無情剣 面の皮 13
御用猫がギンタを迎えに行ったのは、その息子、トウタが仕入れに出かけた頃合いであったのだが、彼を家に迎え入れたのは、はたして、その見慣れた棒手振り少年であったのだ。
「おう、行くぞ、ギンタよ」
何事もないように、平静を装いながら、御用猫は、布団から身を起こした女房と一緒に座る、ギンタに声をかける。
当然と言えば当然であったのだが、ギンタは家族には、御用猫との話を、何も伝えていなかった様子で、これが今生の別れであると、女房息子は知らぬようであった。
「おい、ほんとに行くのかよ」
どこか、むくれたような顔つきで、そっぽを向いたまま、トウタ少年は呟くと、小さく溜め息を零すのだ。
「まったく、今日から目利きも教えてやろうと思ってたのにさ」
「へへ、すまねえな、もう、口入れ屋と、仕事の段取りは済ませちまったんだ、これに遅れたら、殺されちまうよ」
ぼりぼり、と、頭を掻いて、ギンタは立ち上がると、じゃあな、と短く告げて、そのまま家を出てゆく。
「今度こそ、真面目に働けよ! 途中で逃げ出してきたら、尻を蹴っ飛ばすからな! 」
悪態を吐く息子にも、寂しそうな表情の女房にも、ギンタは振り返らないのだ。
御用猫からは、全て見えていた。
涙と鼻水で、ぐしゃぐしゃになってしまった男は、振り返る事が出来ないのだ。ここで泣き顔を見せてしまえば、家族は、これが、最後なのだと、察知してしまうだろうから。
「まぁ、俺は逃げ出す方に賭けるけどな……トウタよ、これは、俺からの餞別だ、黒雀、嫁さんの具合を見てやってくれ」
「うぃ」
何処から現れたのか、梵字を隠したワンピース姿の黒エルフが、てこてこ、と家の中に入ってゆく。いったい何事かと、慌ててトウタがそれを追いかけ、呪いでの治療が始まる。
我ながら、小賢しいと、心中で悪態をつき、御用猫とギンタは、何時ぞやの川べりへと向かうのだ。
早朝の河川敷は人気も無く、少しだけ葦を掻き分け、奥に入れば、誰かに見られる事も無いだろう。
少し開けた場所で、丸砂利の上に膝を付くギンタの姿は、土壇場の罪人を思わせた。
「何か、言い残す事はあるか? 命乞い以外なら聞いてやるが」
「……命乞いしか、ありやせん」
なら、聞かない、と御用猫は井上真改二を抜き払う。
「先生、それでも、聞いてくだせえ、俺は、まだ、死にたくねえですよぅ」
「お前が殺した相手も、そうだったろうな」
ギンタは、がっ、と、砂利に頭を打ち付ける、あまりの勢いに額が割れ、赤く血しぶきの花が咲く。
「それでも、俺ァ、最後までお願いしやす! 見逃してくだせぇ、この通りです、やり直す為なら、何だってしやす! 」
叫び声は涙で震え、打ち付ける度に血が流れる。
「どうか、どうか、腕でも、足でも、もってって構いやせん……どうか……」
「駄目だ」
きっぱりと、御用猫は告げるのだ、もう決めた事であった。
ここでギンタを見逃せば、御用猫が今まで仕事にしてきた、全ての首が、唯の殺しになってしまうだろう。
今まで、賞金首を前にして、どんな命乞いにも耳を貸さず、この手にかけてきたのだ。たとえ、改心したからと、家族があるからと、ましてや、それが知り合いだからと、筋の通らぬ真似をすれば。
(それでは、気分で人を殺す畜生と、同じではないか)
それは、いのちを弄ぶ、不遜な考えであろうと、御用猫は結論を出したのだ。
これは、曲げられない。
御用猫の態度が、決して変わらぬと知ったギンタは、河原に手を付き、項垂れて、額から流れる血を、じっ、と、眺めていたのだが。
「……先生……御用猫の先生は、賞金稼ぎだ……なら、銅貨一枚にもならねぇ首は、取れない、はず、でしょうや」
ばっ、と、顔を上げると、自らの額に爪を立て、そのまま、ばりばり、と引き下ろす。
爪の間に、皮が挟まり、べろり、と垂れ下がるのだが、ギンタは、その手を止めない。呆気に取られた御用猫は、声をかける事もままならず、我が面を掻き毟る男を、見詰めるだけであったのだ。
びちゃびちゃ、と、血と脂のない交ぜになった汁が飛び散り、ギンタは、その、口であろう場所から、泡と呻き声を吹き出す。
遂に手を止め、空を見上げた男は、もう、何者でも、なかったのだ。たとえ、呪いで治療したとしても、もう、元には戻るまい。
「へへ、どうだい……このくび、とれるもんなら、とってみやがれ……」
これ程に、出し抜かれた事が、今まであっただろうか、「岩飛び」ギンタは、御用猫の甘えた隙を突き、先に自らの首を取ったのだ。これは、もう。
「……参った、完敗だ、流石に、そんな首じゃ、賞金は出ないよ」
御用猫は、上を向いて額に手を当てた、あれほどの出血だ、ギンタには、見えてはいないかも知れない、それでも、この、笑った顔は、見せたくない。
見事に一本取られた事への、せめてもの、ささやかな抵抗であったのだ。
「へへ、せんせえ、さっきのむすめは、まじないし、なんでしょ、かしてくだせえよ……しゅっせばらいで……むすこの」
「はっ、まったく、お前は……いや、お前の息子は、大物になるよ」
とりあえず、濡れた手拭いでも被せてやろうかと、御用猫は流れに向かい。
戻った時には、目を剥いたギンタの首が、ぶら下げられていたのだ。
「ばーか、おっさん、獲物から目ェ離すんじゃねーよ、これは、横取りじゃねーからな」
けたけた、と笑う野良犬少年を見て、御用猫は、自分の体温が、一気に下がってゆくのを感じたのだった。




