無情剣 面の皮 7
貧富の差は当然あれど、クロスロードには、所謂「貧民街」といった無法地帯は存在しない。
この国の政策として、長期間働き口のない者は、辺境の開拓地へ、半ば強制的に送り込まれてしまうからなのだ。もっとも、そうなる前には、国家主導で、本人の技能や適性を調査し、口入屋組合で職の斡旋も行うのだが。
死罪以下の犯罪者などは、情勢の不安定な北の国境線近くに送り込まれて、危険な伐採伐根などをさせられるのだ。
それに比べれば、国からの補助を得ながら働ける開拓地での暮らしの方が、ましではないかと、まだ、飢えの心配をせずに済むのなら、その方が良いのではないかと、自ら移住を申し出る者も、少なくはない。
南町の貧乏長屋に住む、この母子も、そろそろ騎士団あたりに、生活苦を脱するため、他の土地への移住を願い出るべきかと、そう、話し合っていたのだ。
「でも、母ちゃん、それは来年、あったかくなってからにしようよ、それまでに病気を治さなきゃ」
「そうだね、トウタには、迷惑ばっかりかけてしまうね」
それは言うなよ、と笑いながら、少年は味の無い麦粥を、かちゃかちゃ、と、かき込む。
とはいえ、少年の表情には、いくらかの疲れが見えていた。母親には伝えていないのだが、彼が少しずつ、それこそ爪に火を灯すような生活を続けて貯めた金を、昨夕、父親に奪われてしまったのだ。
あの男は、倍に増やしてくるなどと言っていたが、どうせ、博打に消えるに決まっている、と、少年は考える。仮に増えたとしても、その金が家に入れられる事など無いのだ。
(ちくしょう、今日の仕入れもあるのに……あんな奴、帰ってこなきゃ良かったんだ)
父親とも呼びたくない、あのやくざは、たまに、ふらりと現れたかと思えば、なけなしの金を奪い、酒を飲んでは彼を殴り、母に酷い事をして、いつの間にか、居なくなるのだ。
トウタ少年にとって、父とは、憎悪の対象でしかないのだ。もう二、三年後になれば、彼も力を付けるだろう、そうなれば、血を見る事態に、なるやも知れぬ。
どんどん、と、玄関の木扉が鳴らされる音に、トウタは、暗い夢想から現実へと戻される。
「やめろよ、お隣さんに迷惑だろ」
文句を言いながらも、かんぬき錠を外す、ふと、少年は、いつもより叩く音が弱々しい、と、そんな事を思った。
玄関から現れたのは、彼の父、ギンタ。黒髪に黒茶の瞳は、トウタ少年によく似ている、無精髭さえ剃ってしまえば、なかなかに男前なのだと、昔、母親が言っていたのを覚えているが、その時の母の笑顔を、少しはにかんだ、幸せそうな笑顔を思い出す度に、少年は、父への怒りを膨らませてゆくのだ。
しかし、今、少年の心を支配したのは、怒りではなく、驚き、であった。
「……おじさん? ミザリんとこの? 」
見紛う筈もないのだ、黒髪黒目の傷面。
「うぉっ……トウタ、だっけか、そうか……」
少しだけ驚いたあと、眉を顰めた御用猫であったが、それ以上の反応はみせない。
長屋の狭い玄関内で、少年とその父、二人からの視線を集めた御用猫は、しばし、なにやら考えていた様子であったが。
「なぁ、坊主よ、お前の親父がな、今までの事を反省してるらしいのだよ、もう、二度とお前達には関わらぬ、旅に出るからと、せめて、その前に謝りたいと、そう、言うのでな、ここまで付き合ってやったのだ」
一人では、ばつが悪いらしい、と、御用猫が肩をすくめてみせると、少年は、何か不思議なものでも見るような目つきで、じろじろ、と、自らの父を眺めた。
「それじゃあな、ギンタ、三日後の朝、迎えに来るから」
ぽん、と御用猫が肩に手を乗せると「岩飛び」は、ひぃ、と短く声を漏らし、何度も何度も、震えながら、頷くのだ。
最初、ギンタは、心の中でほくそ笑んでいた。おかしな展開には驚いたが、逃げ出す好機だろうと考えたのだ。
(なんだ、なにが、首代取りの御用猫だ、とんだ間抜けじゃねえか)
よほど、自信があるのかは知らないが、一度逃げてしまえば、もう、こっちのものなのだ、しばらく南町には寄りつかず、ほとぼりが冷めるまで、のんびり過ごせばいいのだ。
拘束を解かれ、表面上は涙を流し、何度も何度も礼を言う。そして、では行こうかと、歩き出した瞬間に。
「あぁ、言い忘れてた、もし逃げたら、酷い目に合わせるからな」
「は、はぁ? まさか、そんな事しやしませんよ! 命にかけたっていい」
「そりゃ、当たり前だろうが……くーろすーずめー」
周囲には、何の変化もない、しん、としたままであったが、御用猫は何やら右下に向けて頷くと、ギンタの方を指差し。
「あいつが逃げたら、針を刺せ、こないだの拷問用のやつだ、一日十万出す」
ギンタはその時、御用猫とは、なんとも頭のおかしい奴だ、としか思わなかったのだが。
結局、家に案内するまでに、二回、悲鳴をあげて、のたうちまわる事となっていたのだ。
「……閉められないだろ、早く上がれよ」
御用猫が帰っていった後、放心状態の父にトウタ少年は声をかける。どうにも、様子がおかしいのだ。
そういえば、ミザリが言っていた。御用猫の先生は凄く強くて、マルティエ達が困った時は、すぐに助けてくれる、と。
ひょっとしたら、この悪者も、あの先生に懲らしめられたのだろうか、そうであったならば、なんとも良い気味だ、と、トウタ少年は鼻を膨らませ、父の肩を叩いて家に上げると、再び戸締りを始める。
すると、すぐに、背中から、父の泣き声と、母の困惑する声が聞こえてきた。
少年は、驚いた。
驚きの余り、トウタは、戸締りも忘れ、母の胸に、子供のように縋り付く父の姿を。
立ち尽くしたまま、眺めていたのだ。




