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続・御用猫  作者: 露瀬
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無情剣 面の皮 14

 御用猫の、一気に冷えた心の底から、代わりに、どろり、と熱いものが噴き出してきた。


 それは、まるで、火口から湧き出す溶岩の様な、釜の煮え湯から這い出す罪人の様な、どろどろ、とした感情。


「なんで、殺した」


 恐ろしく、無機質な声、おそらく今の自分に、表情は無いのだろうと、御用猫は考える。あまりの事に、感情と、表情が、完全に剥離してしまっていたのだ。


「なんでって、金にするからだろ、たりめーだろが」


 脇差しを肩に担ぎ、タタンダッタは、こともなげに、そう言うのだ。


「なるかよ、そんな首が、どうやって、賞金首だと証明するんだ」


 ひとつ、ひとつ、確認してゆくのだ。筋道、を立てるために。


「はぁ、知るかよ、そんなん組合の仕事だろが、お前、さっきから、うぜーんだけど」


「……わざわざ、ここに残ってたのは、首を見せびらかすためだろう、何でそんな真似……いや、そうか」


 タタンダッタは、ずっと、ギンタを狙っていたのだ、居場所を見つけ、見張っていたのだ、ここにも、後を付けて来たのだろう、今まで、手を出さなかったのは。


「……黒雀か、あいつが居たから、手を出せなかったのか」


「出せなかったんじゃねーよ、出さなかったんだよ、間違えんな、騒ぎになったら、逃げられるだろが」


 ひょっとすれば、一度や二度は、ちょっかいをかけていたのかも知れぬ、しかし、この野良犬は、あの黒い悪魔に追い返されたのであろう、それでも様子を伺っていたのだ。そして、いま、御用猫という邪魔者も居なくなり、ギンタをその手にかけた。


「それで、ようやく好機かと思いきや、肝心の首は、このありさま……お前、これは、憂さ晴らしか……無駄足を踏んだ腹いせに、こいつを、殺したのか」


 御用猫の頭の中で、ぴたりと、筋道が立つ。まるで、みつばちのように無感情に、ゆっくりと話した為だろうか、目の前の野良犬少年は、自分でも分からなかった、自身の心境を理解するのだ。


「あぁ、そうか、そうだな、そうだよ! こいつ、この野郎、苦労させた割に、一銅貨にもなりゃしねぇ、面の皮まで剥がしやがって、気持ち悪ィ! 」


 ぽい、と、放り投げられたギンタの首は、憎いのか、無念であったのか、はたまた唯の偶然か、タタンダッタの方を、じっ、と、見つめる位置で動きを止めた。


「……お前を殴りつけて、田ノ上道場に放り込もうかとも、思ったんだがな、もう、その腐った性根は、直りそうもない……お前は、野良犬なんかじゃ無い、ただの、狂犬だ」


「あぁ? 殺すぞてめー……あぁ、そういや、そうだな、ふくろうの所に持ってけば、金になるって聞いたぞ、そうか、そうしよう」


 目を曲げて、歯を剝きだすと、野良犬少年は、御用猫に脇差の切っ先を向ける。脅しでは無い、明確な、殺意が、そこには込められていたのだ。


 しかし、御用猫は動かない、沸き上がる煮えた感情も、投げそうになる汚い言葉も、その全てが、両脚を通して、河原に吸い込まれてゆく。腹に巻かれた太い鎖は、今から行われる死闘の恐怖を、決して外に漏らさぬだろう。


「お前は、狂犬だが、まだ餓鬼だ、物を知らない、馬鹿な小僧だ、噛み付く相手の強さも量れない……だから、一度だけ、機会をやる」


 御用猫に残ってたのは、ただ、迷いだけ。戦いのさなか、身を守る為ならいざ知らず、こうして、向かい合って、女子供を、その手にかける。その事に対する躊躇いだけが、今の彼を、ぎりぎり、で押しとどめていたのだ。そうでなければ、剣を向けられた瞬間に、斬り倒してしまったかもしれないのだ。


