じて、この一件に蓋をするつもりであったのか。
「まぁ、仮に、串刺しおぅ……いだっ、そ、そのお方を倒せたとしても、なぁ、まさか「土下座」の辛島まで、控えてたとはなぁ……これは、どのみち、無理筋だったなぁ」
「ちょっと待て」
久し振りに耳にした、御用猫の不名誉な渾名であったが。どうやら、詳しく聞いてみれば、彼の名は、特に北町では、かの「からすき」ダラーン バラーン伯爵を一騎打ちで破り、土下座させた男として有名だと言うのだ。
どこでどう、話が捻れたのかは分からないが、辛島ジュートという謎の人物は、王女殿下直属の密使で、神出鬼没に、国内の悪党を退治して回る正義の騎士。そしてアドルパスの一番弟子であり、アルタソマイダスと恋仲の、黒髪で気障な優男なのだとか。
「とりあえず、優男は、嘘だったな」
がらがら、と笑うゲコニスであったが、御用猫の背後に目を向け、途端に、油汗を流しながら青ざめる。
おそらく、蛇に睨まれたのだろう。
背中のリリィアドーネが、一体、どの様な、悪鬼羅刹の如き表情を見せているのか、御用猫は確かめる気も無かったし、想像するだに恐ろしいのだ。
「うん、よし、ゲコニス君、今日から君はここに住みたまえ、やくざな世界からは足を洗って、毎日、メルクリィ神官のありがたい講義を受け、子供達を、悪い大人から守るのだ、薄給だが、出す物も出そう……だが、もちろん、おかしな真似をすれば」
御用猫が、ぱちん、と指を鳴らすと、彼とゲコニスの間の地面が爆発する。
いや、爆発ではない。砂煙をはたきながら、ガマ剣士の見たものは、爆心地に突き立つ、五十センチ程の、石で出来た白杭であったのだ。
「こいつか、もしくは、例の金棒でもいいが、まぁ、お前は、馬鹿じゃない、そこは期待してる、それに……子供、好きだったろ?」
何やら、問い掛けてくるゲコニスを無視して立ち上がると、御用猫は、爆弾を視界に入れぬ様に、注意しながら振り向き、メルクリィに声をかける。
「そんな具合で頼む、大雀と、俺もしばらくは近くにいるから、こいつの事は心配いらない、餓鬼どもと一緒に、真人間にしてやってくれ」
ゲコニスの手を引いて立ち上がらせると、皆に挨拶してこい、と、ガマ剣士の尻を叩き、立ち去る二人を見送りながら、こきこき、と首を鳴らし、御用猫は、ようやく、彼女の方に振り向いた。
「リリィは、仕事もあるだろうし、たまに、ここに顔を出してくれるだけで、いいからな」
「……どうしてだ、私は……うわさの辛島殿と、何の所縁もない女、なのだぞ」
(うわぁ)
じっとり、と座った眼に、澱んだ色を湛え、深い怨嗟の声をあげる彼女に、後退を切望する両脚を叱りつけながら、無理矢理に近付き、御用猫は、その、しなやかな身体を抱き竦める。
そして、びくり、と震える彼女の髪を、梳きながら撫で、耳元に囁くのだ。
「そんなもの……俺が、お前に、逢いたいから、に、決まっているだろう? 」
そのまま、頬に口付けすると、唇から伝わる程に、彼女の体温が上がる。
「人の噂など、七十五日と言うだろう、気にするな、俺は、リリィと、あと七十五年は、一緒に居るつもりなのだぞ? 」
「……うん……うんっ!」
御用猫の腰に両手を回し、ぐりぐり、と首元に顔を擦り付ける、彼女の頭を撫でながら。
(うわぁ……女の、敵……ひとでなし、いやらしい、ごめんなさい、どん引きです)
(おいよせ、そんな目で見るな、命懸けなのだぞ)
視線だけの会話であったが、おそらく、互いに通じ合っただろうか。
御用猫は、内心にて溜め息を吐きながらも、彼女は、この栗色の美しい髪を、何処まで伸ばすつもりなのであろうか。
などと、益体も無い考えを、巡らせていたのだった。




