無情剣 面の皮 11
御用猫が念願のカツオを手に入れたのは「岩飛び」ギンタに伝えた期日を、明日に迎えた頃であった。
目の良いやつが揚がってた、と自信満々なトウタの頭を撫でてやると、少年は、気恥ずかしくなったのか、ミザリの尻を撫でながら、飛ぶように走り去って行った。
流石、岩飛びの息子だけはあるな、と感心した御用猫であったが、彼が、みつばちを使いに、田ノ上老達を呼び出したのは、はち切れんばかりに身の張った戻り鰹を振る舞う為ではなく。
「なんじゃ、そんな事」
「そんな事とは、酷い言い草じゃないですかね」
御用猫が、密かに、心のうちで、父親のように頼る田ノ上老に、自らの迷いを相談する為であったのだ。
マルティエの鰹尽くしは、それはもう見事な出来映えで、チャムパグンはもちろんの事、志能便達やティーナにリチャードまで、先を争うように腹に納めていた。サクラと、何故か付いて来たフィオーレなどは、兜焼きの奪い合いで、乱闘になりかけた程なのだ。
普段は必要以上に仲の良い二人であったが、食べ物の事になると、ゴリラとして、譲れないものがあるのだろう。
ともかく、十キロ以上あったはずのカツオは、皆によって綺麗に平らげられ、祭りの終わった後のような、心地よい倦怠感の中、各々がくつろいでいた。
定位置のテーブルには、差し向かいで飲みつつ、真面目な表情の御用猫を、からから、と、笑い飛ばす田ノ上老の姿があるのみ、なのだ。
「知るものかよ、最初に斬らなんだ、お前が悪い、せいぜい悩むが良いわ」
「そりゃ、そうなんだけどさぁ」
それは、トウタが店を出てしばらく後のこと、ようやく眼前に現れたカツオを前に、にこにこ、と上機嫌の御用猫は、木扉をくぐったギンタの気配にすら、気付かなかったのだ。
「……御用猫、の先生、ちょっと、話があるんだ」
普段ならば、にべもなく追い返す所であったが、マルティエは、ギンタの正体は知らずとも、その顔だけは知っているようであったし、これは、どうにも拙いだろうと、店を連れ出し、川沿いの高水敷に腰を下ろす。
治水工事の行き届いたクロスロードでは、河川敷地は公園や競技場として、普段は利用されている。今は人通りも少なく、秋風に吹かれた葦や茅が、その頭を揺らしていた。
「御用猫の先生よぅ、俺は、死ぬのが、怖くってさぁ」
「そりゃ、誰だってそうだろうよ」
素っ気なく、御用猫は返事をする。明日には首を刎ねなければならない相手と、長々と世間話はしたくないのだ。
ギンタの行動は、おおよそ、みつばちから聞いていた通りであったのだが、彼が言うには、死ぬ前に、ふと、我が子に触れてみたくなり、頭でも撫でてやろうと手を伸ばしたのだが。
「先生よぅ、俺はよぅ、あんな目で、そうさ、まるで、親の仇でも見るような目で……」
伸ばした手を叩かれ、こっ酷く罵られたのだと言うのだ。
「当たり前だろうが、お前は、此の期に及んで、まだ、トウタの父親のつもりだったのか? 」
唇を噛んで俯いたギンタであったが、突如、御用猫に向き直ると、両手をついて頭を下げるのだ。
「先生、俺は、こんなだけどよう、今更だけどよう、今死んだら、俺は、なんにも、残らないんだ、あいつの、トウタの、なんでも無いんだよ」
ぐずぐず、と、涙を流し、何度も地面に額を打ち付ける。
「やり直したいなんて言わねぇ……けど、せめて、せめて、あいつの親父になってから、死にてえんだ! もう少し、もう少しだけ、時間をよぉ、おれに、くれねえだろうかよぉ! 」
この通りだ、この通りだ、と頭を打ち続けるギンタに、御用猫は、ゆっくりと、立ち上がりながら、告げた。
「……明日の朝、迎えに行かなければ、もう一週間だけ、猶予があると、そう思え」
振り向きはしなかったのだが、背中から、どすどす、と、ギンタの額を打ち付ける音は、途切れる事なく、続いていたのだった。
「しかしの、人間、心を入れ替える、などと簡単に言うがの、そうも行かぬのが、人というものよ、今は良い、来年もそうかもしれぬ、だが、五年後はどうじゃ、十年後は? 悪さの虫が、そう簡単に収まるとは、思えんよ」
くい、と飲み干した田ノ上老の猪口に、ティーナが酌をする。自分用のビールを抱えてきたという事は、こちらの会話に参加するつもりか。
「ごめんね、猫の先生、盗み聞きしちゃった」
会話が漏れぬように、彼女に呪いで、音の壁を作らせていたのだが、どうやら本人は聞いていたらしい。
「個人的には、信じてあげて欲しいけどね……ね、大先生もさ」
ティーナとて、未だ自身を許せぬ過去があるのだ、ギンタの方に、肩入れしたくなったのであろうか。
「……あいつは、賞金首だ、悪そうな餓鬼にも狙われてるしな、放っておいても、長くは無いんだよ」
「なら、いいじゃん、放っておきなよ」
正直、御用猫は迷っているのだ、自身の定め事に従えば、ギンタの首は取らなければならない、それに、結果として、余計な情けで、トウタを苦しめる事になるかも知れないのだ。
「まぁ、よく悩んで、好きにする事よ、今回の場合は、生かそうとも、殺そうとも、害には、ならぬしのぅ」
ダラーンとは違い、ギンタなど脅威では無いと、そうであるならば、御用猫の判断で、どちらに転ぶかは、神のみぞ知るところであろうと、田ノ上老は、そう言うのだ。
「ぐぬぬ」
唸りながら猪口をティーナに差し出す御用猫は、いつも以上の量を飲み。
それを理由に、次の日は、昼までベッドに潜り込んでいたのだった。