「その手にあるのは、脅しの道具じゃ無い、殺しの道具だ……使う気ならば、覚悟を、しろよ」


「あはっ、あははははっ」


 何が楽しかったのか、タタンダッタは、とんとん、と跳ねながら、笑い始める。


「こないだから、ちょこちょこ見てたから、わかんだよ、お前、俺様より弱いんだよ、わかんだよ、遅いから」


 とーん、とーん、と、タタンダッタの跳ね方が大きくなる。以前見た限りでは、確かに、かなりの速さであった。しかし、理解しているのだろうか、場所が河原では、その脚は、十全に機能しないであろう事を。


「だから、野良猫の、こけおどしだ! 威勢のいいのは口だけだ! わかんだよ! 」


「……そうか」


 御用猫は、それ以上なにも言わず、右手で井上真改二を引き抜くと、左で脇差も抜き払う。二刀をだらり、と、下げたまま、無表情にタタンダッタを見つめていた。


 野良犬少年は、その姿に、少しだけ、違和感を覚えたが、燃え立つような戦いの興奮に支配され、すぐにそれを、忘れてしまう。


 それが、その、勘ばたらきが、命のやり取りにおいて、どれ程重要であるかを、知らなかったから。


 野良犬少年は考えるのだ。目の前の野良猫は、思っているだろう、この足場では、互いに、まともに走れないと、跳べないと。ならば、体力に物を言わせて、自分が勝てると、そう思い、舐めているだろうと。


 しかし、それは違う、タタンダッタは、先ほどからの跳躍で、足元の具合を確かめていたのだ、ごりごり、と安定しない丸砂利も、天性の才能で、その鋭敏な感覚で、僅かも揺らす事なく、一気に芯を踏み抜き、間合いを詰める事が出来るのだ。


 目の前の野良猫は、碌な反応も出来ないだろう。念の為、左から打ち込もう、何のつもりか、二刀流など、とくに右手の大刀は、大人の筋力でも、簡単に振り回せるものでは無い、少なくとも、自分の打ち込みは、あの姿勢から受けられる程、甘くない。


 そもそも、この男は、だらりと両手を垂らし、眼には精気が感じられない、覇気、というものが、まるで感じられないのだ。


(やる気がねーのか? あは、そうか、わかんだな、勝てないって)


 自分の理屈で納得をつけると、満足そうに目を曲げて、タタンダッタは、一気に跳躍した。そこには、迷いも躊躇もなく、殺すことにも、殺されることにも、恐怖も、覚悟も、ありはしないのだ。


 狙いはくびすじ、頸動脈、御用猫の左側から、すれ違い様に、それを刎ねようと、一閃。


(ほら、いただきっ)


 しかし、次の瞬間に、野良犬の牙が捉えたものは、御用猫の右手の平であったのだ。


 重い太刀から手を離し、無造作に差し出されたそれを、中指と薬指の間から断ち割り、手首の骨に食い込んだ所で、刃が止まる。


 勢いを止められたタタンダッタの身体を、どん、と、太く、短い衝撃が襲った。


 きょとん、と、自分の脇腹から生える、脇差に目を向けたあと、笑顔で御用猫を見つめる瞳は、年相応の、純真さで。


「……あだ名……気に入ってたんだ……あこがれ、て、しょうきん……」


 ゆっくりと、野良犬少年は、崩れ落ちた。


「……いてー……」


 この、短い人生に、何か見出すものはあったのだろうか、いや、野良犬が、ただ、生きただけなのか。


 どこか、満足そうにさえ見える少年の顔に手を被せ、御用猫は、右の掌をきつく縛りながら、ギンタの首に目を向ける。


「まぁ、そういうことだ……黒雀が遅けりゃ、俺もそっちに仲間入りだな」


 だくだく、と、血を流し、脈動する右手を高く差し上げながら、御用猫は、河原に寝そべる。


(他人に食わせて貰うなら、不味い飯も、多少はましに、なるものか)


 ぼんやりと、そんな事を考えながら、しばらくは、動かないであろう右手に。


(人斬りも、しばらくは休業だな)


 どこか安堵したように、御用猫は、大きく息を、吐き出すのであった。



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