神頼み 5
御用猫は、づかづか、と前に進み出るメルクリィの襟首を引っ掴み、リリィアドーネを振り返る。
「済まないな、リリィ、この埋め合わせは、次の機会に、必ず」
「うぅん、こんな状況だし、仕方ないよ……実のところ、演劇に、そこまで興味があった訳じゃないし……私は、ただ、一緒にいられっぷ」
その先を聞いてしまうのは、色々と危ういだろうかと、御用猫は、彼女にメルクリィを押し付け、それを阻止するのだ。
「逃げろと言っても、石頭二人だ、そうもいかないだろう、後ろで、そいつを押さえててくれ」
「分かった、猫も気を付け……ん、ふたり? いま、二人と言ったか? 」
眉を顰めるリリィアドーネを無視して、御用猫は前に出る。ちんぴら達は四人しか居ない、おそらく、一人は怪我人を連れて行ったのだろう。
そして、仲間の敵討ちに、兄貴分を連れて来たのだ。
「おぉう、兄ちゃん、ウチの若い衆が、世話になったみたいだなぁ」
がらがら、と、しゃがれた声の蛙面、この男の事は、御用猫も良く知っていた。
「蝦蟇」のゲコニス。この男、元々は、賞金稼ぎであったのだが、ある時、闇討ちにあって大怪我をしたところを、クレオファミリーに助けられ、以来、それを恩義に感じ、やくざの用心棒を務めていたのだ。
何とも、見た目そのままな通り名に、重ねて、そのままな本名なのである。
合同での仕事で紹介された際に、思わず吹き出した事を覚えていたのだが、どうやら向こうは、御用猫に気付いてはいない様子だ。
「世話をした覚えは無いが、素人女に手を出す程、飢えさせるのは、どうかと思うぞ? ちゃんと餌はやっとけよ、兄貴ならさ」
「あー、まぁ、そう言うなや、やくざってのは、自由に見えて、すこぶる鬱憤も溜まるのさ、弱い者虐めで、多少の憂さを晴らすくらい、ま、多めに見てくれや」
何とも、傍迷惑な理屈ではある。とはいえ、そう考えられるからこその、やくざと言えるだろうか。
「ふむ、そうだな、憂さ晴らしは大切だな、けどな、俺は、やくざじゃないから、弱い者虐めは、好きじゃない……だから、これは、最後の警告だ、大人しく鬱憤を溜めて帰るなら良し、そうでないなら……痛い目を見るぞ? 」
腕を組んで丸腰の、上等な服を着た男である。彼らの目には、何処ぞの貴族にでも映ったのだろう。
「馬鹿か、お前は、それとも馬鹿か? たとえお貴族様でも、一人や二人消えたとこで、誰も気にしやしねえぞ……おう、ケンズィ、とりあえず、柄攫って、楽しもうや、男は任せとけ」
ガマ剣士が、腰の十手剣を引く抜くと、茶髪の男が、下品な笑顔で頷くのだ。
「分かりやすく馬鹿な奴らめ、おい、メルクリィ! 最後通牒は無視された、これより、実力行使に移るぞ、文句は無いな? 」
「何を言って、そのように一方的なもがっ」
リリィアドーネに口を押さえられ、彼女の異議は封殺される、説教の時間は終わり、折檻の時間が始まるのだ。
「くーろーすーずーめー」
些か間の抜けた、御用猫の呼び掛けに応え、赤いセメント瓦の屋根から、死神が舞い降りてきた。
高所から落下した巨大な質量は、地面を震わせ、足下を大きく抉り取る。
チャムパグンの呪いにより、一命を取り留めた、死神は、なにか、以前よりも大きく見えた。
御用猫より、ひと回りもふた回りも大きな身体、乱雑に切られた濃い金髪、黒い瞳は野獣の眼光を放ち、両側に垂らされたマントの下には隆起した筋肉と、長い腕を隠している。
「呼ばれて飛び出て、どんがらほい、大雀、参上です、ごめんなさい」
「呼んでねーよ、帰れよ」
降って来たのは、しかし、大雀であったのだ。甘ったるい声で名乗りを上げると、太い鎖を、じゃらり、と鳴らし、背中を揺すって、位置のずれた巨大な金棒を、軽々と背負い直す。
「ごめんなさい、黒雀は、再調整中です、でも、そんなに幼女が好きですか、相変わらず気持ち悪い男ですね、ごめんなさい」
「いいから帰れ、ついでに、みつばち呼んでこい……あっ、お前ら動くなよ! こいつは本当に加減が効かないからな、まじで死ぬぞ! 」
言われなくとも、やくざ達に、動く気配は無いのだ。目の前に、突然、人間が降ってくれば、そうもなろうか。
「ごめんなさい、私の事を何だと思ってるんですか、そこらの無能と一緒にしないで下さい……殺さなきゃいいんでしょ、簡単ですよ、こういうときは、ひとりだけ、見せしめに、徹底的に嬲ってやれば、残りのちんかす共は、びびって逃げ出しますから」
誰にしようかな、と、歌いながら、ひょいひょい、と進む大雀に、しかし、誰ひとり動こうとはしないのだ。おそらく状況が理解できていないのだろう。
「ちょっと、待て! お前ら逃げろ、今日は見逃してやるから! あと、ちっとは真面目に働けよ」
大雀の腰に抱き着き、ずりずり、と引き摺られながら、叫ぶ御用猫の、その余りの必死さに、何やら、不気味さを感じ取ったものか、やくざ達は、少しづつ後退し、ついには、通りの向こうへと消えてゆくのだ。
はぁ、と、大きく溜息を零し、腰に縋り付く御用猫を、ようやく歩みを止めた大雀が、上から見下ろす。
「ごめんなさい、ちょっと……触り方が、いやらしいので、放して下さい、猫の先生は、ウチの志能便達を、何人も孕ませた色欲魔人だと、里でも評判なのです、正直、身の危険を感じます、ごめんなさい」
「本当に、心から、お願いするんで、帰ってくんないかなぁ、この際、姫雀でも良いから、代わってこいよ」
背後から感じる、殺気の如き視線に、御用猫は、振り向く事も出来ぬのだ。
もう一度、大きく溜息をついたところで、彼は気付く。
(最近、なんか、溜息が増えたなぁ)
おそらく、もう少し、増えるであろう予感を、ひしひし、と覚えながら。
御用猫は、リリィアドーネを固める為の甘い台詞を、脳内で選び始めるのだった。




