銀盤踝 7
がたごと、とラバ車は走る、御用猫一行は、ついにエルフの領域たる帰らずの森、その外周森へと辿り着いていた。
広くなだらかな道は、よく手入れされており、大型の馬車でも、楽にすれ違う事が出来るであろう。かつて、クロスロードと森エルフが和解した折、大規模な交易路を整備する話が持ち上がった、当時の国王ティリンガは、これをフォレストロード計画と呼び、一直線に帰らずの森まで伸びる道は、最終的に東方諸国にまで通ずる予定であったのだが、聖地を守る氏族と黒エルフの強固な反対と、東方諸国の動乱期が重なり、奥森の入り口で計画は頓挫したままなのだ。
「すごい、なんて綺麗な森……これが、帰らずの森なんですね! ゴヨウさん! 」
「まだ先だよ」
今日は手綱を握る御用猫の背中を、ばしばし、と、加減知らずに子ゴリラが叩く、表情は見えないが、赤くなっているのは間違いないだろう。
最近、どうも遠慮というものが無くなってきている、サクラであった。
(こいつめ、少し甘やかしに過ぎたか)
手綱をリチャードに渡し、つけあがった少女に灸を据えてやろうと、思い立った御用猫の肩に、その少女が体重を預けてきた。
「ゴヨウさん、ゴヨウさん、少し、人目に付かない辺りで停めてもらえますか? 」
先ほどと違い、やや、声を落とし、体重を預けながら、前後に彼を揺するのだ。
「何だ、どうかしたのか? 」
「……いえ、その、少し散策といいますか、珍しい花など咲いていないかと、その」
一体、この少女は何を言っているのか、理解の及ばぬ御用猫は、疑問を口にしようとしたのだが。
「若先生、エルフの領域に入る前に、用足しをしておきたいのです、停めて頂いてもよろしいですか」
リチャードの言葉に、内心、手を打つ御用猫であった。しかし、相変わらず、なんとも気の利く男である。サクラとは大違いだと、御用猫は考えるのだが、当のサクラといえば、何やら息を漏らし、ぐねぐね、と身体を捩っている。
(まぁ、こいつとならば、丁度、釣り合いも取れようか)
速度を落としながら、御用猫はラバ車を道べりへと寄せてゆく、どうせなら、ここらで休憩するのも良いだろう。
「おい、起きろチャムよ、辺りに怪しい奴が居ないか見てくれ」
車を停めて、荷台から卑しいエルフを掘り出すと、彼女は涎を垂らしながらも首をふるのだ。
「いねっす」
一見して寝ているようだが、いや、確かに寝ているのだろうが、チャムパグンの、こういった答えに嘘はない。
きちんと三食、たっぷりと美味い飯を食わせ、多めに小遣いを与え、必要以上に甘やかせば、まこと、便利なエルフではあるのだ。
この出費と労力を惜しむ者は、何時ぞやのリリィアドーネの様に、騙されて捨てられる、確かに、悪魔的といえばそうかも知れない。
とりあえず、先にサクラを送り出し、膝に抱えた悪魔的なエルフの頭を撫でながら、御用猫は、ぼんやりと、そんな事を考えていたのだが。
突如、森の空気を切り裂く様な悲鳴が、耳に飛び込む、この声は、サクラのものだ。
「リチャード、チャムを守れ! 」
稲藁の上に彼女を放り、背中に返事を受けながら、御用猫は陣風の如く樹々の間を走り抜ける。足場の悪さも苦にならぬ、野良猫走法であった。
悲鳴は一声であったが、瞬時にして距離と位置は判別していた。走りながら井上真改二の鯉口をきると、太めの幹を目隠しに、一足でその裏に飛び込んだ。
「……なにしてんだ、お前」
抜き打ちの途中に手を止め、半ばまで刀身を露わにした愛刀を収めると、御用猫は首を傾げる。
尻餅をついた姿勢のサクラは、銀色の毛玉を顔に押し付けるようにして、じたばた、ともがいていた。
いや、毛玉ではない、生き物だ。太くて丸く、仔犬にも見える生き物であったが、御用猫はその生き物に、耳の間から背中にかけて、白く伸びる鬣に、見覚えがあったのだ。
「ご、ゴヨウさん、助けてください! この子、小さいのに、すごい力で」
御用猫は、その生き物の襟首を掴むと、サクラの顔から剥がしてぶら下げる。しばらく暴れてから、諦めたものか、力なく、だらりと、丸い四肢を垂らすのだが、その姿はどこか、つきたての餅を想起させた。
「ふわぁ、顔中べたべた、もう、何なのですか、この生き物は、野犬でしょうか、突然に飛び込んで……きて……」
矢絣の袖口で顔を拭っていたサクラであったが、ふと、その動きを止め、御用猫の目を、真っ直ぐに見つめてくるのだ。
最初は無表情に、しかし、すぐさま、血の気が引いたように、白蠟の如き気色の無さで、ゆっくりと、自分の姿に目をやるのだ。
「どうした、サクラ、怪我したのか? 立てるか? 」
毛玉をぶら下げ、反対の手を差し伸べる御用猫に、もう一度視線を向け、何やら、一瞬、考えたような素振りを見せ、彼女は、もう一度、自分の姿を確認する。
しかし、現実は残酷であった。
彼女の目に映るのは、袴を脱いだままの、自分の白い足と。
「ひっ」
「ひ? 」
御用猫とて、決して、平静であった訳では無い、後になって気付いたのだが、彼は、つい先ほどまで、自分でも分からぬほどに、動揺していたのだ。
それ程までに、彼女の危機に、肚の底まで、冷やされていたのだ。
今の彼には、その反動、その安堵から、正常な判断力はまるで無く。
果たして、手を取り、彼女を立ち上がらせた御用猫に届けられたのは。
「ひぃゃあぁぁぁっ! 」
樹々を揺らすほどのサクラの悲鳴と、死の宣告。
いっその事、森エルフの里に隠遁するべきか、と、御用猫が考えるのは、もうしばらく、先の事であった。




